奈良を舞台にした文化勲章を授与される世界的数学者とその家族の物語です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渋谷実監督の『好人好日』です。中野実の原作を松山善三が脚色した物語は、世界的にその業績が注目されている大学の数学教授が主人公になっていて、好きな相手と結婚したい娘とそれを支援する妻の三人家族の情愛が描かれます。舞台となるのは古都奈良。奈良の大仏が登場するほか、高台の高原から奈良の街を見下ろすロングショットが髄所で効果的に使われています。松竹一筋だった渋谷実にとっては監督キャリアの晩年期にあたる作品となりました。
【ご覧になる前に】渋谷実によって笠智衆がいつもとは違うキャラを演じます
奈良の大仏に願掛けをしている登紀子は、奈良公園で誰に声をかけられたかもわからず返事をしている父親の尾関教授をおいてひとりで家に帰ります。登紀子が母親の節子に相談したのは、付き合っている市役所の同僚の佐竹との縁談話で、登紀子が両親の本当の子ではなく養子であることや由緒ある炭屋を営む佐竹家との格式の違いなどを気にしているのでした。尾関教授はアメリカの学会から講演を依頼されるほど世界的な数学者なのですが、数学以外のことは全く何もできず妻にまかせっきりの暮らしを送っており、唯一の楽しみのコーヒーも節子に一日何杯までと制限されて近所の喫茶店に出入りしてTVでプロ野球中継を眺めます。そんなとき大学に尾関教授の文化勲章受章が決定したと連絡が入り、尾関教授は一躍時の人となるのでしたが…。
原作を書いた中野実は岡本綺堂に師事して劇作家になった人。戦後には新派に向けて書いた「明日の幸福」が芸術祭賞を受賞するなどして劇作家の地位向上にも熱心に活動したそうですが、一方でユーモア小説もたくさん書いていて、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの三人娘が映画初共演した『ジャンケン娘』の原作が代表作と言われています。脚色したのは松山善三で、松竹で木下組の助監督をやっているときに高峰秀子と結婚して、その後はどちらかといえば脚本家として活躍していました。本作が公開された昭和36年には松山善三は初監督作品『名もなく貧しく美しく』を発表していますが、脚本のほうでも成瀬巳喜男の『妻として女として』、千葉泰樹監督の『二人の息子』といった作品を書いています。松山善三はこのとき三十六歳でしたから、映画人として最も脂がのっていた時期だったのかもしれません。
監督の渋谷実は昭和5年に松竹に助監督として入社し、昭和12年に『奥様に知らすべからず』で監督デビューすると一躍松竹大船のホープとして注目されます。戦役から戻ると昭和25年には『てんやわんや』で宝塚歌劇団を退団したばかりの淡島千景を映画デビューさせていますし、昭和26年の『自由学校』は大映との競作となりながらも佐分利信にサラリーマンをドロップアウトする男を演じさせ、昭和27年の『本日休診』では柳永二郎をお人好しの町医者に起用しています。このように俳優が持っている力に着目して、配役によって新しい魅力を引き出すのが得意な監督だったと言われていて、主人公に起用された笠智衆は、本作でも相変わらず老け役をやっているように思われがちですが、小津映画の父親とは全く違う偏屈だけど純粋な数学教授役で軽妙な喜劇的演技を披露しています。
母親役の淡島千景は本作出演時にはまだ三十七歳で、娘役の岩下志麻は二十歳でしたから十七歳差だったことになります。でもさすがに本作の前に渋谷実監督によって作られた『もず』で有馬稲子の母親役をやっている淡島千景ですから、年齢以上に年増に見せることなんか簡単という感じで、やや落ち着いてややくたびれた糟糠の妻ともいえるような役を質素に演じています。岩下志麻は前年に木下恵介の『笛吹川』と小津安二郎の『秋日和』で鮮烈な映画デビューを飾ったあと、商魂たくましい松竹によって毎月のように映画に出演させられて本作は連作ものを合わせると13本目の出演作でした。ですから初々しいというよりはもう十分に映画女優としての雰囲気をまとっての出演になっています。
岩下志麻はいつもおっとりしていて、スタッフや他の俳優たちが駆けずり回っている撮影所でひとりだけおっとりと構えていたことから「駆けずのお志麻」と呼ばれていたそうです。そんな岩下志麻に監督の渋谷実は「この映画は喜劇だから三拍子で芝居しなさい」と指導したんだとか。セリフ回しや動作をいつもより一拍早くすることで、喜劇的な演技の仕方というのを学んだと後に岩下志麻は振り返っています。
キャメラマンの長岡博之は松竹大船一筋の人で渋谷実監督作品でキャメラを回し続けてきました。前作の『もず』は渋谷実が文芸プロダクションにんじんくらぶに招かれて監督した作品でしたが、長岡博之もいっしょについていって撮影を担当していますから、ほとんどコンビのような関係だったのでしょう。音楽を黛敏郎がやっているのも注目ですが、オープニングタイトルにセンスの良いイラストが使われているのも奈良を舞台にした本作としてはちょっと意外な感じがします。このデザイナーは真鍋博で、星新一の文庫本や大阪万博のパンフレットのデザインなんかが有名ですね。
