銀嶺の果て(昭和22年)

志村喬・三船敏郎ら銀行強盗三人が北アルプスを逃走する山岳アクションです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、谷口千吉監督の『銀嶺の果て』です。学生時代から登山が趣味だった谷口千吉のために黒澤明が冬の北アルプスを銀行強盗三人組が逃走する脚本を書き上げ、谷口千吉にとっての実質的な監督デビュー作となりました。同時に東宝ニューフェイスの一期生として東宝に入社した三船敏郎の初出演作にもなっていて、山本嘉次郎監督の『新馬鹿時代』のやくざの親分役での撮影が先だったものの本作が8月公開で『新馬鹿時代』は10月公開となった関係で、三船敏郎の経歴上はこの『銀嶺の果て』が映画デビュー作とされています。日本アルプスの雪山でロケ撮影した迫力も相まって、キネマ旬報ベストテンでは第7位に選ばれました。

【ご覧になる前に】ロケ撮影で毎朝山小屋に一番乗りしたのが三船敏郎でした

銀行破り三人組が長野県下を逃走と報じた新聞を見ながら、温泉場の警察では警官と新聞記者が山小屋の先は素人では到底越せないはずだと話し合っています。旅館に泊まっている学生のコンビは向いの部屋にいる三人の男が犯人ではないかと思い、犯人の右手の指が欠けているのを確かめようと風呂で黒メガネをかけた男を待ち伏せします。その夜三人は宴会中の団体客をピストルで脅し身ぐるみ剥いで雪山へと逃走し、物置小屋でスキー板をくべた焚火で暖を取ります。翌朝犬を放って警察が追跡を始めると、黒メガネの男と前髪の長い男が撃ったピストルの音で雪崩が発生し、防寒帽を被った男は雪崩にのまれてしまうのでした…。

谷口千吉は早稲田大学在学中、後に俳優座を興す千田是也や東野英治郎とともに左翼演劇に没頭していましたが、弾圧を受けて大学を中退し、PCLに助監督として入社します。日活や松竹に比べて後発だったPCLは谷口のような演劇出身者や左翼くずれを採用していたので、戦後の東宝争議はそうした左翼運動経験者が主力となって経営と対立を深めることになるのですが、谷口千吉はそうした活動には深入りせずに助監督として山本嘉次郎に師事します。そのとき山本門下にいたのが一歳年上の黒澤明と一歳年下の本多猪四郎で、この三人は終生変わらぬ親友同士になったのでした。

黒澤明が昭和18年にひと足早く監督に昇進し、谷口千吉は昭和21年の『東宝ショウボート』という映画でやっと初監督を任されました。けれどもこの映画は藤山一郎や灰田勝彦、エノケン・ロッパ、エンタツ・アチャコなどの歌手やコメディアンが総出演するレビューものでしたので、この『銀嶺の果て』が本格的劇映画としては実質的な監督デビュー作だと言えるでしょう。谷口千吉は早稲田大学に通っていたときから登山に熱中していて、PCLに入社してからも暇さえあれば山登りに出かけてしまうくらいの山男でした。そんな山好きな谷口にぴったりの脚本を書いたのが盟友の黒澤明で、黒澤は『姿三四郎』で監督デビューする前から他の監督のために脚本を書いていましたから、とっておきの題材を谷口のために「山小屋の三悪人」の題名で仕上げたのだと思われます。

一方三船敏郎は満州から引き揚げてきて、家業だった写真店で身につけた技術を生かそうと映画撮影所に入ろうと思い、第一期の東宝ニューフェイス試験に応募しました。もともとキャメラマンを目指していたので試験では不評だったらしいのですが、山本嘉次郎のひと声で採用されることになり、砧の東宝撮影所に通うようになります。黒澤明から脚本を受け取り三人組の中で一番凶悪な男を探していた谷口千吉がたまたま小田急線で乗り合わせた三船敏郎を見て、ああいう風貌の男を使いたいなあとつぶやいたところ、あいつならつい最近ニューフェイスでうちに入ったやつだよと聞かされて、三船敏郎の出演が決まったんだとか。そのときもまだ三船敏郎は俳優になる気がなかったのですが、谷口から背広を作ってやるという交換条件を出されて、渋々出演を承諾したという話も伝わっています。

