第二次大戦の帰還兵三人を主人公にした社会派ヒューマンドラマの名作です
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ウィリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年』です。本作が製作されたのは太平洋戦争が終わった翌年の1946年。まさに大戦からの帰還兵が本国に戻った後、戦争で傷ついた心身をどう癒すか、あるいはどうやって定職を得るかなどが社会問題化していた時期でした。その年の11月に公開されると全米で大ヒット。それは1939年公開の『風と共に去りぬ』の興行成績に迫るほどだったそうです。そして1946年度アカデミー賞では作品賞・監督賞をはじめ8部門でオスカーを獲得、アメリカ映画史に残る名作の地位を確かなものにしたのでした。
【ご覧になる前に】これは絶対に見ておいた方が良い、良心的な映画です
第二次大戦が終わってアメリカ本国に帰ってきた三人の兵士が故郷ブームシティ目指して飛ぶB-17に乗り合わせます。ドイツ爆撃隊で照準手をつとめたフレッド、太平洋戦争で日本と戦ったアル、乗っていた船が撃沈され大やけどから両手を失ったホーマー。町に着くとタクシーで三人はそれぞれ家族の待つ家に帰るのですが…。
戦争はあらゆる都市を瓦礫と化しただけではなく、戦争に従事していた兵士たちにも深々と傷跡を残していきました。そうした戦傷病者を描いた映画ですぐに思いつくのはフランス映画『シベールの日曜日』やポーランド映画『戦争の真の終わり』などで、いずれも戦場になった国や敗戦した国の作品でした。ところが戦勝国アメリカでも、戦後まもない時期に帰還兵を主人公にした本作が作られていたのは驚くべきことです。アメリカは日本軍によって真珠湾を攻撃されましたが、アメリカ本土は一度も空襲にさらされたことはありませんし、太平洋戦争で多くの民間人を殺傷したことに対しても反省よりは肯定的な意見が大勢を占めていました。そのアメリカで、戦争によって身体に障碍を負う者や職を失った者、家族との関係が悪化した者が少なからず存在していたことを、本作はあらためて教えてくれるのです。監督のウィリアム・ワイラーもB-17の搭乗員として戦地に赴き、爆風によって聴覚の一部を失っていますし、プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンはポーランド系ユダヤ人で幼い時にイギリスを経由してアメリカに渡っています。撮影時のスタッフに帰還兵を採用するなど、製作陣の過去の経験があえてアメリカの影にスポットライトをあてる原動力となったのかもしれません。
1946年度アカデミー賞のノミネート作品を見てみると、本作のライバルは『ヘンリィ五世』『素晴らしき哉、人生!』『仔鹿物語』『ジョルスン物語』などでした。特に『ヘンリィ五世』は日本では本作と同じ1948年(昭和23年)に公開されてキネマ旬報ベストテンでは『ヘンリィ五世』が1位に選出され、本作は2位と後塵を拝しています。またフランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』はアメリカではクリスマスに必ずTVで再放映されるほどの名作。こうした強敵を相手にして、『我等の生涯の最良の年』がアカデミー賞を8部門も独占したことから、当時のアメリカ映画界の熱狂ぶりが伝わってくるようです。
俳優陣は戦前からアメリカ映画で活躍した人たちばかり。その中ではアルの娘を演じたテレサ・ライトはプロデューサー サミュエル・ゴールドウィンのお気に入りだったようで、『打撃王』に続いて起用されています。またマーナ・ロイは戦前の人気女優でしたが本作ではアルの妻役で助演の位置づけ。それでも脚本を読んで出演を快諾したそうで、クレジットでは最も有名であったことからトップに出てきます。そしてホーマー役のハロルド・ラッセル。アカデミー賞助演男優賞を受賞したその演技は映画を見れば誰もが納得するのではないでしょうか。
【ご覧になった後で】ウィリアム・ワイラーの演出はまさに映画の教科書
