デヴィッド・リーン監督による恋愛映画は第二次大戦終戦時に作られました
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、デヴィッド・リーン監督の『逢びき』です。劇作家ノエル・カワードが自らの原作を脚色して製作したイギリス映画で、第二次大戦が終結に向かう1945年1月から撮影が開始されました。デヴィッド・リーン監督が上質な大人の恋愛を描いていて、5月8日のドイツ降伏の際には終戦を祝って撮影が中断されたそうです。翌年アメリカでも公開されアカデミー賞監督賞・主演女優賞にノミネートされていますし、日本公開の1948年にはキネマ旬報ベストテンで外国映画の第三位に選ばれました。
【ご覧になる前に】トレヴァー・ハワードは本作が初めての主演映画でした
蒸気機関車が通過するミルフォード駅の待合室で改札係がカフェの女主人を口説いている横で、ひっそりとテーブルに座る男女がいます。ローラと呼び掛けて相席したドリーのために開業医アレックはお茶を運び、やがて汽車の時間だと席を立ちます。ドリーがチョコレートを買っている間にホームから戻ってきたローラはめまいがすると言い、ドリーに付き添われて汽車で自宅に戻りました。家の居間でクロスワードパズルを始めた夫フレッドをよそにローラはレコードをかけて、一ヶ月前のことを思い浮かべるのでした…。
ノエル・カワードは1920年代から舞台俳優兼劇作家として活躍した人で、スカーフを首に巻いたりタートルネックを着たりしたのはカワードが初めてだったそうで、ファッションアイコンとしても注目されていました。本作はカワードが1935年に書いた短編一幕劇「静物」を原作としていて、脚色の際にはデヴィッド・リーン、ロナルド・ニーム(当時デヴィッド・リーンと共同で映画製作会社を設立して、後に『ポセイドン・アドベンチャー』や『オデッサ・ファイル』を監督する人です)らが共同脚本家として参加しています。
チャーチル首相とも親交があったカワードは第二次大戦勃発後は戦争反対の立場をとり、チャーチルはそれを「戦場に行っても役に立たないのだから一人くらい愛とか恋とか言っている奴がいてもいい」と放任したそうです。大戦中のカワードは映画界に進出するようになり、自らプロデューサーとなって自分の戯曲を原作とした映画製作を始めます。
ノエル・カワードが第一回製作作品『軍旗の下に』(1942年)でカワードと共同という形で監督デビューしたのがデヴィッド・リーン。続いてカワード製作・リーン監督による『幸福なる種族』(1944年)を発表していて、ロナルド・ニームが共同脚本で参加していますし、主演女優はセリア・ジョンソン(シリア・ジョンソンと表記されることも)ですから、『逢びき』チームは1944年にすでに結成されていたことになります。
『逢びき』の撮影が開始されたのは1945年1月のこと。撮影は5月に完了していますから、チャーチル首相のいう通り、カワードは連合軍がドイツを降伏させる真っ最中に「愛とか恋とか」の映画を作っていたことになります。『軍旗の下に』『幸福なる種族』に続けて出演したセリア・ジョンソンは元は舞台女優として活躍していて、ブロードウェイで「ハムレット」のオフィーリアを演じたり、ロンドンでは「レベッカ」のド・ウィンター夫人をやったりした実力派でした。映画の出演は舞台ほど稽古や上演に時間を取られないという事情で引き受けていたのでしたが、『逢びき』の脚本を渡されるとすぐに「どう演じようか、どうセリフを言おうか」と役作りに没頭し始めたと後になって回顧しています。
セリア・ジョンソンの相手役に抜擢されたトレヴァー・ハワードは、王立演劇学校で学んだ後にロンドンで舞台に立っていました。第二次大戦中は落下傘部隊に従軍、ナチス占領下のノルウェーに降下するなど活躍したことで戦功十字章を授与されたんだとか。退役後に舞台に戻ったときに端役として出演した映画『大空への道』がデヴィッド・リーンの目に留まり、オファーされることに。しかしトレヴァー・ハワードは郵送されてきた脚本を数週間も開封せずにいて、危うく本作への出演を逃すところだったんだそうです。
映画の冒頭から本作は駅が主要な舞台となっていて、カーンフォース駅でロケーション撮影されました。カーンフォースはランカシャー州ランカスター市に位置していて、鉄道と製鉄所で発展した町。カーンフォース駅はホームへのスロープが特徴的で、デヴィッド・リーンのチームはここで四週間滞在してロケーション撮影を行いました。しかし待合室での撮影に満足できなかったリーンは、そっくりそのままのセットを作らせてスタジオで撮影し直したそうです。
【ご覧になった後で】不倫を描いた作品なのに気品さえ漂うほどの傑作です
いかがでしたか?TVの洋画劇場でも繰り返し放映されたはずですし、DVDなどでいくらでも見る機会があったのですが、今回初めて見て『逢びき』がすばらしく上品で技巧的な作品であることを思い知らされました。不倫を描いているにも関わらずこれほどまでに清廉な印象を残す映画はほかには絶対に存在しないでしょう。不倫とはいってももちろん1945年製作の映画ですから、惹かれ合う男女はコトには至らず精神的不倫関係のまま別れることになります。あくまで二人の真剣な恋情がテーマになっていることに加えて、セリア・ジョンソンの夫フレッドがいつも変わらぬ平常心で妻のことを信頼し、夢から覚めてお帰りと優しく迎えるラストも、本作を清々しいものにしていました。第二次大戦下にこんな気品漂う恋愛映画を作っていたイギリス映画界には尊敬の念を抱かずにはいられません。