【ご覧になった後で】平屋の日本家屋の美しさを伝える構図が印象的でした
いかがでしたか?シネマスコープのカラー作品で奈良の古寺や緑の多い風景を楽しむことができましたが、本作のような小品をわざわざ大画面のカラー作品で作る必要があったのかなとやや疑問に感じてしまう一方で、そのおかげで平屋の日本家屋の室内が実に美しくキャメラに収められたというメリットも感じられました。渋谷実と長岡博之の共同作業なんでしょうけど、小津安二郎とは違って必ず室内を斜めから撮るんですよね。しかも襖を開け放した隣の部屋から広角レンズで撮っているので、平屋をすーっと突き抜けていく空間の広がりが斜め構図の中に遠近感をしっかり伴いながらおさめられているのです。
同時に当時の庶民の暮らしが普段通りに再現されているので、襖紙の色やデザインが楽しめると同時にところどころ破れたのを補修したりした跡が残っていたりするのがしっかり映っています。畳の和室ですから座卓が置かれていて、庭に向けては縁側が設えられています。ここで笠智衆が背中を丸めて体育座りをしながらコーヒーを飲んでいるという絵が本作の基本的なトーンを形成しています。このようなキャメラと美術が一体となってひとつの日本家屋の空間を作ってしまうところが日本映画の真の実力だったような気がしますね。美術を担当したのは浜田辰雄という人で、松竹蒲田時代から舞台設計や美術監督を長く勤めあげてきたキャリアを持っています。『晩春』『麦秋』『東京暮色』『お早う』など小津作品も多く担当していますし、黒澤明が松竹で撮った『醜聞』なんかも浜田辰雄が美術をやっています。
ストーリーはいたってのんびりとしていて、娘の結婚話と父親の叙勲騒動がからみ、三木のり平の泥棒がアクセントを添えるというような構造になっています。結婚話のほうでは川津祐介の実家にいるお祖母ちゃんを北林谷栄がやっているのが実に面白く、頑固者でありつつ一番理解が早いという老婆をうまく演じていました。このとき北林谷栄はまだ五十歳。さすがの老け役ですね。かたや笠智衆は五十七歳になっているので、若いときから老人役をやっていて実年齢が役に近づいていた時期の出演です。小津映画のしんみりとした老人ではなく、本作では頑固で偏屈で変人の数学者というちょっと変わった役どころでしたが、それを笠智衆が嬉々として演じている感じがよかったですね。本人もいつもとは違うキャラクターなんで嬉しかったのではないでしょうか。
この数学者には実はモデルがいたんだそうで、京都帝国大学時代に湯川秀樹や朝永振一郎を教えたこともある岡潔が尾関教授のもとになっているということです。研究分野は多変数複素関数論という、なんだかよくわからない数学論を打ち立てたことが認められて、昭和35年に文化功労者と文化勲章を受章しています。映画の終盤で菅井一郎が演じる旧軍人が従軍時の戦訓によってもらったという勲章を見せて、尾関教授に文化勲章を見せろと迫る場面が出てきますが、文化勲章というのがいわゆる文化人にとっての最高の叙勲なんだそうで、科学技術や芸術分野でめざましい功績をあげた者に授与されることになっています。カラー作品なので三木のり平が盗む勲章がくっきりと映像として映りますけど、橘の五弁の花をかたどった銀色の章に淡紫色で幅3.7cmの綬の組み合わせは確かにちょっとありがたいもののような感じがするデザインでした。
三木のり平の泥棒が忍び込む東京の下宿という設定も二階に物干し台があったりして、実に古めかしい下宿のたたずまいが良い雰囲気を醸し出していました。このようにフィックスの画面を基本としてしっかりしたキャメラと美術による絵作りが楽しめる作品でしたが、そこに加えて笠智衆や淡島千景や北林谷栄が楽しんで老け役を演じている余裕みたいなものが乗っかって、鷹揚な構えをした軽めの味わいがする小品という出来栄えになっていました。傑作とまではいかないけれど、このような見ていて気分がよくなるようなホームドラマが松竹の得意とするところだったのでしょう。昭和36年の松竹というと、前年は大島渚を中心とした松竹ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれた過激でラジカルな作品群で話題をさらいながらも、政治的傾向が顕著になるとそのムーヴメントに自ら蓋をするという松竹にしては激動の時期でした。大島渚らが松竹の保守的な体制に嫌気がさして退社していったとき、この渋谷実ののほほんとしたホームドラマ喜劇が復活するようにして製作されたわけで、岡潔博士の文化勲章受章を笑いの種にするような題材はヌーヴェル・ヴァーグ以前の松竹ではもしかしたらできなかったのかもしれませんね。(U072323)
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