ライムライト(1952年)

チャップリンがアメリカで撮った最後の映画は喜劇役者とバレリーナの恋物語

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、チャールズ・チャップリン監督の『ライムライト』です。「Limelight」とは昔の舞台照明に使用された灰白灯のことですが、「注目の的」のような意味もあります。本作はかつては一世を風靡したものの今は落ちぶれてしまった喜劇役者と才能がありながら自信がもてないバレリーナのプラトニックな恋愛を描いたロマンスで、チャップリンがアメリカで撮った最後の映画になりました。またチャップリン自身が作曲した切なくも美しいテーマ音楽は、いつまでも心に残る名曲で、あの旋律を耳にするだけで映画の名場面が蘇ってくることは間違いありません。

【ご覧になる前に】本作公開後チャップリンはアメリカ再入国拒否となります

ロンドンのとあるアパートに酔っ払って朝帰りしたのは、かつては名声を馳せた初老の喜劇役者カルヴェロ。今では落ちぶれて酒に溺れるようになったカルヴェロはアパートに入ると、階下の部屋からガスがもれていることに気づき、中にいたテリーという若い女性を救い出します。ガス自殺が未遂に終わったテリーはバレリーナを目指していましたが、姉が街娼をしてまで自分のレッスン代を工面してくれていたことから自己嫌悪に陥ったのでした。そんなテリーを自室で看病するカルヴェロは、力強い言葉で生きることのすばらしさを熱心に語り、テリーは徐々に心を開いていくのですが…。

サイレント映画時代の喜劇王チャップリンは、1940年に初めて完全トーキーの『独裁者』を発表し、1947年の『殺人狂時代』では初めて素顔を出して主人公ヴェルドー氏を演じていました。そんなチャップリンを襲ったのが認知訴訟裁判と非米活動委員会への召喚。認知訴訟ではチャップリンの無罪が証明され、委員会へは最終的に出頭しなくてもよいことになったのですが、マスメディアをはじめとしてアメリカ世論は当時吹き荒れた赤狩りの勢いにのって、チャップリンが共産党シンパであるというレッテル貼りをするに至ったのでした。自らが設立したユナイテッド・アーティスツ社の負債を背負っていたチャップリンは『殺人狂時代』の興行収入でそれを補おうとしましたが、内容が左寄りだと見なされて大コケ。多大な税金にも悩まされていたチャップリンは、「世間は結局は恋の話が好きなのである」と次の作品に恋愛映画を選びます。そして1年半の準備期間を経て『ライムライト』が製作されたのでした。

中でも12分間に及ぶバレエ音楽の作曲には何ヶ月もの時間がかかったそうで、それでも五十人編成のオーケストラ曲を作曲してしまうのですから、チャップリンって天才としか言いようがありません。この美しい音楽でチャップリンはアカデミー賞作曲賞を受賞していまして、それは1972年度第45回アカデミー賞でのことでした。というのも『ライムライト』はアメリカでは上映ボイコットされまして、アカデミー賞の対象になる「ロサンゼルス地区で7日間以上公開された作品」という条件に合致したのは、なんと製作から二十年経過した後だったからです。

けれどもチャップリンは『独裁者』で主演男優賞と脚本賞、『殺人狂時代』で脚本賞にノミネートされただけで、一度もオスカーを獲得したことはありませんでしたので、もし1952年に本作が一般公開されていても受賞することはなかったと思われます。イギリス人のチャップリンはサイレント映画期からアメリカに居を構えてハリウッドで活躍していましたが、アメリカ国籍を取得することはありませんでした。レッドパージの対象にはならなかったとはいえ、世論はアメリカ市民になろうとしないチャップリンを追放して再入国を拒否するに至ったんですね。

チャップリンの相手役クレア・ブルームは本作がデビュー作。『ウエスト・サイド物語』の原作者として有名な劇作家アーサー・ローレンツによる推薦があったそうで、クレア・ブルームに巡り合ったことでチャップリンは数ヶ月を無駄なオーディションに費やしたと振り返っています。バレリーナのメリッサ・ヘイドンが振り付けでクレジットされていまして、一説には映画の中のバレエシーンはメリッサ・ヘイドンが吹き替えで踊ったのだとか。クレア・ブルームは本作撮影時には二十歳という若さながら、大変にしっとりとした演技を見せていて、チャップリンも大満足だったのではないでしょうか。

