三船敏郎が請われて出演したメキシコ映画で、全編スペイン語を話します
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、イスマエル・ロドリゲス監督の『価値ある男』です。三船敏郎は黒澤作品を通じて「世界のミフネ」になっていましたので、海外からも出演オファーが多く舞い込んでいました。その中でメキシコのイスマエル・ロドリゲス監督はわざわざ東京まで押しかけてきて三船敏郎に出演を承諾するよう迫ったのだとか。結果的に三船敏郎は『椿三十郎』の撮影が始まる前にメキシコに渡って本作に主演することになりました。メキシコ映画ですから当然セリフはすべてスペイン語。しかし三船敏郎はスペイン語を完全暗記して現地に乗り込んだそうです。三船のエネルギッシュな演技が評価されたのか、本作は1961年アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされることになったのでした。
【ご覧になる前に】村で尊敬されるマヨルドーモになりたい男のお話です
アニマス・トルファーノは仕事もせずにのんだくれている粗暴な男ですが、村の祭りを取り仕切り村人たちに施しを与えるマヨルドーモになることを夢見ています。しかし妻と子どもたちとの暮らしは貧しく、下の息子を医者に見せてやることもできずに亡くしてしまいました。働き者でアニマスを支える妻が息子の死を悲しむ一方で、アニマスは葬式に現れたカタリーナと情事にふけろうとするのですが、カタリーナは五年ぶりに村に戻ってきた元マヨルドーモの男に鞍替えしようとしています。カタリーナの気を引きたいアニマスは、妻が少しずつ貯金している金をくすねて、賭け事で一攫千金を狙おうとするのでしたが…。
本作は三船敏郎にとって初の海外作品への出演作でありまして、本作以前にもアッチラ大王を扱ったイタリア映画のオファー(結果的にアンソニー・クインとソフィア・ローレン主演で製作されたのが『侵略者』)や、ニコラス・レイ監督でイヌイットの男を描いた『バレン』など、細かい出演依頼がたくさんあったそうです。三船敏郎は東宝の専属俳優でしたし、黒澤監督の作品に出演する際はすべての
スケジュールが黒澤映画優先になりますので、そのような海外からのオファーにはなかなか応えられない多忙ぶりでした。そんな中で、メキシコ人監督のイスマエル・ロドリゲス監督は、二年前から三船にアプローチをかけてきて、そのままほったらかしておいた三船が渡米したのをとらえて、ロスアンゼルスからニューヨークへと追いかけてくるほど熱心さでした。三船が「一人では決められないから改めて日本に帰ってから」といなすと、なんとロドリゲス監督は本当に日本に乗り込んできて、脚本をもって二週間にわたって三船のところに日参したのだとか。結局、「日本とメキシコを結ぶ絆になる映画を作ろう」ということで、三船は日本での映画公開権をもらうという条件だけで本作への出演を引き受けることにしました。当時のキネマ旬報が三船にインタビューした記事にこのお話が掲載されていまして、三船の飄然さがよく表れた受け答えになっているのが面白いところです。
メキシコ映画で主人公のメキシコ人を日本の俳優が演じるというのはなんとも違和感がありますが、ロドリゲス監督が三船に固執したのは、本作の主人公を三船に演じてもらわないと映画が成立しないと思ったせいでしょうね。脚本も黒澤明や菊島隆三がまあ面白そうじゃないかと太鼓判を押してくれたそうなので、三船もやるなら徹底的にやるということで、スペイン語のセリフをすべて丸暗記してメキシコの撮影現場にのぞんだのだとか。でも現場に行ったら脚本の後半が変更されていてセリフを覚えなおすハメになり、なまじ前のセリフを暗記していたために余計に手間がかかったと述懐しておられます。ご本人は意味がわからなくても発音が合っていればいいんだというようなことをコメントしていますが、もちろんそれは三船敏郎ならではの韜晦で、きちんとセリフの内容も把握して人物設計をしていたことと思います。
ロドリゲス監督についても他の出演俳優についてもほとんどこれといった情報がなく、ほかにどんな映画に関係しているのかわからないのですが、奥さん役もカタリーナ役も女優は情熱的で肉感的な魅力のある二人が演じています。それに比べると男優たちはどれもこれも『荒野の七人』に出てくる村人たちのような凡庸な顔をしていて、こんな男優しかいないなら確かにロドリゲス監督もミフネに出てほしくなるだろうなという感じがしてしまいますね。
【ご覧になった後で】三船敏郎が出ていなければとても見ていられませんな
いやいや、このアニマス・トルファーノという主人公は、どこをとっても何ひとつ良いところがなく、妻や子どもたちにとっても最悪な父親で、見ているのがツラいキャラクターでしたね。この手の物語においては悪人が話の途中で善行に目覚めて改心する姿が描かれるというのが常道なのですが、アニマスは最初から最後までダメ男のまま。自分ひとりのためだけに行動し、家族をないがしろにして情婦に熱を上げ、働くこともせずに賭け事だけで財産を得られると思い込み、その運のために信仰があり、運がないとみると信仰さえ簡単に捨ててしまう。どこをとっても愛すべき要素はなく、同情すべき点もありません。普通ならこんなどうしようもない男が主人公の映画なんて見たくもないですし、見ていても途中でやめてしまうところです。
ところがこのアニマスを三船敏郎が演じると、どことなくどうしようもなさが愛嬌に見え、だらしなさが無垢な感じに思えてきてしまうんです。やっぱりロドリゲス監督の目は確かだったんですね。本作を映画にしようとするなら、『荒野の七人』の村人では絶対に無理で、日本人ではあっても三船敏郎のような個性をもった役者であれば、アニマスを違うキャラクターに見せてしまうことが可能になるわけです。エピソードの作り方とか人物の描き方など脚本は二流どころではなく三流あたりですが、ロドリゲス監督のキャスティング能力がずば抜けていたおかげで、本作はアカデミー賞外国語映画賞候補になったのです。
メキシコにおける映画産業の歴史には詳しくないのですが、モンタージュの生みの親といわれているセルゲイ・エイゼンシュタインが1930年代にメキシコに渡り、後の『メキシコ万歳』のもとになる映画を撮影したことと、ルイス・ブニュエルが『忘れられた人々』以降メキシコで低予算映画を量産したことは、映画ファンにとっては有名なエピソードです。もちろんハリウッド映画においては、特に西部劇でメキシコとの国境あたりの話がたくさん登場しますが、いずれもメキシコ=サボテンみたいなある種のレッテル貼りに基づいた映画ばかりでした。そういう意味では、この『価値ある男』はメキシコ人の手によるメキシコ原住民の実態をとらえた純メキシコ映画になるわけで、そこに日本人俳優の代名詞でもある三船敏郎が出演したことは、現在の視点ではなかなか先見の明があったといえるのではないでしょうか。また三船にとっても本作の出演がステップとなって、1960年代後半の『グラン・プリ』や『太平洋の地獄』などの大作に出演することになるのですから、キャラクター的にみるとなんでこんな映画にと思ってしまう一方で、映画キャリア的には世界進出に適当な選択だったのかもしれません。(A031422)
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