五番町夕霧楼(昭和38年)

水上勉の小説を田坂具隆監督が映画化し佐久間良子の演技で大ヒットしました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田坂具隆監督の『五番町夕霧楼』です。昭和37年に発表された水上勉の原作は三島由紀夫の「金閣寺」と同じく昭和25年に起きた金閣寺放火事件をモチーフにした小説でした。映画化したのは時代劇からやくざ映画に移行しつつあった東映で、東映東京撮影所の所長だった岡田茂が佐久間良子を口説いて大胆な濡れ場を演じさせたことが大いに話題を呼んで年度配給収入第8位に入る大ヒットを記録しました。映画評論家からの評価も高く、キネマ旬報ベストテンでは『にっぽん昆虫記』『天国と地獄』に次ぐ第3位にランキングされています。

【ご覧になる前に】寺で修業生活を送った水上勉の実体験も反映されています

丹後の与謝半島で海を眺めていた伊作が倒れ、娘で京都五番町の遊郭夕霧楼の女将をしているかつ枝が帰郷しました。葬儀が終わると近所に住む三左衛門がやって来て娘の夕子を夕霧楼で働かせてくれと頼まれます。肺病の母と妹二人を残して京都に向った夕子は同僚の遊女たちに温かく迎えられ、かつ枝は西陣の織元でお得意様の竹末に夕子の水揚げを依頼します。ひと目で夕子を気に入り2万円の大枚をはたいて夕子と閨を共にした竹末は、夕子が初めてではなかったことをかつ枝に告げます。かつ枝が夕子のために郵便局で預金通帳を作って渡すと、夕子は京都の町を見物してくると言って外出するのでしたが…。

大正8年生まれの水上勉(みずかみつとむ)は福井県佐分利川沿いの貧しい家に生まれ、生家は死体を埋める谷の近くの薪小屋のようなところだったそうです。5人の兄弟の中からひとりを京都の寺の小僧に出そうということになり10歳から修行生活を送りますが、厳しさに耐えきれずに寺から出奔したこともあったとか。戦争中は満州に渡って結核を患うなど不遇の生活を送りますが、戦後は職業をさまざまに変えながらも昭和34年に出版した「霧と影」が認められて一躍流行作家に。昭和36年には「雁の寺」で直木賞を受賞し、金閣寺放火事件を自分自身の僧侶としての経験を交えて「五番町夕霧楼」としてまとめあげたのでした。

田坂具隆はサイレント期から日活で監督をしていた大ベテランで、『五人の斥候兵』は日本映画で初めて外国の映画賞を受賞(ヴェネツィア国際映画祭)したことで知られています。戦時統制で日活が映画製作を中止すると松竹に移籍しますが召集された広島で原爆投下に遭い、原爆症の闘病生活を余儀なくされます。大映で映画製作に復帰したのちに映画製作を再開した日活に移って左幸子主演の『女中ッ子』や石原裕次郎主演の『陽のあたる坂道』などを撮ったあと、昭和37年に東映に招かれた田坂具隆が東映期待の女優佐久間良子を任されたのがこの『五番町夕霧楼』でした。

佐久間良子は昭和32年に東映ニューフェイス試験を受験した際、水着審査を拒否したものの合格したという逸話が残っているくらいに清純派路線で売り出された女優さんでした。東映東京撮影所のプログラムピクチャーで出演作を重ねていた佐久間良子にとって昭和38年3月に公開された『人生劇場 飛車角』で演じた鶴田浩二の情婦役が大きな転機となり、女性の色香を表現できるようになったとともに私生活では鶴田浩二と熱烈な恋愛関係に陥っていきます。本作はその半年後の出演作で、女郎として水揚げされる場面で佐久間良子をヌードにして売り出そうというのが東映東京撮影所長の岡田茂の思惑だったそうです。裸にはしないと言い張る田坂具隆を岡田茂が説得し、裸を見せないエロティックな濡れ場を演出するということが妥協案となって、佐久間良子が悶える表情を撮影することになりました。

このシーンが映倫で問題となりカットを要求された東映は、佐久間良子のクローズアップを短縮することでなんとか本作を上映にこぎつけます。映倫とモメたことや「成人映画」として十八歳未満入場禁止の扱いとなったことでかえって芸能ニュースとしての話題が沸騰し、それが結果的に本作の大ヒットにつながりました。本作の2週間後に公開された今村昌平の『にっぽん昆虫記』も左幸子が胸を吸わせるショットが問題視されて「成人映画」となり年度ベストワンとなる配給収入をあげていますから、内容とは関係なくエロ路線で売り出せば男性客の動員が見込めることがわかり、日本映画界はこの年以降、エロを強調した作品に傾いていくことになります。

