黒水仙(1947年)

ヒマラヤの山中で奉仕活動を行う修道女たちが苦悩するイギリス映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガー共同監督の『黒水仙』です。原題は「Black Narcissus」で水仙を意味する「Narcissus」は、元はギリシャ神話に出てくる美少年ナルキッソスのことで、子供向けの童話もたくさん書いているイギリスの小説家ルーマー・ゴッデンの原作を映画化しました。ヒマラヤに接するインド西部の僻地に派遣された修道女たちが現地住民のための奉仕活動に赴くのですが、言葉や文化の違いに苦悩し、やがてそれが内面的な苦悩に変化していくという結構シビアな内容になっています。

【ご覧になる前に】撮影はすべてスタジオセットなので美術が見どころです

ヒマラヤ山麓の僻地には絶壁の上に建てられた宮殿があり、土地の領主はその宮殿を現地の村人たちのための学校や病院にしようと、その運営を修道院から招いた修道女たちに任せることにしました。派遣されたシスタークローダーは四人の尼僧を従えて宮殿にやって来ますが、宮殿は領主から金品で集められた子供と病人であふれかえっていました。そこへ現地に住む唯一のイギリス人ディーン氏が現れて、シスタークローダーに「あなたたちは雨季が来る前に逃げ出すことになるだろう」と告げるのでした…。

マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーの二人は製作・脚本・監督を共同しながら『赤い靴』や『ホフマン物語』などバレエ映画を作ったコンビです。マイケル・パウエルはイギリス時代のヒッチコックのもとで働いていたこともあるそうで、あるときスタジオで小柄なハンガリー出身の脚本家エメリック・プレスバーガーを紹介されて意気投合、それ以降は「パウエル&プレスバーガー」のクレジットで仕事をするようになりました。なのでどちらが脚本を書いてどちらが監督をしたという分業制ではなく、映画製作に関わる根幹部分を二人で共同して進める体制だったようです。

本作の舞台はヒマラヤ山麓の宮殿ですが第二次大戦後まもない時期でもあり、とてもインドロケなどはできませんでした。そこでロンドンのパインウッドスタジオに巨大なセットを組んで、ほとんどすべての場面がスタジオの中で撮影されました。プロダクションデザイナーはアルフレート・ユンゲ。ドイツ人のユンゲはベルリン国立歌劇場の舞台監督などをつとめた後にイギリス映画界に入り、『第三の男』をデヴィッド・O・セルズニックとともにプロデュースしたアレクサンダー・コルダのもとでセットデザインを担当していた人で、本作に至るまでパウエル&プレスバーガー作品を支えてきたのでした。一方で撮影のジャック・カーディフは本作以降パウエル&プレスバーガー作品で継続してキャメラを担当することになる大御所キャメラマン。ジョン・ヒューストンの『アフリカの女王』やキング・ヴィダーの『戦争と平和』など多くの作品で撮影をつとめていますし、監督としてもアラン・ドロン主演の『あの胸にもういちど』なんて映画を作っています。

そしてこの二人は本作でともにアカデミー賞に輝いていて、アルフレート・ユンゲは美術賞、ジャック・カーディフは撮影賞を受賞しています。ユンゲはその後あまり活躍せずに終わり、カーディフは本作がステップとなり活躍の場を広げていきましたので、美術監督と撮影監督がたまたま交差してともにオスカーをとったのが本作なのでした。

そして主演のデボラ・カーはスコットランド出身で、本作での美貌が注目されてハリウッドに招かれることになります。『地上より永遠に』や『王様と私』などに主演してアカデミー賞に六回もノミネートされたのに一度も主演女優賞を獲得することはできませんでした。ハリウッドではあまりに気品が溢れすぎていて、アカデミーの映画関係者から嫉妬されたのかもしれませんね。

【ご覧になった後で】絶壁の俯瞰とシスタールースのドアップがコワイです

いかがでしたか?映画が進むにつれてどんどんとコワイ映画になっていくのがなんとも不気味でしたね。特に時刻を知らせる鐘を鳴らすあの断崖絶壁を俯瞰で見下ろしたショットは高所恐怖症の観客にとっては目がくらくらするような恐怖感がありました。もちろん崖は書き割りか合成かなんですが、絶壁感があまりにリアルでコワかったです。また嫉妬心から精神に異常をきたすシスタールースもコワい人でした。デボラ・カーが扉を開けるといきなりワインレッドの私服に着替えているあのショック。そして汗を垂らしながら鏡に向って口紅を引く顔のドアップ。あれはコワイですよ。そんなわけで山奥の僻地で人道的支援を行う修道女たちの奉仕の物語かと思ったら全然違っていて、閉所での人間関係と異文化とのギャップで女性たちの心が蝕まれていくサイコサスペンスドラマといった趣でした。

そんな雰囲気を醸成するのが美術セットで、宮殿の内部のデザインは見ていても全く飽きない独創性に満ちていました。元は王様が妾を囲っていたという設定なので、真っ青な部屋があったり壁画で覆われていたりと豪奢な雰囲気が味わえる一方で、尼僧たちの部屋や祈祷所は質素で安普請な感じで建てられていました。また通路が迷宮のようになっていて、シスタールースがデボラ・カーをひそかに追い詰めていくのにふさわしい不吉感がありましたね。ちなみに遠くに見えるヒマラヤ山麓は大きく引き伸ばした白黒写真の上にパステルチョークで色付けされたものだそうです。

キャメラマンのジャック・カーディフは宮殿での撮影においては、照明の効果でフェルメールの絵画のような雰囲気を出すことを試みたと言っています。たしかにフェルメールには尼僧姿のモデルを扱った絵が何枚かありますので、この映画に多くのインスピレーションを与えたのだと思います。さらには尼僧たちが口紅をつけるのはおかしいということで最初は口紅なしで撮影したところ、女性らしさが画面に現れなかったそうです。たしかに髪の毛も隠しているわけなので、目と鼻と口だけでは映像的に男性と見間違ってしまうようだったのかもしれません。結果的には肌色の口紅を塗ることで、そこにほんのりと女性らしさが映えるようになったのだとか。もしかしたらこのエピソードから、シスタールースが狂気に陥るときの真っ赤な口紅に結びついたのではないでしょうか。

映画の最後はディーン氏の予告通りに尼僧たちが雨季の前に帰路に着くという場面で終わります。その雨季がやってきたことを示すショットは見事でした。画面手前の葉に数滴の雨が落ちて葉が揺れ出し、やがてそれが大粒の雨となって本降りとなり画面奥の隊列が見えなくなるというあのショットです。元の脚本ではシスタークローダーがマザーに帰還報告する場面がエンディングになっていたそうですが、ジャック・カーディフが撮ったこのショットがあまりに見事だったので、パウエル&プレスバーガーがエンディングを変更したという話です。確かに失敗報告の場面は見ても仕方ないですもんね。(A050222)

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