内田吐夢監督が本分を果たそうとする警察官の姿を描いたサイレント映画です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、内田吐夢監督の『警察官』です。日本映画初のトーキー作品は昭和6年に松竹蒲田撮影所で作られた『マダムと女房』でしたが、トーキーは特殊な機材やスタジオを必要として製作費もかさんだため、一気に普及するまでには至りませんでした。この『警察官』は昭和8年の新興キネマの作品でして、松竹の傍系の会社でもありトーキーではなくサイレントで製作されています。しかしながらサイレント映画ならではの映像表現が詰め込まれていて、本分を果たそうとする警察官の奮闘と苦悩を描く内田吐夢の演出力が堪能できる作品です。
【ご覧になる前に】昭和7年の「赤色ギャング事件」がモデルになっています
警察官の伊丹巡査は今日も庶民の安全な暮らしを守るために道路で検問をしていましたが、車に乗っていたのが学生時代の親友哲夫で、伊丹巡査が仕事を終えた後で二人は昔を思い出して語り合いました。伊丹は宮部巡査に出会い警察官となったのですが、哲夫は裕福な父親と折り合いが合わずに放蕩生活を送っているようでした。そんなあるときに銀行強盗事件が発生し、ピストルをもった犯人が発砲して宮部巡査が重傷を負ってしまいます。宮部巡査は伊丹に犯人が片足に怪我をしていることを告げ、伊丹は犯人の手がかりをつかもうと必死に捜査を続けるのでしたが…。
「赤色ギャング事件」は「大森銀行ギャング事件」とも呼ばれていて、昭和7年に起きた銀行強盗事件でした。第百銀行大森支店に白昼堂々ピストルを持って現れた強盗が現金3万円を奪って自動車で逃走するという手口が、当時のアメリカ映画に出てくるギャングそのものだったことから「ギャング事件」と称されて新聞などで大きく取り上げられたのです。赤色というのは犯人が日本共産党の党員だったからで、武装蜂起のための資金を獲得しようという目的で、密輸業者から何十丁と手に入れたピストルで銀行員を脅した末の犯行でした。
この事件を小説化したのは大阪毎日新聞記者出身で新国劇で劇作家をやっていた竹田敏彦という人で、新興キネマから満映に移ることになる山内英三という人が脚色しました。監督の内田吐夢は大正時代から映画業界に入り、最初はハリウッド帰りのトーマス栗原の助監督をしながら俳優もやっていたそうで、確かに若いときの内田吐夢は映画俳優にふさわしいほどの美男子ぶりだったようです。京都の日活で監督に昇進すると次々に新作を量産するようになり、新興キネマに移って本作を製作しましたが、すぐに日活多摩川に移籍して『土』を発表、これが戦前の内田吐夢の代表作になりました。しかし日活の方針と合わなくなって満州に渡り満映に入社。甘粕正彦のもとで現地の人々に映画製作の基本を教育しました。『ラスト・エンペラー』で描かれたイメージとは違って甘粕正彦は日本文化を強制しようなどとはせずに、現地の人による現地の観客が喜ぶような映画づくりを支援していたらしいです。
主演の小杉勇は内田吐夢の『土』にも主演することになるのですが、日活の京都から新興キネマ、そして日活多摩川に移るという内田吐夢と同じルートをたどってやっぱり大量の映画に主演しています。また小杉勇は戦後には監督としても活躍していて、70本に及ぶ作品を東映や日活で残しています。相手役の中野英治は法政野球部で活躍したスポーツマンで、映画界入りしてからは現代劇を主戦場にしていました。当時の人気投票では阪東妻三郎に次ぐナンバー2にランクされるほど人気があったそうで、確かにバンツマとは全く違ったモダンな雰囲気をもった俳優さんでした。
あとチェックポイントは舞台設計としてクレジットされている水谷浩司。この人が後に松竹から大映へと移って溝口健二監督作品の美術をすべて担当することになる水谷浩なのです。本作はまだ映画界に入って数本目の担当作品ですので、本当に駆け出しの頃の水谷浩の美術セットが見られるのも本作の特徴のひとつにあげられるでしょう。
【ご覧になった後で】サイレントなのに熱い友情が熱い演出で描かれました
