テキサスからミズーリへ9000頭の牛を移動させる西部開拓民の冒険物語です
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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ハワード・ホークス監督の『赤い河』です。原作はサンデー・イブニング・ポスト誌に連載されたボーデン・チェイスの小説で、チャールズ・シュニーと共同で脚本化されました。ジョン・ウェインが老け役に初挑戦した作品で、西部開拓史をリアルに取り扱った西部劇としてアメリカでは公開されると大ヒットを記録。1948年の興行収入第三位にランクされると同時に、西部劇は不利だと言われていたアカデミー賞でも脚本(原案)賞・編集賞の2部門でノミネートされています。
【ご覧になる前に】50年代に活躍するモンゴメリー・クリフトの映画初出演作
開拓民の幌馬車隊から離脱して単独行動をとるダンソンは恋人のフェンに母の形見の腕輪を渡すと、料理が得意なグルートとともに2頭の牛を引いてテキサスに向います。途中インディアンに襲われたダントンが幌馬車隊の全滅を悟ったとき、命からがら逃げてきた少年マットを仲間にしてテキサスの土地に腰を落ち着けました。それから14年の月日が流れ、1万頭近い牛を育てる大牧場を率いる立場になったダントンは、南北戦争で牛の価格が暴落したテキサスから需要があるミズーリまで大移動する計画を立てます。復員してきたマットを伴い、流れ者のチェリーや契約書にサインした牧童たちととともにダンソンたちは100日の行程に出発するのですが…。
ハリウッドでB級西部劇専門俳優だったジョン・ウェインはジョン・フォード監督の『駅馬車』で主役に抜擢されて注目されるようになったものの、その後はあまり作品に恵まれず、西部劇と戦争映画への出演が続いていました。第二次大戦が終結した1946年、そんなジョン・ウェインに巡ってきたのが、この『赤い河』のダンソン役。当初はゲーリー・クーパーを起用する予定でしたが、役柄が合わないと断られてしまいます。クーパーに代わってダンソンを演じたジョン・ウェインは、撮影時に三十九歳だったにも関わらず老け役を見事にこなして、ハリウッドのボックス・オフィス・スターの仲間入りを果たすことになったのでした。
本作は1946年に撮影されたものの1948年製作・公開作品とされています。というのもハワード・ヒューズが製作した『ならず者』(1943年)に似ているとクレームがついて法的問題が解決するのに時間がかかったからなんだそうです。『ならず者』は途中まで監督をつとめていたハワード・ホークスが降板したためハワード・ヒューズが監督を兼務することになったという経緯があり、そんな因縁も背景にあったのかもしれません。ジョン・ウェインは1948年にジョン・フォード監督の『アパッチ砦』と『三人の名付親』に出演していますが、実際には『赤い河』の出演は二年前だったわけですね。1949年の『黄色いリボン』でジョン・フォードはジョン・ウェインに退役寸前の将校役を演じさせているので、『赤い河』のダンソン役を演じきったことでジョン・ウェインはジョン・フォードの信頼を獲得したといえるでしょう。
ジョン・ウェインの相手役マット・ガースで映画デビューすることになったのがモンゴメリー・クリフト。十三歳からブロードウェイの舞台に立ち活躍していたモンゴメリー・クリフトは映画出演のオファーを断り続けていたのですが、同じくデビュー前だったバート・ランカスターが『殺人者』の出演を選んだためにモンティがマット役で映画初出演することになりました。モンゴメリー・クリフトは『陽のあたる場所』『終着駅』『地上より永遠に』などで1950年代のスターとなっていくのですが、メジャースタジオとの専属契約はせず、話題作への出演も断ることが多かったそうです。『赤い河』出演時もタカ派のジョン・ウェインとは撮影以外では口をきかず、ウォルター・ブレナンとも仲が悪かったんだとか。後年ハワード・ホークスから『リオ・ブラボー』のディーン・マーティンがやった役を依頼されても結局出演することはありませんでした。
サイレント時代からハリウッドで監督をしていたハワード・ホークスにとって本作は初めての西部劇作品でした。航空ものの『コンドル』、伝記映画の『ヨーク軍曹』、冒険ものの『脱出』、ハードボイルドの『三つ数えろ』と多彩な作品を撮ってきたハワード・ホークスが監督したことで、本作はそれまでの西部劇にはないリアルな西部開拓史を映像化することになりました。ハワード・ホークスはアカデミー賞監督賞を一度も受賞したことがなく、1975年にやっと名誉賞が授与されていて、ハリウッドにおいては主流とは見なされていませんでした。そんなホークスにスポットを当てたのがフランスのカイエ・デュ・シネマの批評家たちで、ゴダールやトリュフォーが「作家主義」の映画監督として高く評価をしたのです。その流れはアメリカに飛び火して映画評論家出身のピーター・ボクダノヴィッチは、自ら監督した『ラスト・ショー』に登場する映画館でこの『赤い河』を上映させています。
【ご覧になった後で】西部開拓のスケール感と群像劇が合体された傑作西部劇
いかがでしたか?たった2頭の牛から始めて多くの牧童たちを雇い入れる大牧場経営を担うようになる導入部からスケールの大きさが伝わってきて、その牧場のすべての牛を100日かけて移動させるという大事業を完遂しようとする計画の壮大さに圧倒される物語でした。アカデミー賞の脚本(原案)賞にノミネートされるのも当然で、本作が傑作足り得たのは脚本の良さにあることは間違いありません。オスカーを受賞した『山河遥かなり』がモンゴメリー・クリフトの主演作で、本作の製作が遅れたため映画公開はこちらが先になり、脚本賞をさらわれる結果になったのはなんとも皮肉な流れでした。
