風の視線(昭和38年)

「女性自身」誌に連載された松本清張の原作を新珠三千代主演で映画化

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、川頭義郎監督の『風の視線』です。松本清張は推理小説の大家ですが、不倫を扱った恋愛小説も書いていて、本作は昭和37年に女性向け週刊誌「女性自身」に連載された小説の映画化作品です。若い検事が人妻と不倫関係に落ちる『波の塔』も「女性自身」での連載でしたから、たぶん女性読者に評判になって、その二番煎じ的に書くことになったのでしょう。三島由紀夫が「美徳のよろめき」を書いたのは昭和32年で「よろめき夫人」なんて言葉が流行ったそうですから、昭和30年代半ばの日本の大衆誌には人妻の姦通もので読者を喜ばすという風潮があったのかもしれません。

【ご覧になる前に】不倫関係が幾重にも複雑に重なる多重不倫構造のお話です

カメラマンの奈津井は見合いで結婚した千佳子との新婚旅行をほっぽり出して、雪原の撮影に夢中になっています。その帰りに松島に立ち寄った奈津井は旅館の離れに見慣れた女性の草履があるのに気づきます。その草履の主は亜矢子という人妻で奈津井に千佳子との結婚を勧めたのですが、密かに亜矢子を愛していた奈津井は自暴自棄になって千佳子と結婚したのでした。亜矢子はシンガポールに赴任している夫がありながら新聞社の事業部に勤める久世と逢瀬を重ねていて、不在の夫に代わって目の不自由な義母の世話をしていますが、夫の竜崎から突然日本に帰国するという知らせを受け取りました…。

松本清張の原作を脚色したのは楠田芳子で、木下恵介の実妹であり、木下組のキャメラマン楠田浩之の奥さんでもあった人です。兄の木下恵介とは歳がひと回りも離れていたので、幼い妹として大変に可愛がられて、浜松から上京して蒲田に住んでいた恵介の家に同居して実践女子大に通ったそうです。映画監督の兄から脚本のセンスを学び、楠田浩之と結婚した後の昭和29年に『この広い空のどこかに』で脚本家としてデビューしました。ちなみに本作の音楽は木下忠司が担当していて、楠田芳子との兄妹コンビで本作に参加しています。

監督の川頭義郎も木下組で助監督をつとめた人。木下恵介はとにかく気が利いて腰の軽い助監督でなければ気が済まない人で、はじめは撮影部の助手をしていた川頭義郎の動きの良さが気に入り、助監督に引き立てることになりました。川頭の監督デビューは昭和30年の『お勝手の花嫁』というSPもので、木下恵介から脚本を提供してもらっています。SPとは「シスターピクチャー」の略で、当時の松竹では封切り番組を二本立てにするためと新人監督や新人俳優を見い出すために、長編を撮る前にSPで腕試しをするのが慣わしになっていました。川頭義郎は無事にその試用期間をパスして昭和35年には鰐淵晴子主演版の『伊豆の踊子』を監督したりしています。川頭は「かわず」と読みまして、松竹で活躍した俳優の川津祐介は実の弟。八十六歳で亡くなった弟とは正反対に兄の川頭義郎は四十六歳で夭折しています。

本作は登場人物が多重的に不倫関係に陥るお話なので、誰が主人公なのかわからないくらいでして、クレジットタイトルの一番最初に出てくるのは岩下志麻と山内明と園井啓介の三人で、最後のトメで出てくるのが佐田啓二と新珠三千代の二人です。新珠三千代は東宝専属だった時期で、クレジットにも(東宝)と表記されていますので、実質的な主人公は亜矢子を演じた新珠三千代だと言っていいでしょう。出演者の中でも注目は松本清張本人。カメオ出演というレベルではなく、「富永先生」というちゃんとした役で出ています。まあ出演しないほうがよかったかもしれませんけど。

【ご覧になった後で】演技で見せる映画でしたが素人が一人いて興覚めします

松本清張原作なのに推理ものでも犯罪ものでもないメロドラマなので、映画監督的には映像テクニックで攻めるよりも、画面の中にしっかりと俳優たちの演技を収めるようにしようという意図だったのだと思います。川頭義郎監督の手堅い演出は、基本的にはフィックスショットを多用して、画面サイズも俳優の演技をきちんとフレーム内に捉えられるミディアムショット中心に組み立てられています。楠田芳子のシナリオも複雑な不倫関係をうまく捌きながら、五人の男女による多重不倫ストーリーを語っていて、大きな破綻はありません。

