ひばり捕物帖 かんざし小判(昭和33年)

美空ひばりを主人公にした「ひばり映画」を代表する時代劇ミュージカルです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、沢島忠監督の『ひばり捕物帖 かんざし小判』です。昭和の歌謡界を代表する歌手の美空ひばりは十一歳のときに『のど自慢狂時代』で映画デビューして以来、歌謡界とともに映画界でもヒットを連発するスターとして活躍していました。東映は美空ひばりを主演にしたいわゆる「ひばり映画」を大量生産しましたが、本作はその中の「ひばり捕物帖シリーズ」の一篇。美空ひばりの歌が堪能できるとともに、お姫様から岡っ引き、歌舞伎役者までまさに七変化の大活躍が楽しめます。

【ご覧になる前に】沢島忠監督は本作を契機にひばりのお気に入りとなります

盲目の宅悦和尚の横を走り過ぎる早耳の五郎八が向かった先は縁日に行われた奉納美人番付の舞台。選ばれた十人の中に岡っ引き仲間の阿部川町のお七がいて、歌と踊りが終わると美人たちは駕籠にのって練り歩きに出かけますが、その途中でお小夜という娘が首を一突きされて殺されてしまいます。凶器に使われた簪の行方を追う途中の河原で浪人に出会ったお七は古物商から事情を聞き出しますが、いつのまにか侍の集団に取り囲まれてしまいます。そこにけんか成敗を商売としているさきほどの浪人が現れ、お七を助け出してくれたのでしたが…。

美空ひばりは昭和24年に主演した松竹映画『悲しき口笛』が大ヒットして、主題歌のレコードも当時としては最高となる45万枚の売上を記録しました。以来歌手として活動するとともに嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗シリーズ」で杉作少年役を演じるなど映画出演を重ねていきます。昭和30年には東宝で雪村いづみ、江利チエミとともに『ジャンケン娘』に出演して三人娘として売り出すなど映画会社の枠に縛られずに出演作を選んでいだひばりですが、昭和33年に山口組三代目の田岡一雄が設立した神戸芸能社の専属タレントとなると同時に映画出演に関しては東映と専属契約を結びます。以降、東映は美空ひばりが主演と歌をつとめる「ひばり映画」を量産していくことになるのでした。

「ひばり映画」にはいくつかのパターンがあって本作を第一作とする「ひばり捕物帖シリーズ」(昭和28年に『ひばり捕物帳 唄祭り八百八町』という作品がありますがこれは松竹作品なのでカウント外です)のほかには「べらんめえシリーズ」「ひばり十八番シリーズ」などがあります。特別出演的な作品も含めると美空ひばりは昭和33年から昭和38年までに東映で60本ほどの映画に出ていますから、ほぼ毎月東映系の映画館では美空ひばりの出演する映画が上映されていたことになります。

監督の沢島忠は助監督として入社した東横映画が翌年東映になり、渡辺邦男監督の助監督をやった後に昭和32年に監督に昇進しました。本作は沢島忠にとっては監督三作目というキャリアの浅い時期にあたるのですが、前作の『江戸の名物男 一心太助』を見たステージママだったひばりの母親に気に入られて、本作の監督に起用するように申し入れがあったんだとか。時代劇であるにも関わらずミュージカル風の演出を取り入れたことから美空ひばりにも信頼されて、以降多くの「ひばり映画」を手がけることになります。昭和38年には東映やくざ映画路線の嚆矢となる『人生劇場 飛車角』を監督して、凋落する時代劇で低迷していた東映を救うことになったのですが、昭和39年にひばり親子から新宿コマ劇場公演の演出を頼まれ、東宝系の劇場の仕事をしたことで結果的に沢島忠は東映を退社することになります。

原作は瀬戸口寅雄という大衆作家で映画化にあたって脚本も瀬戸口本人が書いています。音楽の高橋半はトーキー映画移行期からの作曲家で『赤西蠣太』の音楽をやった人。日活が大映となり、東映に移ってからは京都撮影所の多くの時代劇に楽曲を提供しています。また本作は「総天然色・東映スコープ」で撮られていて、キャメラマンの松井鴻は戦前市川右太衛門が立ち上げた右太プロ出身の大ベテランでした。

【ご覧になった後で】中盤がダレますが終盤の歌舞伎パロディが見ものでした

いかがでしたか?開幕直後の縁日での美人番付舞台が豪華絢爛で、色とりどりの番傘をクルクル回しながら歌い踊る場面はミュージカルっぽい雰囲気が十分で大いに期待させる出だしでした。岡っ引きのお七は実は阿部伊予守の妹・妙姫であるという仕掛けも「実は~」という時代劇の王道を行っていて、美空ひばりがきっぷのよいキレのある爽快な演技を見せるので、なかなかの導入部ではありました。

しかし薄田研二が簪を集めて隠れ財宝を独り占めにしようというからくりが明らかにされた後は、展開に工夫がなく一本調子になってしまい、タルくて見ているのがツラい感じになってきます。東千代之介は怒鳴り声のデカさが耳障りなのと殺陣に切れ味がないため、侍の集団をけちらす剣士としてはちょっと動きが悪いように感じられましたし、堺駿二もキャラクターに変化がなく途中からくどさが鼻につくように思えました。ミュージカル調の場面も美空ひばりと東千代之介が酒場で酩酊するところで少し歌が入る程度で、ここらへんにもう少し大胆な音楽とダンスを使っても良かったような気もします。

ダレたまま終わるのかなと見ていると終盤でグッと盛り返してくるのがさすがに東映全盛期の時代劇なわけで、美空ひばりが将軍家の使いとして薄田研二の屋敷に乗り込んでいくところが歌舞伎の「河内山」のパロディになっていて、ホクロのために正体を見破られるとか「バカめ」と見得を切るとかの遊び心が効果的でした。続く芝居小屋の場面では「勧進帳」が上演されているという設定で、弁慶に扮した美空ひばりが延年の舞を踊ったあとに幕が引かれて六方を踏んで花道を下がります。さすがに舞踊も六方も型は今ひとつなのですが、まだ二十歳ちょっとだった美空ひばりが臆することなく堂々と弁慶を演じる姿には昭和を代表する大歌手へと成長する原石のような輝きがありました。東千代之介が芝居小屋に駆けつけるカットバックがなかなか小屋に近づいてこないのでイライラさせられましたけど、この終盤の盛り上がり方は沢島忠の演出力と美空ひばりの存在感の相乗効果だったと思います。

「ひばり映画」について映画評論家に聞くとこの『かんざし小判』が最も評価が高いらしく、佐藤忠男も著作の中で東映時代劇の一本に本作を挙げていたのが印象的です。東映が誕生したのは昭和26年のことですが、設立直後は松竹や大映の後塵を拝していた東映は昭和31年から昭和39年までの九年間連続で映画会社別配給収入でトップの座を維持し続けました。その原動力となったのが東映時代劇であり「ひばり映画」だったことは間違いありません。現在的には美空ひばりは昭和歌謡の第一人者として位置付けられていますが、映画史においても多大な貢献をした映画女優だったことを再認識することが必要なのかもしれません。(U080923)

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