そして本作を傑作たらしめているのは見事な脚本と主人公の心理描写です。セリア・ジョンソンとトレヴァー・ハワードが惹かれあってい行くプロセスが実に丁寧に紡がれているので観客は不倫と知りつつも二人の恋を応援したい気持ちになります。意気投合したものの夫の知らないところで他の男性と会うことの罪悪感。それを思い切って夫に告げるとなんの疑問を抱かずに自宅に招待することすら許容する夫。トレヴァー・ハワードと会うことに躊躇しなくなったセリア・ジョンソンは、惹かれ合う気持ちに身をゆだねてしまうわけですが、その気持ちの流れが必要十分以上に描きこまれているので、観客は不倫映画に共感を持ってしまうのです。
脚本がこのように骨格をつくり上げ、そこに映像演出が心理的な肉付けをすることで、キャラクターの造形に息吹きをもたらします。例えば、トレヴァー・ハワードが予防医学について熱心に語り出すシーン。脚本はトレヴァー・ハワードが粉塵が肺病を招いている現地の衛生環境について説明するセリフで埋め尽くされているはずですが、映像ではそんなセリフはどうでも良いとでもいうように、ハワードを見つめるセリアの熱い視線を強調しています。予防医学の可能性を語る少年のような純粋さに引き込まれていく気持ちが映像から横溢するかのようです。あるいはクライマックスの待合室でハワードが去った後のセリアの顔に迫りながら徐々にアングルが傾いていくショット。ここは詮索好きのドリーの洪水のようなおしゃべりが続く中で、ハワードを失っていたたまれなくなったセリアの絶望する心境だけがえぐり取られるように映像化されていて、ホームに飛び出して身投げしようとする切迫感が十二分に表現されていました。
こうした映像表現を底支えするのがラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。1901年に初演されたこの曲は数多いピアノ協奏曲の中で最もポピュラーな旋律をもっていますので、観客の誰もが一度ならず耳にしているおなじみのメロディです。ところが耳になじんだ曲であるにも関わらず、まさに本作のために書き下ろされたかのようにラフマニノフの曲はトレヴァー・ハワードとセリア・ジョンソンの二人にぴったり寄り添っているかのように感じられます。場面ごとに流麗な第一楽章と哀愁に満ちた第二楽章とドラマチックな第三楽章が使い分けられていて、当然ながら映画全体のトーン&マナーがラフマニノフ調に統一される効果もありました。この曲はノエル・カワードの大のお気に入りだったそうなので、カワードの選曲が本作の魅力を倍増させたことは確かだと思います。
そして決して映画出演に慣れていないトレヴァー・ハワードとセリア・ジョンソンの二人がアレックとローラというキャラクターとぴったり合致していたことも本作の成功要因のひとつでした。『哀愁』のロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーのようなとびきりの美男美女コンビではありませんので、リアルな存在感がありましたし、世間の常識を外れることのない正直で抑制された感じが逆に二人の真剣な恋愛感情を伝えていました。特にセリア・ジョンソンのナレーションは声だけの演技なのに、アレックへの抑えられない恋と家族を思う妻・母としての弁え方を巧みに表現していて、ナレーションで内面描写をするという映画においては最も陳腐な手法を陳腐にしないどころか本作の一番の特徴ともいえるくらいの心情表現にまで高めていたのではないでしょうか。
このナレーションについては、小津安二郎は本作を評価しながらも「声が聴こえて説明するところは買わない」とマイナス評価をしている一方で、双葉十三郎先生が「内心の声の手法を徹底的に用いたが故に大きな成功を収めることが出来た」と賞賛しています。双葉先生も「内心の声」を「ひどく卑怯な様な気がする」と毛嫌いしているのですが、それ以上に本作でのナレーションの使い方には参ってしまったようで、「内心の声」、現実の画面と音声、ラフマニノフの音楽の三つの要素が渾然と一体をなして余韻ゆたかな流れを作り出しているとベタ褒めしています。
本作に☆☆☆☆★の最高点をつけた双葉先生は「僕はこれをレシタティブの形式と呼びたい」と書いていて、物語の進行や状況説明を話し言葉で語るように歌う音楽の形式になぞらえました。レナート・マルティンも「激しく忘れられない作品だ」として双葉先生と同じく****の最高評価を与えていますから、やっぱり『逢びき』は映画史に残る恋愛映画の代表作のひとつと断言していいでしょう。Googleで「あいびき」と検索するたびに「合挽き」と出てきてしまうのがネットの限界でしたけど。
蛇足ですが、本作でトレヴァー・ハワードが友人のフラットにセリア・ジョンソンを誘う場面を見て、『アパートの鍵貸します』の設定を思いついたというビリー・ワイルダーの発想法には頭が下がりますね。あとカフェの女主人にちょっかいばかり出している改札係をやったスタンリー・ホロウェイは『マイ・フェア・レディ』でオードリーの父親ドゥーリトルその人なのでした。(U101325)
コメント