テキサスからミズーリというだけではその距離感がつかめないのが実際で、ここらへんは双葉十三郎先生が本作の採点に加えた文章がその遠大さを伝えています。「レッド・リヴァーとは、テキサス州の北西に源を発し、インディアン・テリトリーの南辺を区画しつつ東に流れ、アーカンソー州の西南端に入って南東に下り、ルイジアナ州を斜めに二分し、ミシシッピー河に合流する延長千二百哩の大河」ということですから、約2000km弱なわけで、日本列島の3分の2くらいの長大な川になります。またテキサスの牧畜業は南北戦争直後から飛躍的に発展したものの販路を求めるのは容易ではなく、「南はメキシコ湾、陸路リオ・グランデを以て境を接するメキシコは貧乏で市場を求むべくもない。東は戦争で疲弊の極みに達したルイジアナ、西はと見ればカイオワ族・コマンチ族が暴威をふるう平原が横たわっている。残された唯一の進路は北。インディアン・テリトリーを超えたミズーリはちょうど開拓がさかんになった頃で、牛に餓えていた。これこそ唯一にして最上の市場である」。ジョン・ウェインがひたすらミズーリを目指すという設定は、脚本上のきちんとした歴史認識があったんですね。
脚本に加えて本作の成功要因はキャスティングにあると思います。主人公ダンソンは大牧場の経営者であり、牧童たちを束ねる統率者であり、マットの親代わりであり、100日の大移動を先導する暴君でもあります。わずか2時間の映画の中でひとりの人物に潜む多様な側面を表現しなければならないわけで、『駅馬車』で頭角を現したジョン・ウェインをダンソン役に配したのは当時としては大きな賭けだったのではないでしょうか。見事にダンソンを演じきったジョン・ウェインが本作出演後にジョン・フォード監督作品で主役を張り続けることになるのですから、本作はジョン・ウェインにとって大きなスプリングボードになりました。
また映画出演経験のないモンゴメリー・クリフトは、ダンソンの指示に従いつつ、脱走者を縛り首にするという考えに反旗を翻し、一気にダンソンからリーダー役を奪ってしまう展開をうまく演じていて、観客もリーダー交代を快く受け入れることができました。その意味ではマット役は薄っぺらくても重すぎてもダメで、従順な参謀役がついには頭領を超えていくという変化を真面目で誠実なキャラクターとして表現していたと思います。またウォルター・ブレナンはアカデミー賞助演男優賞を三度獲っただけのことはあるなと思わせる相変わらずの安定感でしたし、ジョン・アイアランドの腕利きぶりもバイプレーヤーとして適役でした。
後半に出てきてラストでジョン・ウェインとモンゴメリー・クリフトの殴り合いをおさめる重要な役どころのジョアン・ドルーは、本作の共演をきっかけにしてジョン・アイアランドと結婚することになるんですよね。本作の後では『黄色いリボン』でジョン・ウェインの相手役をやり、『オール・ザ・キングス・メン』ではジョン・アイアランドと夫婦で出演しています。
また牛をアビリーンに運び終えたモンゴメリー・クリフトに「1頭20ドルで買う」と申し出るのはハリー・ケリー。サイレント時代から俳優・監督・プロデューサーとして西部劇で活躍した人で、本作出演後の1947年に六十九歳で亡くなっています。ジョン・フォード監督が『三人の名付親』で献辞を送ったくらいですから、当時のレジェンド的な人物だったようです。買値が高くてあまりにおいしい話なので、モンティが騙されているのではないかと思って見ていたのですが、ハリー・ケリーが演じた人物であれば悪人ではないと当時の観客にはすぐにわかったんでしょう。勘繰り過ぎでした。
ハワード・ホークスの演出は、ストーリーとキャラクターを見せることに徹していて、牧童たちが牛の大群を追い込んで川を渡らせる場面なんかもオーソドックスな撮り方に終始していました。映像的にはなんだか平凡だなと思っていたら、やっぱりそのまま終わるわけはなく、クライマックスがハワード・ホークスの腕の見せ所になっていました。まず新しい手下を従えて馬に乗ったジョン・ウェインがモンティたちの前に現れるショット。空を背景にした画面にググっとジョン・ウェインら一行がせり上がってくるように撮られていて、映画がクライマックスを迎えたことが伝わってくるような興奮度の高いショットでした。
それを見たモンゴメリー・クリフトが牧童たちの列から単身歩き出すところでの移動ショットも非常に効果的で、というのもここまでハワード・ホークスはパンは使っていましたけどトラックショットはここまで温存していたのです。否応なしに観客の心をグッと掴むようなドライブ感があって、それに対応するようにジョン・ウェインもその歩みに合わせてキャメラがトラックダウンします。この場面を盛り上げるためにここまでずっとフルショット中心の普通の撮り方をしていたのかもしれないですね。
キャメラマンのラッセル・ハーランは、ハワード・ホークスとは『リオ・ブラボー』『ハタリ!』でコンビを組むことになりますし、『アラバマ物語』や『情婦』なんかもラッセル・ハーランが撮影した作品です。音楽はおなじみのディミトリー・ティオムキンで、本作のモチーフは『リオ・ブラボー』の劇中でディーン・マーティンとリッキー・ネルソンが歌う「ライフルと愛馬」として再使用されることになります。(V081625)
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