いかがでしたか?トーキー映画が台頭してきたのでサイレント映画は衰退の一途をたどる時期ではないかと思い込んでいたのですが、逆にサイレント映画としての映像表現が完成の域に達していて、「音がなくても十分に伝わる映画」の完成版を見る思いがしました。たぶん新興キネマではトーキーを作る環境がなかったのだと思いますし、トーキーでなくてもサイレントで十分だみたいな気概をもって本作は作られたのかもしれません。その点で内田吐夢監督の映像演出は非常に熱いものが感じられました。
どう熱いかといえばキャメラがめったやたらに動き回る躍動感が熱いです。冒頭の検問場面から移動ショットをバンバン使っていますし、特にバイクとサイドカーを横移動で撮ったショットなんかは明らかに待ち構えていた自動車の屋根の上にキャメラを乗っけてバイクの走り出しと同時に移動ショットに移行しています。昭和8年にこんなダイナミックな移動ショットを実現していたのは驚異としかいいようがありません。またここぞというときのドリーを使ったトラックアップまたはトラックダウンショット。警察署長のバストショットからグーっとキャメラが引くと署員全員が勢揃いしているのが映るなんていうのも物語の急転をよく伝えていました。
さらに人物の感情表現も豊かというかわかりやす過ぎるというか大仰というか、とにかく熱い表現で内面描写を行っていました。伊丹巡査が親友の哲夫が犯人であると確信する指紋採取の場面。ライターについた指紋を検出する手先の作業を細かいクローズアップショットのカッティングで見せておいて、哲夫が犯人だと悟るときにオーバーラップを使います。マスクをつけた銀行強盗とメガネをかけた哲夫が交錯するショットなんですが、字幕なしでも「やっぱり哲夫が犯人だったのか」というセリフが聞こえてきそうになるようなわかりやすい表現でした。またそれを知った伊丹を仰角で前から後ろから撮ったショットを重ねて伊丹の内面的な驚きや悔しさや悲しみを映像化していました。現在的に見れば「クサイ」のかもしれませんが、サイレント映画時代末期の作品だということを考えれば、あるいは初期のサイレントが舞台を観客視線で横から長回しで撮るだけだったことを考えれば、映像表現あるいは映画の文体はこの時期に確立されたんだなあと心を動かされてしまいます。
そんな内田吐夢の熱い演出に呼応するように小杉勇と中野英治の友情も熱く描かれていました。学生時代に芝生に寝っ転がって哲学の議論をする二人が歳をとってすき焼き屋の座敷で同じように横になる場面では、中野英治の手が小杉勇の髪を優しく撫でる動作が入りますし、クライマックスの橋の上で小杉勇が中野英治の手に手錠をかける場面では、中野英治のケガをした手をそっと握った小杉勇が相手の両肩を抱いて慰めてやります。これってまさにボーイズラブの世界そのものを表しているようにしか見られませんよね。小杉勇も中野英治も妻や子供がいるようには描かれていませんので、本作は久しぶりに再会した学生時代の親友(恋人)同士が捕まえる側と捕まる側になってしまった悲劇だと言ってもよいかもしれません。橋の上にいたるまでの道では猛然と走る二人の横移動ショットが交互にカッティングされるのですが、いつのまにかどっちがどっちだかわからないようになります。これも二人が表裏一体というか一心同体の恋人同士だったことの表現だと思われます。
また水谷浩が美術をやっていたわりには、街頭ロケが多く使われていて、特にビリヤード場の周りの長屋が迷路のようになっていて、その路地を使って伊丹が哲夫の手下を追跡する場面の短いショットの積み重ねは本当に見事でした。ここでは横パンが効果的に使われていて、急速横パンを繰り返すことによってサスペンスフルな追跡シーンが表現されていました。戦前の内田吐夢というと日活の『土』が代表作のように伝えられていましたが、貧農の苦悩を描いた地味な『土』よりはこの『警察官』のほうがはるかに内田吐夢の監督としての持ち味が発揮された作品だと思い直した次第です。(Y110622)
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