なのでしっかりしたスタッフワークに支えられて、あとは俳優が役になりきって演技すればそれなりの映画になるのを待つだけなのですが、なんと一人だけド素人が混じっていて、その人の演技があまりに下手なのですべてが興覚めになってしまいました。そのド素人は園井啓介さんでして、この人は顔も良くないし声も低すぎてボソボソとしか聞こえないし背も高いわけでなく、NHKドラマの「事件記者」に出演して映画界に入ったようですが、一体何を買われて俳優になったんでしょう。カメラマンの奈津井は映画の冒頭から出番がありますので、観客を物語に引き込む役割があるわけですが、園井啓介があまりに下手で全く感情移入できないので観客としては誰に思い入れをしてこの映画の世界に入っていけばいいのかわからなくなってしまうのです。もう園井啓介の存在そのものが観客からすれば場違いでしかなく、この人が出てくるだけで不愉快な気分になってきます。

愛する女性から勧められた相手を妻に迎えたという原作の設定なんでしょうけど、新婚早々妻をひとり旅館に置いて仕事に行ってしまう男性なんて現在的にいえばあり得ないですよね。さらに妻がその仕事に一緒に行くと無理をしているのに一人だけ雪原を先に行ってしまい、さらには自殺した男の死体を見つけて、まあ普通のカメラマンが何をもって雪の中に倒れている人を見て死体だと断定するのかもわけがわかりませんが、警察に行くでもなくいきなり写真の素材としてその死体を激写し始めるなんて、こんな人いますかね。青森弁の警察官に叱られるのですが、本当によほど警察に報告に行った子供たちのほうがまともだと思います。

まあこんなひどい人物に見えてしまうのも園井啓介の演技が上っ面だけで演じているからで、その後も妻に「互いに干渉しないようにしよう」と告げておきながら、仕事で遅く帰って妻がいないと「なんでこんな外にいるんだ」と干渉してくるし、岩下志麻がドキドキしながら寝室に行くともう寝ちゃっているし、かと思えば違う晩にはいきなり布団に引きずりこむしで、もうこの時代の男性っていうのは女性の気持ちを踏みにじることしか頭にないのかというくらい最悪なキャラクターでした。

さらには山内明演じる竜崎もひどい男でして、身体の関係だけの愛人にしていた岩下志麻のことをいろいろ調べさせてまた弄ぼうとするスケベぶりを見せます。ところがそんなスケベじじいの山内明のことを岩下志麻が忘れられないというのが不思議なストーリー展開でして、なんでそんなひどい男のもとに行ってしまうんだろうかと考えると、やっぱりあちらのほうが忘れられないということなのかと下衆の勘繰りを入れたくなってしまいます。ここらへんは脚本のまずさなので、楠田芳子も女性シナリオライターとしてもう少し工夫すべきところだったんではないでしょうか。

ド素人同然の園井啓介に比べると、佐田啓二と新珠三千代の二人は不倫男女のしっぽり感を堂々とした演技で映像に焼き付けていました。特に新珠三千代が別れの前に佐田啓二を誘う温泉宿の場面。ここは川頭義郎もショットを切るのがためらわれたのでしょう、長回しで二人の演技をとらえてくれているのでじっくりと不倫演技を堪能できます。本作の撮影時には佐田啓二三十六歳、新珠三千代三十三歳。まさに脂の乗った時期の二人が抱き合い唇を寄せ合う演技は本当に艶がありつつ悲壮感も漂わせていて、絶品ものでした。暗めの照明の中で二人をとらえたキャメラも秀逸だったと思います。

それに比べると最後に園井啓介と岩下志麻が心を開いて抱き合う場面は、ここでも園井啓介がラブシーンに全く似合っていないうえにキスの演技が下手過ぎて、見ていると「はじめて女性とキスする初心な男性に経験豊富な女性が積極的にキスの仕方を教える」みたいになってしまっていました。映画でも俳優の演技ひとつで、見え方も表現の仕方も全く本来あるべきものから違って見えてしまうんだなーと妙に感心してしまう場面でした。これでは岩下志麻が可哀想過ぎますよね。

あまりに園井啓介のことばかりになってしまいましたが、奈良岡朋子の奥さんも怖かったですねえ。飲み屋の女からの電話だけで不倫相手の夫のところに乗り込んでいく行動力。本当に女性のコワさが滲み出るような演技でしたネ。(A071122)

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