【ご覧になった後で】老いることの残酷さが描かれていることに驚きました

いかがでしたか?チャップリンは1970年代に入った頃、自作の旧作をリバイバルすることに力を入れ始めていて、それをドイツだかどこだかの映画祭で見た東宝東和の川喜多夫妻が日本でもチャップリン作品をリバイバル上映しようとして始めたのが「ビバ!チャップリン」上映企画でした。昭和47年の『モダン・タイムス』を皮切りに、この『ライムライト』は第四弾としてリバイバル上映されました。それを見た中学生のときには映画館で涙ボロボロ状態になった記憶があるのですが、現在的な目で見ると、老いることや衰えることを隠すことなくあからさまに映画にしていて、その容赦のない残酷さに驚いてしまいました。

チャップリンの老いた容貌もそうですが、中学生の頃は笑いながら見ていた「ノミのサーカス」やバスター・キートンとのデュオの場面が、今見るとチャップリンの芸がサイレント映画期よりも確実につまらなくなっていることに気づかされます。『街の灯』のボクシングの場面や『黄金狂時代』のコッペパンのダンスなどは21世紀になってもまったく色あせることのない超一級エンターテインメントの至芸として生き残っていますが、それとは反対に『ライムライト』に出てくる出し物ははっきり言って全部面白くないです。チャップリンが意図して笑えない芸をやっているのか、これで観客が笑うと本気で思ってやっているのかはわかりませんが、どちらにしても本作は老いることや劣化することの残酷さをチャップリンが自らをさらけ出して描き切った作品だったんではないでしょうか。

とは言っても舞台の場面以外ではチャップリンの演技はものすごく巧くて、しかもカルヴェロがかつての喜劇王であったという尊厳のようなものを演技で見せてくれていました。アパートの部屋代は滞納しているのに暮らしぶりは上品で、ニシンをつまんだ手をタオルで拭き、そのタオルをすぐに洗濯籠に放り込むなどのちょっとしたしぐさで高潔な暮らしぶりを表現しています。また「日本の木」とか「パンジーはこう」とテリーを励まそうとしてやる即興的なパントマイムが抜群に巧くて、舞台での惨めな姿とは一転して本当に生き生きとカルヴェロを演じていました。

本作の弱いところは、後半にカルヴェロが自分が演じる道化役の代役探しが始まったことにプライドを傷つけられてテリーのもとから去るあたりでしょうか。町の大道芸人になっているのに再会したテリーの推薦によってカルヴェロ公演が実現する運びになりますが、いかにしてカルヴェロが喜劇役者として舞台に立つだけの力を取り戻したのかが描かれていませんし、この凱旋公演の演目が実際に面白くないので、観客たちの笑いがすべてサクラのように見えてしまうのです。でもまあ、それも重箱の隅をつつくような些細な弱点かもしれず、全体としてはキャラクターもストーリーも非常に明快な映画であることは確かです。チャップリンの映画は、映像テクニックが駆使されるわけでもなく、主に俳優の演技で引き込んでいくのみですが、それでも作品の世界に没頭させられてしまう魅力があるのです。

映画評論家たちが本作をどう評価したかを加えておきますと、日本で公開された1953年にはキネマ旬報ベストテンで外国映画第二位に選ばれています。その前の年は、遅れて公開された『第三の男』や『天井棧敷の人々』があったにも関わらず『殺人狂時代』がトップにランクされていますので、当時の日本映画界においてはチャップリンはある種権威みたいなものだったのでしょうか。それとは正反対に当時高校生だったイラストレーターの和田誠は本作をこっぴどくケナすコメントを鑑賞ノートに記していて、そのことを小林信彦が褒めていたのをどこかで見たような気がします。かたや植草甚一は「いろいろな場面を思い浮かべながら歩いていると、チャップリンの顔をダブってきて、また涙が流れた」とJJおじさんらしくない感傷的な批評文を残しています。やっぱり昔からチャップリンを見てきた人ほど、カルヴェロがチャップリンそのものに映ってしまって、余計に感情移入したのかもしれませんね。

本筋とはあまり関係ありませんけど、エンパイアシアターのボダリンクを演じていた俳優がどっかで見た顔だよなと思っていたらノーマン・ロイドでした。ヒッチコック監督の『逃走迷路』で自由の女神からアレーっと落下していくあのフライ役をやった人ですよ。貧相な背広を着ていてその袖がほつれて転落していったイメージからすると、やけに紳士然としていたので途中までフライの人だと気づきませんでした。(V050622)

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