山猫(1963年)

ルキノ・ヴィスコンティ監督がイタリア貴族の終焉を描いた自伝的作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』です。イタリア貴族出身のランペドゥーサが書いた小説をヴィスコンティが監督した本作は、ヴィスコンティが唯一自分自身のことを描いた作品といわれました。オリジナル版は3時間7分にも及ぶ大長編なのですが、アメリカでの配給元の20世紀フォックス社が長過ぎるとクレームを出して2時間40分の英語国際版が編集され世界各国で公開されたのはその短縮バージョンでした。日本では1981年に岩波ホールでオリジナル版が初公開されて、現在見ることができるのはそのフィルムをデジタル処理でレストアしたもので、非常にクリアなカラー映像が堪能できるようになりました。

【ご覧になる前に】イタリア統一戦争末期のシチリアが舞台になっています

1860年のある日、シチリアの名家サリーナ家では当主ファブリツィオ以下家族全員が集まって神に祈りを捧げていました。屋外が騒がしくなったのは王軍の兵士が庭で死んでいたからで、おりしもシチリア島にガリバルディの私設軍隊が上陸したのでした。ファブリツィオの甥タンクレディは従妹にあたるコンチェッタとの結婚を期待されていましたが、ガリバルディの軍隊に入隊し、名誉の負傷をして帰還します。ファブリツィオはサリーナ家の慣習を守って前線を突破して避暑に出かけ、市長のセダーラを晩餐会に招待しますが、市長が連れてきた娘のアンジェリカは誰もが振り返るような美女に成長していたのでした…。

19世紀のイタリアは、オーストリア・フランス・スペインを後ろ盾とした小国に分裂していて、イタリア統一を目指す民衆運動が各地で勃発し戦争状態が続いていました。本作の舞台となっているのはシチリア島で、1860年になるとジュゼッペ・ガリバルディが千人隊と呼ばれる私設軍隊を率いてシチリアに上陸し、その勢いでイタリア半島南部に至る両シチリア王国を征服します。翌年にはイタリア王国が建国されるに至り、その後もヴィスコンティ監督が『夏の嵐』で描いたように普墺戦争でヴェネツィアを奪還するなど本当のイタリア統一は第一次大戦終結まで待たねばなりませんでした。

『山猫』の舞台になっているのはシチリア島のパレルモ。サリーナ家のモデルになった貴族の家は12世紀に建てられたといいますから、日本でいえば鎌倉時代から続く家系だったことになります。ちなみに『ゴッドファーザー』の主人公ビトー・コルネオーネもシチリア出身でしたが、コルネオーネ村はパレルモから南に50kmほど下った山間部にあります。いずれにしても歴史があってシチリアという島国という環境でしたから、保守的で変化を好まない土地柄であることは確かでしょう。

監督のルキノ・ヴィスコンティはイタリア貴族の出身ですが、シチリアではなくイタリア北部のミラノを地盤とするヴィスコンティ家の傍流の出だそうです。14世紀に建てられたお城の中で育ったことで、ただならぬ審美眼が育まれたのでしょう。軍隊退役後に映画界に入り、ジャン・ルノワールの助手などをした後に『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で監督デビューを果たしました。以降ネオ・リアリスモに寄った作品を発表して『若者のすべて』ではフランスからアラン・ドロンを招いて主役に抜擢しています。イタリア貴族の女性が軍人を愛してしまう1954年の『夏の嵐』ではじめて貴族階級を映画に取り上げていて、1960年代に入ってネオ・リアリスモが下火になってくると、ヴィスコンティは自身の原点でもある貴族階級の栄光と退潮を描いていくようになります。その最初の作品がこの『山猫』で、本作はカンヌ国際映画祭でパルムドールに輝きました。

主演のバート・ランカスターはハリウッドではいち早く俳優でありながらプロデューサーとしても活躍した人で、自身の出演作を自ら設立に加わったヘクト・ランカスター・プロで製作していました。『山猫』のプロデューサーであるゴッフレード・ロンバルドは『若者のすべて』でヴィスコンティ作品の製作を担当していましたが、莫大な製作費がかかりそうな本作では確実な興行収入を稼ぎ出すためにもファブリツィオ役に有名俳優を起用しようと目論んでいました。そんなときちょうどバート・ランカスターは『終身犯』の撮影を終えたところで次の予定が決まっておらず、ランカスターを使うなら20世紀フォックスが出資もしてくれるということになり、ランカスターのはじめてのイタリア映画出演が決まったんだそうです。

