日本映画

妻は告白する(昭和36年)

原作はタレント弁護士として有名だった円山雅也という人が書いた「遭難・ある夫婦の場合」という小説で、夫婦とその夫婦の家に出入りをしている若い男との三角関係の中で起きた事件が裁かれる法廷ものとして映画化されました。
外国映画

いつも2人で(1967年)

監督のスタンリー・ドーネンは『パリの恋人』『シャレード』に次いでオードリー・ヘプバーンと組むのは三作目。一流映画監督のもとで映画出演してきたオードリーにとっては三度も組んだ監督はスタンリー・ドーネン以外にはいませんでした。
日本映画

三十三間堂 通し矢物語(昭和20年)

本作は昭和20年6月公開でなんと太平洋戦争終戦の2ヶ月前に映画館で上映されました。東宝で製作されて東宝専属だった成瀬巳喜男が監督しているのですが、撮影は松竹の京都撮影所で行われ、俳優も松竹の田中絹代と松竹から東宝に移籍して騒動を引き起こした長谷川一夫の二人が主演しています。
外国映画

栄光のル・マン(1971年)

スティーヴ・マックイーンは自らレースカーを運転するほどのレース好きで、ジョン・フランケンハイマー監督の『グラン・プリ』への出演が叶わなかったこともあって、自身のソーラー・プロダクションの総力をあげて本作に取り組むことになりました。
昭和二十年以前

土俵祭(昭和19年)

原作は鈴木彦次郎という人が書いた小説で、それを脚色したのが黒澤明です。黒澤は前年の昭和18年に『姿三四郎』で映画監督としてデビューしたばかり。脚本家黒澤明としては『姿三四郎』に続き四作目で、親方の娘との恋愛やライバル力士との勝負を実際の相撲の取組を織り交ぜて描いています。
日本映画

八つ墓村(昭和52年)

公開当時のTVコマーシャルでは、頭に懐中電灯を巻き付けて走って来る山崎努の映像と濃茶の尼の「祟りじゃー!」というセリフが使用されて、それが流行語になるくらい、松竹にしては珍しく宣伝に力を入れた作品でもありました。
外国映画

ダイヤルMを廻せ!(1954年)

本作が面白いのはまさに脚本のおかげで、ヒッチコック監督も舞台ものを映画化するときには、キャメラを外に出すなど映画的な撮り方をするのではなくあえて舞台に忠実に撮ったほうがリアリティが出るのだと言って、きわめてベーシックな演出に終始しています。
外国映画

暗くなるまで待って(1967年)

ードリーのもとにヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』を書いたフレデリック・ノットの新作が届きました。それが本作のもとになる小説だったわけですが、まもなくブロードウェイで舞台化されると知ったオードリーはすぐに映画化権を確保したいと要望を出したのでした。
日本映画

都会の横顔(昭和28年)

ルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』ってこの映画のリメイクなんではないかと思ってしまうほどで、ストーリーはないけど銀座の街と人を点描していく手法は昭和28年において清水宏が実現していたのでした。再発見されるべき作品のひとつではないでしょうか。
日本映画

アルプスの若大将(昭和41年)

ーロッパロケを行っていることに加えて、国内でも苗場スキー場で撮影したり、スキー競技もヘリコプターによる空撮を行ったりして、非常にゴージャスな感じが加わっています。たぶん製作費もそれまでのシリーズ作より多く投下されたんだと思います。
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