そんな三船敏郎ですから本作の出演もイヤイヤやっていたのかと思うとそうでもなかったようです。本作は大半が実際に日本アルプスでロケーション撮影していますから、スタッフとキャストは長期間にわたって山の麓の宿屋に宿泊していました。毎晩全員参加の宴会となり、ほとんどの者が寝静まっている中、まだ夜が明けきらないうちからごそごそと起き出して宿屋を出発し、誰よりも一番早く撮影拠点となる山小屋に入っていたのが三船敏郎でした。しかもキャメラや三脚など重量のある撮影機材を率先して背負って山小屋に運び込み、他のスタッフや出演者たちが到着するまでには山小屋周辺をきれいに掃除して待っていたのです。三船敏郎にしてみればそうすることで撮影部に異動させてくれとアピールしていたのかもしれませんが、誰よりも重い荷物をかつぎ誰よりも早く現場に入ることでかえって気の利く新人俳優として認められ、黒澤明が『酔いどれ天使』で起用することにつながっていくのでした。

志村喬は新興キネマのサイレント期から映画キャリアをスタートさせ、日活で大量の作品に出た後、戦時統制下では東宝に活躍の場を移していました。本作までになんと170本の映画に出ていたのですが、ほとんどは脇役で主演作はもしかしたら本作が初めてだったのかもしれません。三人組のもうひとりをやる小杉義男は後の東宝の名バイプレーヤーとなる俳優ですが、戦前は築地小劇場に所属していた演劇人でPCLに入社して映画出演を専門にするようになった人です。河野秋武も前進座出身で応召後に東宝に入り黒澤明の初期作品に立て続けに起用されています。しかし東宝争議後は自ら東宝を退社して大映、日活、東映と映画会社を渡り歩き、二度と東宝の映画に出演することはありませんでした。

【ご覧になった後で】手に汗握るお話ですがアクションが盛り上がりませんね

いかがでしたか?さすがに黒澤明のシナリオが巧くて、三人組の銀行強盗を登場させる温泉宿のコミカルな導入部から一気に真っ白な雪山に舞台を変え、深い雪で身動きの取れない山小屋での密室劇に展開していき、終盤では河野秋武を背負った志村喬の生還をスリリングに描いていきます。こうした作劇法は黒澤明の特徴のひとつで、『七人の侍』で侍探しと戦いの準備と野武士の襲来の三部構成にしたり『天国と地獄』で密室の前半と捜査の後半に分けたりというメリハリを利かせた大胆な構成テクニックが、本作でも十二分に発揮されていました。

その中でキャラクターがどんどんと変化していくのを観客は目撃することになるのですが、本作の場合は三人組の首領である志村喬が悪人から善人に変わっていくのがメインテーマとして描かれていきます。最初は片手に手袋をはめ黒メガネをかけた悪党キャラで登場し、物置小屋で札束を分けるときにはいかにも親分然としています。しかし小杉義男が雪崩に巻き込まれるのを気にするあたりからちょっと変化し始め、山小屋で娘のような若山セツ子に気持ちをほだされてからは、だんだんと善人の一面が強調され、河野秋武を救う段になってついに真っ当な善人へと変貌します。悪人が善性に目覚めて改心していくという展開は、黒澤明のお気に入りの作家であるドストエフスキーをお手本にしているのでしょう。そう考えると志村喬はいかにもドストエフスキーの小説の裏の主人公的な外見をもっているので、本作の主演で起用されたのかもしれません。

それを考えると三船敏郎演じる前髪垂らしの男は映画の中で変化も成長もしない悪役のままで突き放されています。黒澤明のヒューマニズムはときに露骨過ぎて嫌われるところもありますが、三船敏郎のキャラはまさに黒澤明が最も否定するべき人物として扱われているので、その悪行ぶりがステレオタイプ過ぎてしまい、やや興覚めにも感じられました。志村喬の善人への転換が振り過ぎのような感じもあるので、三船敏郎にも善性の芽生えくらいを分けてあげて、でも金銭欲には抗えなかったみたいな肉付けがあってもよかったかもしれません。余計なお世話ですけど。

河野秋武が演じた登山家はたぶん谷口千吉がモデルになっているような気がしますし、本田という役名は本多猪四郎の名前を借用したものでしょう。でも河野秋武を山男風に描こうとすればするほど理想の山男になり過ぎていて、悪人たちを「山の掟」と言って救う美談的な行動が高尚過ぎてついていけない感じになっているのも事実です。善の象徴が河野秋武で悪の方は三船敏郎、その間を悪から善に移る志村喬がいるという三角形のようなキャラクター設計が本作の特徴でもあり、同時にあざとい感じにもなっていました。