ルキノ・ヴィスコンティはファブリツィオ役には最初はロシア人俳優をあてようとしていて、それがダメとなるとイギリスのローレンス・オリヴィエに白羽の矢を立てたのですがスケジュールが合わず断念。そこにロンバルドからランカスター起用が告げられ、当初はヴィスコンティは失望してランカスターに冷たく厳しくあたっていたそうです。しかし撮影現場でのランカスターの情熱的でかつ誠実な態度に感銘を受け、互いに尊敬しあうようになったとか。でなきゃ『家族の肖像』で再度主演を頼んだりしないですもんね。

【ご覧になった後で】色彩溢れた絵画を見るようですが映画としては…

いかがでしたか?本作はどのベストテン企画でも必ず名前があがるほど名作の誉れ高い映画なのですが、オススメ映画とするにはちょっと面白さに欠けているような気がします。映像は本当にすばらしくすべてのショットが構図的に計算し尽くされていて、しかも色彩豊かで光と影による陰影も鮮やか。まるで有名な画家が描いた絵画の大作を連続して見せられているような気分になります。しかしながら面白い映画というのは、単に絵を見ているだけではつまらないんですよね。ストーリーがあって、組み立てられたプロットの中で、魅力あるキャラクターたちが自在に動く映画が見たいわけでして、その意味からすると『山猫』は名画ではありますが映画としては今ひとつなのではないでしょうか。

新しい世代の台頭と去り行く旧世代、あるいは古くから続く貴族と新しい国づくりの中心になる軍人、そうした新旧の対比が本作の主題であることは確かです。ランカスターが「山猫やライオンがジャッカルやハイエナに取って代わられようとしている。どちらも同じ地の塩を求めているんだ」というようなセリフを言う場面がありますが、地の塩とは愛や慈悲のことを表している一方で、腐敗を防ぐものという意味もあります。つまり自分たち貴族は間違いなく没落していくのであって、だからこそ変化を好まないのだといっているわけです。ヴィスコンティは本作ではじめて本格的に自らの出自である貴族階級を取り上げたのですが、それはヴィスコンティが貴族の没落や退廃、腐敗を描き始める最初の作品にもなったのでした。

それはともかくとして、映像だけを見ればこんなに豪華絢爛なショットを3時間以上も堪能できるのはすばらしいフルコースの料理をたっぷりいただくような贅沢だといえるでしょう。オープニングタイトルからしてサリーナ家の屋敷を紹介する映像が続くのですが、どれもこれしかないというアングルや移動ショットで撮られていますし、終盤の舞踏会の場面などは光の具合や飲み物・料理の配色に至るまで完璧にコントロールが効いていて、撮影現場はさぞ大変だったろうなと思われます。キャメラマンのジュゼッペ・ロトゥンノは『若者のすべて』や『白夜』でヴィスコンティとは一緒に仕事をしたことがある人で、本作の後でも『天地創造』や『オール・ザット・ジャズ』などハリウッドに招かれて撮影監督をつとめています。

もちろんバート・ランカスターは威厳があると同時に憂いも緻密な演技な表現していますし、クラウディア・カルディナーレのあばずれ寸前の淑女という腐る寸前のギリギリの美しさみたいな存在を見事に体現していたと思います。しかし本作の中で最も観客の目を惹きつけるのはやっぱりアラン・ドロンだったのではないでしょうか。もうこれ以上パーフェクトな美男子はいないというくらいのハンサムぶりなのですが、それ以上に明朗でヤンチャで野心家で暴君で、というタンクレディのキャラクターをこれ以上ないくらいに映像に刻み込んでいました。周囲と比べるとやや上背はないようですが、まあ欠点はそれくらいでしょう。男性から見れば、いい奴そうでもあり実はイヤな奴で、それでもぜひ友人でいてほしいタイプ。女性から見れば、あまりにいい男なので危険過ぎれ近寄れないけれど、近寄らずにはいられないしちょっとでも目を合わせてくれればそれだけで恋してしまうというようなキャラでしょうか。

しかし、なんと本作撮影時にアラン・ドロンは自分の出演料がバート・ランカスターより低いといって出演料の値上げをヴィスコンティに要求したんだそうです。ハリウッドの大スターだったランカスターより低いなんて当たり前じゃないスかねえ。そんな馬鹿げた要求をしてくるアラン・ドロンをヴィスコンティはついに見限ってしまい、本作以降は決してアラン・ドロンを出演させることはなくなりました。いやー、やっぱりアラン・ドロンって空気の読めないイヤな奴だったのかもという気もしますが、でもたぶんアラン・ドロンのような完璧な外見の男優はもう二度と出てこないでしょうね。(V081222)

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