ランジュ氏の犯罪(1936年)

ジャン・ルノワール監督による出版社を舞台にしたフィルム・ノワールです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・ルノワール監督の『ランジュ氏の犯罪』です。ジャン・ルノワールは1936年に抒情的な傑作短編『ピクニック』を撮っていますが、本作はその直前に作られた犯罪映画で、ルノワール自身が『ゲームの規則』などと並ぶ傑作だと自負する作品だったようです。パリ下町のアパルトマンにある印刷所兼出版社を舞台にして、職住一体となって働く住民たちを交えながら生活感にあふれたフィルム・ノワールの一篇となっています。

【ご覧になる前に】ジャン・バシュレはルノワール作品の名キャメラマンです

ベルギーとの国境沿いの宿屋に殺人容疑の手配書をもった警察官がやって来ますが、客たちは飲み食いに没頭して相手にしません。そこへ街道を猛スピードで飛ばす車が到着し、運転していた紳士は男と女の二人連れを宿屋に案内して去っていきます。宿屋の使用人が男を見て容疑者だと騒ぎ立てていると、客たちのテーブルに座った女が殺人を犯すことになった経緯を語り始めます。ランジュという名の男はパリの印刷所兼出版社で「アリゾナ・ジム」という冒険小説を書きながら働いていたのですが、社長のバタラは不当な契約でその著作権を手に入れて借金の返済を工面していたのでした…。

原作としてクレジットされているジャン・カスタニエは、本作のアイディアをまず最初に友人だったジャック・ベッケルに持ち込みました。アパルトマンでの印刷工場や洗濯屋を舞台にした小さな世界に魅力を感じたジャック・ベッケルは自分で映画化を試みますが、プロデューサーはまだ助監督でしかなかったジャック・ベッケルを信用せずに、経験豊富なジャン・ルノワールに監督をオファーしました。その扱いにベッケルは激怒したと伝えられていますが、その後ジャック・ベッケルは『ピクニック』や『大いなる幻影』などのジャン・ルノワール作品で助監督をつとめていますので、プロデューサーの判断は当時としては適切なものだったのかもしれません。

撮影のジャン・バシュレはサイレント映画時代からフランス映画界で活躍していたキャメラマンで、ジャン・ルノワール作品では本作以外にも『どん底』や『ゲームの規則』でもキャメラを回しています。本作では、ジャン・バシュレのキャメラワークが大きな見どころとなっていて、大戦前にジャン・ルノワールが放った傑作群には、ジャン・バシュレとのコンビネーションが欠かせなかったことが伺えます。

ランジュ氏を演じるルネ・ルフェーブルはルネ・クレール監督が1931年に作った『ル・ミリオン』に主演していた人で、恋人役のヴァランティーヌを演じるフロレルはサイレント期から1950年代まで長く女優として活躍していたようです。一方でバタラ社長役のジュール・ベリーはピエール・ブラッスールと並び称されるほど派手な演技で大戦前のフランス映画界で存在感を誇っていた男優でした。1942年にはマルセル・カルネ監督の『悪魔が夜来る』に出ていますので、本作の出演者の中では一番の有名俳優だったと思われます。

【ご覧になった後で】部屋やアパルトマンを自由に動くキャメラが見事でした

いかがでしたか?殺人を犯して逃げてきた男女という導入部と宿屋の客たちに助けられてベルギーへの国境越えをするというエンディングにはさまれて殺人に至るまでの経緯を語るという構成が、オーソドックスな犯罪物っぽい雰囲気を醸成していましたが、何よりも印刷工場兼出版社や洗濯屋や貸し部屋が混在しているパリ下町のアパルトマンの描き方が秀逸でした。

中庭に入るとそこはパリの喧騒とは別世界で、日々の暮らしのために働く人たちや若い男女のささやかな恋愛が非常に生々しく現実感をもって描写されるのです。そんな中でかなり多くの人物が登場するものの、ジャン・ルノワールの語り口が軽妙なので、こんがらがることなく次々にどんな人物でどんな関係なのかがすぐに呑み込めてしまうんですよね。ここらへんは本当にうまいなあという感じでした。

中でもランジュ氏の部屋の中やアパルトマンの中庭を漂うようにして撮ったワンショットの長回しは本当に見事で、これはジャン・ルノワールの意図をキャメラマンのジャン・バシュレがくみ取ったうえでクレーンを巧妙に使うことで実現された映像術のひとつなのでした。部屋の中では家具や壁や部屋の中にいる人を構図を変えて次々に映しながら部屋そのものの存在を際立たせていきますし、アパルトマンの中庭では建物の構造がどのようになっていて、どの階で何が起こっているかを適切に描写していくように撮られています。

印象的なのは冒頭の宿屋の場面で、普通なら固定された三脚の上でキャメラをパンさせる程度のところを、ジャン・バシュレは狭い室内でうまくドリーを使って視点自体を移動させて湾曲するようなキャメラワークで室内の人々全員をうまく画面の中に収めてしまうのです。またアパルトマンでは軽業師の部屋の窓を塞いでいる看板を外す場面が一番の見どころで、キャメラの目線が一階から二階のレベルまで上がったり下がったりしながら看板が外れるところまでを映し、次のショットで部屋の中から明るい中庭が見えてくるようにつなげています。この流動するキャメラから固定したフィックスショットへの切り替えが本作の基本的リズムになっていて、映像の作り方を見ているだけでも飽きない作品になっていました。

その他では、出版社を協同組合の自主管理にしてから「アリゾナ・ジム」が売れ出してパリの街中で雑誌の発売日に人々が殺到するという場面での雑誌の表紙を重ねていくアニメーション処理が面白かったですね。こんな軽いタッチをからませているあたりももしかしたらジャン・ルノワールが自ら傑作と認める所以なのかもしれません。

まあストーリーそのものはジュール・ベリーの魅力があり過ぎてバタラ社長が悪役に見えないという欠点があったり、鉄道事故にあってからなぜバタラが一時的に姿を消したかの説明も不十分なので、今ひとつすっきりしないものがありました。駅までバタラを見送った秘書のその後もほったらかしでしたよね。しかし本作の魅力はジャン・バシュレのキャメラワークそのものだと割り切れば、ジャン・ルノワール監督作品として一度おさえておくべき映画だといえるのではないでしょうか。(U032523)

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