日本映画

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長靴をはいた猫(昭和44年)

ヨーロッパに伝わる民話をもとに1697年にシャルル・ペローが出版した童話が原作になっていまして、東映動画が『太陽の王子 ホルスの大冒険』に続く長編として製作しました。
昭和二十年代

偽れる盛装(昭和26年)

脚本家の新藤兼人と監督の吉村公三郎は戦後の復興期に松竹でコンビを組んでいましたが、幹部から作風が社会的過ぎると批判されると松竹を辞めて独立を決意。殿山泰司や山田典吾とともに立ち上げたのが近代映画協会でした。
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点と線(昭和33年)

松本清張はその生涯で膨大な作品を発表しましたが、旅行雑誌「旅」に連載した「点と線」は清張にとって初めての長編推理小説で、東映は当時まだ一部の作品にしか適用されていなかった全編カラーで撮影しました。
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八月十五日の動乱(昭和37年)

太平洋戦争は日本がポツダム宣言を受諾することで終結に向かいますが、終戦を日本全国に知らしめたのは天皇陛下による玉音放送でした。本作は玉音盤を巡って軍部が叛乱を企てた宮城事件を描いています。
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どうぶつ宝島(昭和46年)

「岩に波」の東映のオープニングロゴが出てくる前に示されるように本作は「東映創立20周年記念作品」として公開されましたが、東映動画にとっては最後の長編アニメーション作品になりました。
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わんわん忠臣蔵(昭和38年)

昭和33年に『白蛇伝』で本格的長編アニメーション映画を世に送り出した東映動画による6本目の作品で、おなじみの「忠臣蔵」が動物を主人公にして子供向けにアレンジされています。
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私たちの結婚(昭和37年)

松山善三と共同で書いた脚本を篠田正浩が監督した本作は、岩下志麻と津川雅彦が主演した『この日美わし』と一緒に公開された松竹の二本立て併映用作品で、上映時間67分の中編となっています。
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教室の子供たち(昭和29年)

文部省が現職教員用として岩波映画製作所に委託して製作させた記録映画で、東京都墨田区の小学校で撮影されました。子供たちがキャメラを意識することなく生き生きと捉えられたことが高く評価されました。
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黒の爆走(昭和39年)

昭和37年から39年にかけて製作された大映の「黒シリーズ」は全11作ありまして、本作はその中の第7弾にあたります。田宮二郎が白バイ隊員を演じていて、轢き逃げ事件の犯人を追うという物語になっています。
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天使の恍惚(昭和47年)

若松プロダクションと日本アート・シアター・ギルド(ATG)の共同製作作品で、爆弾テロを扱った内容が問題となって上映を中止すべきだと言う声にさらされ、東宝系映画館での上映は取りやめになりました。
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傷だらけの山河(昭和39年)

原作は週刊朝日に連載された大物実業家をモデルにした石川達三の小説で、大映の永田雅一社長に誘われて大映で『忍びの者』を監督した山本薩夫にとっては、やっと社会派ドラマを作れるようになった一本です。
昭和二十年代

虎の尾を踏む男達(昭和20年)

歌舞伎十八番のひとつで弁慶と義経が登場する人気演目「勧進帳」を黒澤明が新しい登場人物を加えたうえで脚色して監督しました。昭和20年9月に製作が完了したものの、GHQが上映禁止にしたため一般公開は昭和27年になりました。
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黒の商標(昭和38年)

昭和30年代後半に大映が製作した「黒シリーズ」は全部で11作品ありまして、本作はその5作目にあたります。邦光史郎が書いた「仮面の商標」が原作になっていて、「黒シリーズ」初登場の弓削太郎がメガホンをとりました。
昭和二十年以前

限りなき鋪道(昭和9年)

もとは北村小松という人が書いた新聞の連載小説で、池田実三の脚本を成瀬巳喜男が監督したサイレント作品です。松竹蒲田撮影所の監督序列では末席だった成瀬巳喜男は本作を最後にPCLに移籍することになりました。
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黒い河(昭和32年)

松山善三が脚色したシナリオで小林正樹がメガホンをとりました。岸恵子・久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を立ち上げた有馬稲子が主演している通り、企画をにんじんくらぶが担当しています。
昭和二十年以前

狂った一頁(大正15年)

衣笠監督が横光利一や川端康成らと結成した新感覚派映画聯盟の第一回作品で日本初の前衛映画と言われています。長らくフィルムが消失したと思われてきましたが、衣笠邸の蔵からフィルムが発見され復元されました。
昭和二十年以前

マダムと女房(昭和6年)

アメリカで長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』が公開されたのは1927年(昭和2年)のこと。日本でもトーキーの技術研究が開発されて、サウンド・オン・フィルム方式による初の本格的トーキー映画が松竹で製作されました。
昭和二十年以前

土と兵隊(昭和14年)

火野葦平の小説を原作に日活多摩川製作所が中国大陸で100日以上の長期ロケーション撮影を敢行して完成させました。GHQが接収したためフィルムが破損し、国立映画アーカイブがオリジナルの155分に近い153分バージョンを作製しました。
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悪の愉しさ(昭和29年)

出演者のクレジットで一番最初に出てくるのは「森雅之・久我美子・伊藤久哉」となっていますが、主人公を演じるのは伊藤久哉で、森雅之と久我美子は脇役に過ぎません。本作で本格的デビューを果たした伊藤久哉は東宝に移籍して活躍することになります。
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僕はボディガード(昭和39年)

渥美清が『男はつらいよ』で車寅次郎を演じたのは昭和44年のことで、本作はその5年前に東宝系の宝塚映画で製作された作品です。渥美清の役どころは大臣などの要人を護衛する警視庁警護係のボディガードという設定です。
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