愛人ジュリエット(1951年)

マルセル・カルネ監督がジェラール・フィリップ主演で撮った幻想劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マルセル・カルネ監督の『愛人ジュリエット』です。フランス語の「Juliette ou la Clef des Songes」という原題は「ジュリエットまたは夢の鍵」を意味していまして、日本ではなぜか不倫ドラマを想起させてしまうような下手な題名で1952年に公開されました。刑務所の場面から始まるので暗い犯罪映画かなと思わせるのですが、扉を開けるとそこは一転して、という展開になる幻想的なドラマです。主演はフランス随一の美男俳優ジェラール・フィリップ。監督は『天井桟敷の人々』を撮ったマルセル・カルネです。

【ご覧になる前に】フランス映画を代表するスタッフにも注目したいところ

ミシェルは恋人のジュリエットと会いに行く靴を買うために勤め先の売店から売上金を盗んで投獄された青年です。刑務所の牢屋の中で眠りに落ちたミシェルは、突然開いた扉から外へ出て、光と緑があふれる山間の村に行き着きます。行き交う人に村の名前を訊いても誰一人そこがどこなのか答えてくれません。ミシェルが村の伝達役だという老人にこの村にジュリエットがいないかを尋ねると、老人は村人を集めてジュリエットを探せと知らせます。その知らせを耳にした城主の男は、近くにいた金髪の美しい女性がジュリエットなのではないかと思いつき、声をかけるのですが…。

「ジュリエットまたは夢の鍵」が戯曲家のジョルジュ・ヌヴーによって書かれたのは1927年で、ファルコネッティ劇場で舞台化されたのは1930年のことでした。マルセル・カルネは第二次大戦前からこの作品を映画化したいという構想をもっていて、ジャン・マレー(ジャン・コクトー『美女と野獣』の野獣)とミシュリーヌ・プレール(『肉体の悪魔』でジェラール・フィリップと共演)の二人で1941年に一度は製作が開始されたものの、戦争によって中止になってしまったのだとか。戦争中にはマルセル・カルネは『天井桟敷の人々』にとりかかりっぱなしでしたので、戦後になって『港のマリー』に続いてやっと本作の映画化を実現させたのでした。

なのでスタッフはマルセル・カルネ監督作品におなじみの職人たちが顔を揃えています。映画の中ではお城が舞台になるのですが、その城の内部を設計しスタジオセットにしたのがアレクサンドル・トローネル。また村に入ると鳴り響く高揚感あふれる音楽を作曲したのがジョゼフ・コズマ。この二人はともにユダヤ人で、ナチスドイツ占領下にあったパリでは活動ができず、南フランスの山中に隠れて『天井桟敷の人々』の現場スタッフに指示を出していた人たちです。ドイツから解放されたパリで『天井桟敷の人々』が公開されたときに、マルセル・カルネ監督はトローネルとコズマの二人を「地下からの協力者」としてクレジットに大きく表示したのでした。

撮影のアンリ・アルカンは、『美女と野獣』やルネ・クレマンの『海の牙』などを撮影したフランス映画を代表する名キャメラマンで、その後はハリウッドで『ローマの休日』やジュールス・ダッシンの『トプカピ』を撮っています。『レッド・サン』や『ベルリン・天使の詩』などの話題作も手がけていますので、高齢になっても一線級の活躍を続けた人でした。

センスのない邦題を命名してこの映画を日本で公開したのは「新外映配給」という会社。ヨーロッパ映画を日本に紹介した最大の功労者は東和の川喜多夫妻ですが、新外映は東和が配給しない名作を輸入していまして、1050年代にはロベール・ブレッソンの『抵抗』やジャック・タチの『ぼくの伯父さん』、1960年代には『勝手にしやがれ』や『太陽がいっぱい』などが新外映の手によって映画館にかけられています。

【ご覧になった後で】夢だとわかっていても「忘却の村」に浸れる映画でした

いかがでしたか?本作はなんとも不思議な肌触りのする映画で、学生の頃にフィルムセンターで見たことがあるのですが、その後の記憶の中には刑務所の場面などは一切消えていて、幻想的な森の中にある村の光景が強烈に残っていました。再見してみて、結果的にはよくある夢オチのお話ですし、しかも夢であることが冒頭部で明確に描かれているのにも関わらず、その夢に出てくる「忘却の村」がいかにもそこにあるようなリアリティがあるので、その世界に浸ってしまうのだとわかりました。寓話というかおとぎ話というかファンタジーなんですが、その世界はあくまで夢そのもので、一皮剥くと最悪の現実が待っているというギリギリの浮遊感が本作の魅力のような気がします。

俳優ではジェラール・フィリップが美男なのはもちろんのことですが、ジュリエットを演じるシュザンヌ・クルーティエの一歩間違うと白痴美的な覚束なさが良かったですね。他の出演作では『赤い風船』くらいしか目立った作品がないので、このジュリエット役がハマり過ぎて、どの映画に出てもジュリエットに見えてしまったのかもしれません。完璧な金髪と白い肌と透き通るような瞳が親しみを感じさせると同時に、ひんやりとした何もない空虚を表現しているようでした。あとはアコーディオン弾きをやったイヴ・ロベールあたりが印象的でしたが、映画界での活動は短い人でした。

本作はロケーション撮影を多用していまして、昼間の村の場面はほぼ自然光のもとで撮影されています。そこでキャメラマンのアンリ・アルカンは、絞りをやや飛ばし気味にして外光のまぶしさをうまく表現していました。また、一転して城の内部はスタジオ撮影ですが、トローネルのセットが奥行きと円を使って不思議な城の内部構造を作っていて、ミシェルにとってもジュリエットにとっても魔宮の迷路に迷い込んだ感じを醸し出していたと思います。

しかしながら本作は幻想劇のように見えて、なかなか深みのある哲学的なところを感じさせる映画でした。犯罪を犯した過去のことを忘れたいと願う主人公。過去のことを一切記憶することができずすぐに忘れてしまう村人たち。ジュリエットはミシェルと恋をしたことを思い出すかのように見えて、実は過去をもつことに憧れていただけに過ぎない。そして現実世界のジュリエットが自分を裏切ったと知ったときにミシェルは自ら死を選び、忘却の世界に旅立っていく。なんとも皮肉というか、切ないというか、現実逃避というか、哀愁漂う映画なのですが、光と緑にあふれた映像の記憶として残っていたこともあり、マルセル・カルネは過去に縛られないことがある種のユートピアなのであると言いたかったのではないでしょうか。(A051622)

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