朱唇いまだ消えず(昭和24年)

佐分利信と高杉早苗が不倫に陥るかつての恋人同士を演じた自由恋愛ものです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渋谷実監督の『朱唇いまだ消えず』です。「朱唇」は「べに」と読ませるそうで、松竹三羽烏のひとりだった佐分利信と梨園の妻となって映画界を引退したものの戦後復帰を果たした高杉早苗が共演しています。かつて学生時代に恋人同士だった男女が、別々の人生を歩んだのち約二十年ぶりに再会し不倫関係になるというストーリーは、GHQが映画界に自由恋愛ものを作れと命じた一環だったんでしょうか。昭和24年に不倫ものが製作・公開されていたことの証拠となる一本です。

【ご覧になる前に】脚本は新藤兼人が『お嬢さん乾杯』に続けて書きました

東劇で歌舞伎「鏡獅子」を見ているのは間宮と孝子の二人。地下鉄の入り口でもう会わないと言う孝子に間宮はあす音楽堂の前で会おうと強引に約束を取りつけます。間宮は友人の重原にかつての恋人と二十年ぶりに再会したと告白しますが、家に帰ると幼い娘が熱を出したという妻に医者を変えるように言いつけます。孝子は母親と音楽学校の通う娘君子と三人暮らしで、未亡人になってから銀座のバーで雇われマダムとして働いています。音楽堂で落ちあい協奏曲に耳を傾けながら孝子は、恋人だった間宮が満州に転勤になって離別したことを思い出すのでしたが…。

終戦直後の日本映画界はGHQの厳しい検閲を受けることになりました。映画は新聞・ラジオと並んで国民に大きな影響力をもつメディアでしたので、GHQは映画を日本に民主主義を浸透させるプロパガンダとして利用しようとします。GHQ下部組織のCIE(民間教育情報部)は「新しい恋愛倫理」や「恋愛の自由」を広く知らしめるよう映画各社に要望し、男女の愛情表現を描くよう注文を出します。戦時中の検閲とは真逆だったわけで、稲垣浩の『無法松の一生』で無法松が軍人の未亡人に恋愛感情をもつという映像表現がすべてカットされたのとは正反対の状況になったのでした。

ホームドラマを得意としていた松竹では戦前から隣人同士の淡い恋愛を描いた『隣の八重ちゃん』などのロマンチックコメディも普通に製作していましたから、GHQの指導はお手の物だったことでしょう。「男女同権」が標榜されて女性の社会進出などの要素も加えて、男女の恋愛をときにはコミカルに、またあるときにはシニカルに描いた作品を次々に発表していきます。

そんな時期に松竹でシナリオ増産の屋台骨を支えたのが新藤兼人で、新興キネマでくすぶっていた新藤兼人を戦後すぐに雇い入れた松竹はさまざまなジャンルの脚本を新藤に量産させます。年ごとに新藤の書く脚本の数は増えていき、本作を含めて昭和24年には8本の映画が新藤の脚本で製作されました。木下恵介が監督した『お嬢さん乾杯』もその中の一本で、佐野周二と原節子による美女と野獣的な路線の恋愛喜劇は無骨な男性と洗練された女性の健全な恋愛感情が明朗に描かれた傑作となったのでした。

本作は『お嬢さん乾杯』に続いて新藤兼人が脚本を書いていて、『お嬢さん乾杯』の翌月に公開されています。佐野周二と原節子の明るい未来に向けた恋愛喜劇から一転して、この『朱唇いまだ消えず』は佐分利信と高杉早苗による大人の不倫物語になっていて、同じ「男女の恋愛」でも雰囲気は180度違います。それでも新藤兼人の手にかかればいとも簡単にきちんとした恋愛ドラマになってしまうのですから、新藤兼人にとってシナリオライターとして脂の乗った時期だったんでしょう。

佐分利信は佐野周二・上原謙とともに戦前の松竹三羽烏として売り出されていましたが、美男子系の二人に比べると正義感の強いぶっきらぼうで無頼漢的なポジショニングにありました。かたや高杉早苗は『隣の八重ちゃん』でデビューするとその可憐な美貌が人気を集めて松竹蒲田の看板女優のひとりになった人。松竹が大船撮影所を開設した以降も多くの映画に出演しましたが、昭和13年に三代目市川段四郎と結婚して梨園の妻となり、舅の二代目猿之助の要請により映画界を引退することに。しかし戦争が終わり段四郎の借金がかさんだことから映画界復帰が許されて本作の前年に溝口健二監督の『夜の女たち』で十年ぶりの映画出演を果たした時期でした。