いろいろ文句をつけてしまったもののシナリオの出来の良さは抜群なのですが、谷口千吉の演出がもうひとつなような気がして、せっかくの山岳アクション映画なのに肝心のアクション部分で損をしているように思えました。例えば導入部で警察官が地元の雪山事情を地図を見ながら説明する場面。ここは黒澤作品によく出てくる映画の舞台設計を地図にして観客にわかりやすく伝えてあげるというためにあるはずなのですが、谷口千吉は市販の地図をやや離れたところから人物の背景として映すだけで、この後三人組がどのルートで逃げてどこに山小屋があってその先はなんで行きどまりなのかみたいな地図上のイメージを伝えきれていません。『七人の侍』で出てくる手書きの村の地図まで行かなくてももっとシンプルな図をもっとアップにして見せてほしかったです。

もちろんザイルを使ったり、ピッケルで雪を掘ったりしながら進んでいく雪山登山の描写は、さすが山登りの専門家だけあって谷口千吉の演出は冴えわたっています。特に河野秋武がリーダーとなって急峻な崖を上っていく場面などは実にスリリングで緊張度の高い映像になっていました。しかし崖を上り切った後の志村喬と三船敏郎の殴り合いのアクションになるとたちまち谷口千吉の演出の工夫のなさが目立ってしまい、ただ漫然と二人の男を横から眺めるといった凡庸なショットになっています。一番盛り上げてほしかったのは三船敏郎が崩れた雪渓に落下していき、志村喬だけが助かるところ。雪の一角が崩れて二人が落ちていく中途半端なサイズの短いショットの後に谷口千吉がつなげたのは山々を映した超遠景で、そこから志村喬が這い上がってくるショットに戻ります。三船敏郎の姿はそれ以降一切出てこないので、雪山で滑落することの唐突な恐ろしさは伝わるかもしれませんが、あれだけの悪党キャラの最後ですからもう少し丁寧かつダイナミックに落下して死んだことを映像で表現してもらいたかったです。

これら雪山の場面を撮影したキャメラマンは瀬川順一で、三木茂とともに亀井文夫の『戦ふ兵隊』で中国戦線を撮影した人。本作が初めての劇映画での撮影で、谷口千吉とは『ジャコ萬と鉄』でもコンビを組んでいますが、その後はやはり東宝を退社したようで独立プロでしか作品を残していません。でも本作での雪山の映像は素晴らしくて、この当時のキャメラの性能では露出操作が非常に難しく、ハレーションが起きたような映像になってしまうか逆に暗すぎる絵になるかのどちらかが多かったはずです。瀬川順一は本当に見事に白黒映像で雪の白さを表現していますし、山の変わりやすい天候では光の加減を見極めるには高い技術が必要だったはずです。ここまで冬山の厳しさを映像化できたのは瀬川順一の功績でしょう。でも若山セツ子のクローズアップショットのいくつかがピンボケだったのはなぜでしょうか。まあ谷口千吉が若山セツ子に見惚れていたことの象徴だったのかもしれませんけど。

紅一点の女優として登場する若山セツ子は本作出演時はまだ十八歳でした。映画出演二作目の若山セツ子は二年後に今井正監督の『青い山脈』で丸メガネの女子高生を演じた人としてのほうが有名かもしれません。本作に出演したことで監督の谷口千吉と電撃的に結婚したのですが、十年ももたずに離婚し、晩年には同居していた母親の死をきっかけに精神を病み五十五歳の若さで自死しています。なんとも不幸な人生になってしまったわけですが、谷口千吉のほうは実は若いときに脚本家として戦後に活躍する水木洋子と結婚してすぐに離婚。本作で知り合った十八歳の若山セツ子と再婚したのに、『乱菊物語』を監督したときに出演していた八千草薫と不倫関係に陥り、若山セツ子と離婚した翌年には八千草薫と三度目の結婚をしています。よほど女優からモテたのか、単なる女たらしだったのか知りませんが、東宝は既婚者が自社の女優に手を付けたということで、昭和32年から三年ほど谷口千吉を干して仕事をさせていません。まあそうでなくても谷口千吉は本作以外にこれと作品を撮っていませんので、山男で女優殺しの監督としてのみ日本映画史に名前を残しているようですね。(D011424)

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