2時間50分という長い上映時間に対して、興行側である映画館主たちは猛反対したそうですが、反対意見を抑えて長尺のまま公開したサミュエル・ゴールドウィンの熱意には頭が下がります。そのうえで、ウィリアム・ワイラーの演出が映画の教科書にぴったりの切れ味を見せていて、テーマだけでなく映像的にも本作を不朽の名作に押し上げています。その白眉はパンフォーカスを活用した映像的多重奏。例えば、ブッチのバーにフレッドを呼び出したアルが娘ペギーとの交際をあきらめろと言い渡す場面。フレッドは店を出ると、内扉の横にある電話ボックスに入ります。手前ではホーナーがブッチに教えてもらったピアノの練習曲を義手で弾いてみせて、アルに自慢しようとしているところ。アルはホーナーの曲を聴きながらも電話ボックスのフレッドを注視していて、アルとフレッドとホーナーの三人にとってのドラマがひとつの画面の中に三重奏のようにして同時進行していくのです。この手法は、エンディングでも効果的に使われていて、画面右には結婚したホーマーとウィルマが祝福される姿が映り、人々が画面右側へと移動すると左側の奥にはじっとこちらを見つめるペギーがくっきりと浮かび上がります。画面左にいたフレッドはそのペギーに歩み寄り、しっかりと抱きしめます。これらのシーンでキャメラはじっと動かずに固定されたまま。下手な監督だとここでキャメラをパンしたり、奥の人物にズームインしたり、カットを割ってしまったりするのですが、ワイラー監督は違います。キャメラがフィックスのままでも、観客が自然と画面の手前から画面の奥に視線を変えて、画面の奥で起きることを注目するのがわかっているのです。というか、映像が観客にそのような見方をさせる効果があるのです。画面の大きさはスタンダードサイズで横幅が狭いのですが、そのフレームを最大限に生かした映像演出が、本作の価値をぐっと高めていることは間違いありません。
それにしてもホーマー演じるハロルド・ラッセルの存在感には驚きました。義手の使い方が巧く、しかも義手のつき方がリアルなので、映画の途中でひょっとしたらと誰もが思い始めるのでしょうけれども、自室で寝るときにわざわざ父親を呼ぶ場面で観客にその真相が伝えられます。ハロルド・ラッセル本人は戦争中に空挺師団で爆弾の解体作業中の事故で実際に両手首を失っていたのです。その事実に加えて、あのホーマーの演技はあまりにもナチュラルで繕ったところをひとつも感じさせません。それゆえに、ウィルマが深夜にホーマーを寝かせる場面は思わず涙が出てきてしまうほど美しく仕上がっていました。ロバート・E・シャーウッドの脚本では原案段階でホーマーはPTSDを患っているという設定でしたが、記録映画に出演したハロルド・ラッセルを見たウィリアム・ワイラーが彼の起用を決めるとともにホーマーの設定を変更したのだとか。ハロルド・ラッセルは助演男優賞と同時に「退役軍人に希望と勇気をもたらした」ことからアカデミー協会から特別賞も授与されています。
映画の舞台となる「ブームシティ」は架空の都市で、シンシナティをモデルにしているそうです。終盤にフレッドが旅立とうとして飛行場の近くに廃棄されたB-17の大量の機体を目の当たりにする場面が出てきますが、カリフォルニアのオンタリオに実際にあった飛行機の墓場をロケハンで発見したことからこの場面が脚本化されました。戦勝国なのにもかかわらず、その兵器がくず鉄になってしまうことの矛盾、無駄、無為をエンジンをなくしたB-17の骸骨のような機体が端的に象徴していました。また、一方ではアルが戦利品として日本の軍刀や日の丸を持ち帰ると、アルの息子が「日本では家族の絆を大切にするんでしょ」とか「広島には原爆の放射能が残っていて悪い影響を与えていると習った」とか答えます。原爆が戦争を終結させたという認識が100%浸透していた1946年に、敗戦国の人々の気持ちを慮ったセリフが出てくるのは心底驚きました。さらにはフレッドがチェーンストアのソーダファウンテンで働いていると、ホーマーとの会話を聞いていた客が「アメリカは第二次大戦に参戦すべきではなかった。日本とドイツに勝たせとけばよかったんだ」と言い捨てる場面も驚きです。いわゆる「赤狩り」と呼ばれるマッカーシズムが吹き荒れるのは1948年から。その二年前にすでに反共が市民レベルに根付いていたことをほのめかす場面でした。いずれにしても、この映画は自由で理想的なアメリカだけでなく、閉鎖的で差別的で反動的なアメリカの実態も躊躇することなく、バランスよく描き切っています。そうしたフェアな姿勢によって、本作は今でも変わらずに名作として認められているのかもしれません。(V112221)
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