おかあさん(昭和27年)

少し恥ずかしいタイトルですが、田中絹代が転機の時期に出演した家庭劇

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、成瀬巳喜男監督の『おかあさん』です。このドンズバ過ぎるタイトルにちょっと引き気味になってしまうかもしれません。その通りで正真正銘、おかあさんを主人にした家庭劇です。おかあさんを演じるのは田中絹代で、当時43歳の田中は戦前のトップ女優だったのが、戦後ある事件をきっかけに人気が凋落。そのスランプから脱したのが、溝口健二監督作品『西鶴一代女』でした。それが転機となった田中が続いて出演したのがこの『おかあさん』。日本映画史上に残る溝口作品のあとでは、なんとも印象が薄く凡庸な感じがしてしまいます。

【ご覧になる前に】いろんな意味で敗戦後の日本を感じさせる映画です

福原家は、両親と娘二人の四人家族ですが、甥も一緒に暮らしています。おかあさんの妹は夫を戦死で亡くしたため働きに出なければならず、福原家で引き取ることになっていたのでした。工場の保安係をしているおとうさんは、戦前やっていたクリーニング屋を再開することにして、毎日重いアイロンがけにいそしむのですが、過労がたたって倒れてしまいます…。

映画が始まる前のロゴマークは東宝のものですが、「東宝株式会社」のあとに「配給」と入っています。実はこの映画は、新東宝製作で、東宝は配給だけを担当していました。なぜならこのときの東宝は、戦後史に残る「東宝争議」の真っ最中。GHQの占領政策によって東宝においては敗戦の年の暮れには労働組合がつくられ、もとから自由闊達な社風であったため組合員によるストライキが頻発することになりました。撮影所がロックアウトされるので映画製作が進まず、映画をつくりたいと願うキャストとスタッフが、会社にも組合にも与しないという立場から「新東宝」なる新しい映画会社を設立したのでした。成瀬巳喜男監督も東宝を離れてフリーとなり、以後映画会社の枠を超えた仕事をすることになります。

一方で、本作が公開された昭和27年は、サンフランシスコ講和条件によってGHQによる占領が終了した年。占領が4月までで『おかあさん』は6月公開です。なんとも微妙なタイミングですが、GHQが占領政策の一環として映画の検閲をしていたのは有名な話です。封建的だという理由で時代劇の製作が禁止されたり、自由な恋愛を推奨するという理由でキスシーンを撮影させたりしました。なので『おかあさん』は、製作段階からあらかじめGHQの検閲を通るようにつくられたのではないか、と想像させるような時期の作品なのです。労働組合運動からの影響や、GHQの意向への目配せなどを思い浮かべながら見ると、少しわざとらしい作り方もなんとなく納得できるような気がします。

【ご覧になった後で】教育映画を見ているようで、ちょっと泣ける場面も

小学生の頃に体育館や講堂に集合させられて見させられた、教育映画のような作品でしたね。貧しい暮らしの家族がいて、父親が死んでしまい、でも母親はなんとか見つけた仕事に精を出し、幼い子どももそれを助けて前向きに生きる、みたいなやつです。小さいときだったので普通に見ていましたが、今振り返って考えると、あれは一種のオルグのようなものだったのでしょうか。『おかあさん』もまさに教育映画の路線そのものを行っていて、おかあさんが次女の久子に「もっと他人に優しくしなさい」とか説教する教条的な場面も出てきます。しかし教育映画そのものにならないのは、やっぱり田中絹代や香川京子、中北千枝子といったプロの女優たちがきちんとした演技を見せているからでしょう。

その田中絹代がバッシングされたのが「投げキッス事件」。昭和24年、まだ海外旅行など想像もできないときに田中絹代は日米親善使節として渡米し、ハリウッドのスターたちとの面会やスタジオ見学をこなして帰国します。最新のファッションとメイクで帰国パレードに臨んだ田中は、出迎えの群衆に投げキッスをしますが、それが「アメリカかぶれ」と猛反発を受け、トップ女優は一度にその人気を失ってしまいました。失意の底で自殺まで考えたという田中絹代は、与えられた役作りに没頭することで、低迷から脱しようとします。同じ頃、新作がことごとく不評に終わっていた溝口健二監督からオファーを受けたのが『西鶴一代女』。これはもう日本映画史上で絶対に無視することができない傑作中の傑作で、溝口監督とともに田中絹代も再評価されるきっかけとなったのでした。

『おかあさん』の中で、ほんの少しだけ泣けてきてしまうのが次女の久子がおじさんの家にもらわれていく場面。甥が大切にしていた箱をもらったあとで、久子は忘れ物を取りに戻ります。それはおかあさんを描いた似顔絵。実はこの場面ではその似顔絵はほとんど画面に映りません。久子が壁から絵をはがしてカバンに入れるショットがあるだけです。でも、観客はこの場面の前に、田中絹代によく似たこの似顔絵をじっくりと見せられているので、久子が何をおじさんの家に持っていこうとしているのかがすぐにわかります。そしておじさんの家で、ひっそりとその絵を取り出す久子。でもおじさんとおばさんがいることに気づくと、そっと引き出しにしまってしまいます。セリフは「忘れ物しちゃった」だけですが、これらのショットのつなぎだけで観客は泣いてしまうのです。映画って不思議ですよね。(T092921)

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