外国映画

未知への飛行(1964年)

原題の「Fail Safe」は誤って核攻撃が発動されたときの制御の仕組みのことで、本作ではシステムの誤作動でモスクワへの核攻撃が命令されてしまった事態に、ヘンリー・フォンダが演じるアメリカ合衆国大統領がどのように対処するかが描かれています。
1940年代

ブロードウェイのバークレー夫妻(1949年)

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースとしては1939年の『カッスル夫妻』以来10年ぶりの共演作で、RKOではなくMGMで製作されました。RKO時代はすべて白黒でしたので、二人が共演した映画としては初めてのカラー作品となり、これ以降共演はしていませんの結果的に唯一のカラー作品となったのでした。
日本映画

高度7000米 恐怖の四時間(昭和34年)

出演当時二十八歳の高倉健がパイロットを演じていて、場面が空港から機内へ移り、空と地上がカットバックされる展開はまさにパニック映画の王道で、東映東京撮影所で現代劇を中心に撮っていた小林恒夫監督の手堅い演出が光る一作です。
日本映画

女中ッ子(昭和30年)

主人公は秋田から女中をしに上京してきた織本初。奉公先の次男坊がはじめは「はつ」と呼び捨てにするのに、徐々に「はっちゃん」と慕うようになる過程がとても丁寧に描かれていて、女中が主人公のホームドラマになっています。
外国映画

8 1/2(1963年)

次作の映画作りに悩んでいたフェデリコ・フェリーニはプロデューサーのアンジェロ・リッツォーリに製作中止を申し出ようとしたときに、自分自身を反映した映画監督を主人公にすることを思いついたといいます。映画監督グイドの内面に迫るこの『8 1/2』はフェリーニの最高傑作となったのでした。
日本映画

秋津温泉(昭和37年)

岡田茉莉子が自身の映画出演が100本に到達するというので、当時のベストセラー作家だった藤原審爾の出世作「秋津温泉」を映画化することを自ら提案した作品で、昭和37年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選ばれるなど高評価を得ました。
日本映画

花くらべ狸道中(昭和36年)

大映では昭和34年の年末に市川雷蔵と勝新太郎の共演で『初春狸御殿』が作られていて、そこそこ評判が良かったのでしょうか、翌年も正月映画として「狸御殿」ものを公開することになり、田中徳三監督の本作が完成したのでした。
外国映画

博士の異常な愛情(1964年)

『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』は核戦争が現実になるという状況を深刻なタッチではなく風刺喜劇的に描いていて、スタンリー・キューブリックの最後の白黒作品であると同時に、最高傑作のひとつにあげる人も少なくない作品です。
日本映画

女は二度生まれる(昭和36年)

松竹出身の川島雄三は日活へ移り、さらに東宝系製作会社の東京映画に移籍しました。その東京映画在籍中に大映に出向いて若尾文子主演の映画を三本撮っているのですが、この『女は二度生まれる』はそのうちのひとつです。
外国映画

あの胸にもういちど(1968年)

主人公を演じたのはイギリスのポピュラーミュージックのアイドルだったマリアンヌ・フェイスフルで、黒のレザースーツに身を包んでフランスからドイツの郊外を駆け抜ける「オートバイに乗った女の子」を実に魅力的に演じています。
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