田坂具隆と共同で脚本を書いたのは鈴木尚之で、同じ水上勉の『飢餓海峡』を内田吐夢が映画化した際に脚本を書いたことでも有名です。キャメラマンの飯村雅彦は東映東京撮影所専属で、後に『日本侠客伝 花と竜』や『新幹線大爆破』の撮影を担当することになる人。また哀調を帯びた音楽は後期黒澤映画のメイン作曲家だった佐藤優の手によるものです。

【ご覧になった後で】佐久間良子の唇が印象的ですがドラマとしてはちょっと

いかがでしたか?クレジットタイトルのトメで「そして」と出てくるくらいに特別扱いされた佐久間良子を見ているだけで2時間15分の長尺が見られてしまうような、佐久間良子でもっている映画でしたね。髪をおさげ編みにして絣の着物で出てくる少女のような与謝の場面から、夕霧楼で徐々に女郎として成長していく経過まで、さまざまな表情を見せてくれるので飽きずに佐久間良子を見ていられますし、特にあのやや厚ぼったい唇は実に印象的で千秋実でなくても首ったけになってしまいそうでした。

現在的な目で見ると映倫がなんで問題視したのかが理解不能なほどに千秋実の手にまさぐられる佐久間良子の表情はわざわざ「成人映画」にする必要はないように思われますが、結果的に千秋実が映像に出て来ず声だけで佐久間良子の下半身を弄んでいるんだとわかり、それがかえって佐久間良子の表情をよりエロティックなものにさせていました。この場面もそうですし、この後で河原崎長一郎演じる櫟田から錠剤を飲ませてもらうところではその厚ぼったい唇に大きな丸薬が放り込まれて、コップの水が少しだけあごに残ったりするのがさらにエロティック度を増すような効果が出ていました。佐久間良子は『戦争と人間』の人妻役も良かったのですが、唇を強調した本作でもその熟した魅力を存分に発揮しています。本作出演時の佐久間良子はなんと二十四歳。この頃の女優さんって本当に成熟度が全然違いますね。

しかしながら本作がドラマとして今ひとつ盛り上がらないのは夕子の描き方に手落ちがあるからで、これは脚本のまずさなのかもしれません。与謝から京都に出て行く夕子は家族から離れる寂しさとともに京都の鳳閣寺にいる櫟田と会えるという期待に胸を膨らませていたはずですが、それを感じさせる描写が一切抜け落ちています。そして夕子が処女ではなかったのは夕闇の与謝の寺で櫟田と結ばれたからなのですが、夕霧楼での二人が一切関係せずプラトニックなままに過ごしたというのがしっかり描けていません。二人で歌を歌うなら布団に入る必要はありませんし、丸薬を飲ませるのに夕子が自分から櫟田の膝に頭を乗せるなんてするわけありません。いずれも二人が肉体的に関係していることを匂わせる演出になっているため、結核で入院した夕子が岩崎加根子演じる女郎仲間の敬子に自分と櫟田はプラトニックだったと説明するのが嘘のように聞こえてしまうのです。

また病院から遠くの火事を見ただけで夕子が櫟田の放火だと悟るのもなぜそれを直感できるのかが伝わってきませんでした。木暮実千代演じる女将が櫟田に夕子の入院の件を告げたことは夕子は知らないはずですし、翻って櫟田がなぜ放火してしまうのかもよくわかりませんでした。そして本作の一番の見せ場である失踪した夕子が自殺するのではないかと木暮実千代以下丹阿弥谷津子らが心配して話し合う場面。ここは長セリフが続いて女優たちの芝居だけに集中させるべき場面なのに、なぜか田坂具隆はキャメラを上下左右にゆっくりユラユラさせて落ち着かない雰囲気を過剰演出しようとします。それが芝居を邪魔しているようにしか感じられず、なんだか余計なお世話的な映像でした。

さらには夕子の自死は本作最高のヤマ場のはずなのに百日紅の木の下で倒れている佐久間良子を山の上から見下ろすロングショットでとらえるだけで、宮口精二の父親が「なぜ死んだ」と言うセリフでやっと自殺した状況がはっきりするという体たらくでした。この場面こそセリフではなく映像で夕子の自死を描くべきでしたし、木暮実千代たちの演技からの続きで佐久間良子の死に向う映像を見せるべきでした。文芸大作になり損ねて、単に佐久間良子の濡れ場だけが注目される映画になってしまったのは、こういう脚本と演出のまずさが要因だったのではないかと思われます。

ちなみに二度目は松竹で映画化されていて、夕子を松坂慶子、櫟田を奥田瑛二が演じています。水上勉は昭和54年に金閣寺放火事件をドキュメンタリータッチで追った「金閣炎上」を発表していて、松竹版は「金閣炎上」の要素も加えて山根成之が監督したとのことです。見てませんけど。(T111423)

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