日本映画

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伊豆の踊子(昭和38年)

川端康成が書いた短編連作「伊豆の踊子」が出版されたのは昭和2年のことでしたが、以来何度も映画化された中で本作は四度目に映画化された日活版です。原作で十四歳と設定されている踊り子を演じたのは、当時十八歳の吉永小百合でした。
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真空地帯(昭和27年)

昭和27年に河出書房から刊行された野間宏の長編小説「真空地帯」は評判を呼び、毎日出版文化賞を受賞しました。その小説を映画化して同年年末に公開させたのが東宝を退社して独立プロ新星映画社を立ち上げた山本薩夫でした。
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長崎の鐘(昭和25年)

長崎医科大学物理的療法科の永井隆助教授は、白血病と闘いながら原爆投下後の長崎で被爆者の治療にあたり、四十三歳で亡くなりました。永井助教授が残した手記をモチーフにした歌謡曲は大ヒットを記録し、早速松竹が映画化することになりました。
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黒蜥蜴(昭和43年)

江戸川乱歩の探偵小説を三島由紀夫が戯曲にしたのは昭和36年のことで、翌年には大映が京マチ子主演で映画化しました。本作は二度目の映画化となる松竹版で、舞台でも黒蜥蜴を演じた丸山明宏が主演をつとめました。
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新源氏物語(昭和36年)

平安時代中期に紫式部が書いた「源氏物語」は現代の作家たちによって現代語訳で出版されてきましたが、本作は雑誌週刊文春に連載された川口松太郎の「新源氏物語」を原作としています。主演は大映を代表する大スター市川雷蔵で、当時三十歳の雷蔵の美貌がカラー映像で残されました。
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雲ながるる果てに(昭和28年)

原作は昭和27年に発行された「雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記」という遺稿集で、戦死した海軍予備学生たちの遺書や遺詠、遺文が集められていました。それを重宗プロと新世紀映画が共同製作し、松竹と北星映画の配給で公開されました。
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心中天網島(昭和44年)

近松門左衛門作の人形浄瑠璃が初演されたのは享保5年(1720年)のこと。その原作を文楽の黒子を登場させたり美術セットに浮世絵を使用したりして様式的に映画化したのが篠田正浩でした。このような作品が製作できたのはATGの存在があったからのことです。
昭和二十年以前

白蘭の歌(昭和14年)

久米正雄が東京日日新聞と大阪毎日新聞に連載していた小説が原作となっていて、日本人の鉄道技師と満州の富豪令嬢との恋愛を描いています。映画化は創設されたばかりの東宝と満州に設立された満州映画協会の合作で進められました。
昭和二十年以前

十字路(昭和3年)

『狂った一頁』に続いて衣笠貞之助が松竹京都撮影所で作ったのがこの『十字路』で、映画が完成すると衣笠は松竹を辞めてロシアを経由してヨーロッパに渡り、本作を「ヨシワラの影」という題名にして公開することになりました。
昭和二十年以前

生きてゐる孫六(昭和18年)

昭和18年7月公開の松竹映画『花咲く港』でデビューを果たした木下恵介の監督第二作で、同年11月に公開されました。脚本も木下恵介のオリジナルで、名刀「関の孫六」をモチーフにしながら因習に縛られる地方の村での騒動を喜劇的に描いています。
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