監督は渋谷実で、松竹では木下恵介と犬猿の仲と言われたヒットメーカーのひとり。大船撮影所前にあった松尾食堂では渋谷組が食事をしていても木下組が来るとすぐに出て行ってしまうほどだったそうで、仲違いがひどくなると渋谷組のたまり場を松尾食堂から洋食専門のミカサに鞍替えするほどだったという話も伝えられています。キャメラマンの長岡博之も渋谷組の一員で、本作の後には『てんやわんや』『自由学校』『本日休診』と渋谷実全盛期の傑作すべてでキャメラを回すことになります。でも音楽だけは木下恵介の実弟の木下忠司が担当していて、そこらへんが撮影所の人間関係の不思議なところです。

【ご覧になった後で】不倫物語よりも脇で出てくる俳優たちに目が行きました

いかがでしたか?昭和24年に大人の不倫物語が作られたということ自体は進歩的だったんでしょうけど、描かれている男女の関係は逆に旧態依然としていて「身勝手な男」と「耐え忍ぶ女」というステレオタイプに過ぎませんでしたね。佐分利信は何度も再会を要求し、ついには自暴自棄になって酔っ払った高杉早苗を強引に熱海まで連れ出すものの、妻から娘が急病だと告げられた途端に家族のことを心配し出して自宅へいそいそと帰ります。高杉早苗が熱海の宿で「私は妾なの」「じゃあ結婚してくれるの」と迫っても、佐分利信は押し黙ったまま返事をしません。で、結局のところ妻も娘も捨てられない佐分利信は学生時代の別れと同様に転勤を言い訳にして高杉早苗との関係を終わらせる展開になります。まあドキドキする不倫物語というよりは、男の身勝手さやいい加減さだけが目立つ浮気話といった印象でした。

高杉早苗も娘の久我美子が佐田啓二と結婚すると言い出すとすぐに拒絶してしまい、娘時代をもっと味わってほしいという妙な説教をし出します。結果的に自分が望む結婚ができなかったことを思い出し久我美子を許すのですが、そんなの最初からわかりきった結論だったよなという気がします。『お嬢さん乾杯』では脚本を見事な喜劇にまとめあげた新藤兼人でしたが、不倫となると筆が鈍ったんでしょうか、本作は切れ味がないですし、ユーモアもウィットも感じられず、終始一貫陰鬱なトーンが支配的な作品になっていました。

渋谷実の演出も『てんやわんや』以降の諧謔味のある社会派的な視点が感じられず、佐分利信と高杉早苗の描き方も人物像の背景のようなものが感じられませんでした。なので佐分利信がどうして最近大邸宅を購入できるような経済的ゆとりがあるのかなど全く伝わってきませんでしたし、高杉早苗が雇われマダムの立場に満足しているのかしていないのかすらよくわかりませんでした。

そんなわけでほとんど振り返られることのない作品であるのも納得という感じなのですが、脇で出てくる俳優たちの姿を楽しめるという点においては見る価値があったように思います。まずは杉村春子ですよね。威勢のいい、調子のいい、あるいは意地の悪い人物を演じさせたら右に出る者がいないくらいの杉村春子が、夫の心にかつての恋人がいることを知っていてそれでも耐え忍んでかしずく妻を演じるんですよ。なかなかそんな忍耐系の役をやらない女優さんなので、そんなミスキャストとも思える役でも自分のものにしてしまえる杉村春子の演技力に感心してしまいます。特に佐分利信が告白しそうになって泣きながら後退りするのをトラックアップで追うショットは本作の中で唯一渋谷実の演出力が出たところでした。

高杉早苗の母親をやる高橋とよは、孫に対するやや突き放した態度に愛情がこもっていて真実味がありましたし、バーテン役で出てくる三井弘次の普段と勤務時の姿のギャップや高杉早苗のグラスに酒を注ぎ足すときの困り顔などに芸の細かさが出ていました。望月優子は相変わらず崩れたホステス役がぴったりハマっていましたし、嫌味な友人役の加藤嘉はこんな気障な役も似合ってしまうところが意外でした。

そんなわけでたぶん映画史的にほとんど忘れられた作品であり、どんな本を読んでも事例として挙げられることのない本作ではありますが、昭和24年に不倫を描いたことにおいては特筆すべきかもしれませんし、当時の松竹大船撮影所の俳優たちの顔ぶれが確認できる点で貴重品なのかもしれません。「鏡獅子」が上演されている当時の東劇の内部の様子や銀座線のホームまでキャメラが追いかける映像などは、戦後まもない時期の東京を仮想体験できるような雰囲気もあって、どんな旧作でも映像アーカイヴとしての価値はあるんだなと思います。(Y051224)

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