女ばかりの夜(昭和36年)

田中絹代の監督第5作は売春防止法施行後の街娼たちの社会復帰がテーマです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田中絹代監督の『女ばかりの夜』です。田中絹代は昭和28年に『恋文』を監督して以来、大物映画監督の指導や支援を受けてコンスタントに作品を発表してきましたが、本作は田中絹代にとっての五作目の監督作品です。梁雅子という人が書いた「道あれど」という小説が原作になっていて、昭和33年に罰則施行された売春防止法によって収入を得る場を失った女性たちがいかにすれば社会復帰できるのかという地味なテーマを取り上げています。女性監督ならではの視点で社会問題を直視しながらも深刻になり過ぎず、展開に引き込まれる作品に仕上がっています。

【ご覧になる前に】新人からベテランまで幅広い女優たちが顔を揃えます

売春防止法が施行されもなお、夜の街では男を誘う女性が後を絶たず、警察が一斉検挙を行っています。補導された女性たちは婦人保護施設に収容されて社会復帰プログラムを受けることになりますが、白菊婦人寮もそんな厚生施設のひとつで、寮長の野上女史をはじめとした寮母たちが元街娼の女たちの生活指導にあたっています。脱走を繰り返すよしみ、よしみの世話を焼きたがる年増の亀寿、サイコロ振りに余念がないしづかや小雪などそれぞれに戦後の混乱期に街娼に身を落とさざるを得なかった寮生たちの中で、ちえ子と仲の良い邦子は、生活態度が模範的なことから寮を出て食料品店で住み込みの仕事を始めるのですが…。

売春防止法は昭和31年に公布され、昭和32年施行、そして昭和33年に罰則施行が開始された売春防止を目的とした法律ですが、法律として効力を発するまでには紆余曲折があったようです。というのも赤線と呼ばれる売春斡旋業者が集まった地区は日本全国に点在していて、溝口健二監督の『赤線地帯』でも描かれた通り、需要と供給がバランスよく存在していた性産業を生活の糧とする人々は相当な規模に及んでいたからでした。実際にGHQによって昭和21年に廃止されるまで存立していた「娼妓取締規則」においては、娼妓(遊郭や宿屋で男性に性的サービスを提供する女性)稼業を行うにあたっての手続きや制限、罰則が明治33年の内務省令として定められていて、要するに国が街娼の存在を公に認めていたのでした。

なのでいわゆる赤線などの性産業に多くの人が従事していたため、昭和23年に売春等処罰法案が提出されたものの国会で廃案となり、なんとなくうやむやにされながらも昭和32年になってやっと売春防止法が可決・成立したのでした。それでも赤線に関わる業者は法律を撤回させようと与党に働きかけ、刑事処分に至るまでの猶予期間と十分な補償制度に必要性を訴えかけ、結果的に施行後一年間は罰則を科さず、また婦人保護施設の設置が進められたのでした。

本作はその婦人保護施設から社会復帰しようとする元街娼の女性たちを主人公にしていて、売春防止法まではよく知られてはいましたが、その後街娼たちがどうなったかにはほとんど注目されていなかったこともあり、この重めのテーマは女性監督としての地位を確立した田中絹代にとってまさにうってつけの題材になりました。『乳房よ永遠なれ』でコンビを組んだ脚本家の田中澄江に原作をシナリオ化させた田中絹代は、東宝の製作専門子会社である東京映画で本作を完成させたのでした。

街娼が多く登場する映画ですので、当然ながら本作には新人からベテランまでいろんな女優さんが出演して普段とはちょっと違った演技を披露しあっています。主人公邦子を演じたのは原知佐子。新東宝から東宝に移籍して数本の出演作しかなかった原知佐子にとっては本作が初めての主演作品となりました。ちなみに原知佐子は「ウルトラセブン」の演出家として有名な実相寺昭雄と結婚することになります。邦子の親友ちえ子には北あけみ。原と北の二人は『その場所に女ありて』で司葉子の同僚役として再共演しています。脇では浪花千栄子、千石規子、中北千枝子など戦後の日本映画を支えた女優たちが配され、また寮母側には淡島千景、沢村貞子、岡村文子が登場し、『恋文』で娘役を演じていた香川京子が立派な奥様役として成長した姿を見せてくれます。

女優陣に比べると男優は少し地味に見えますが、桂小金治、平田昭彦、伊藤久哉などが登場場面は少ないながら堅実な演技を見せてくれますし、後半には若くて凛々しい夏木陽介が登場します。

【ご覧になった後で】田中絹代監督作の中でも安定感があり見応え十分でした

いかがでしたか?監督第五作にして田中絹代は自分の作風を完全に手の内に入れたという感じで、非常に安定感がありますし脚本もよく練られていて見応え十分でしたね。内容的には地味ながら、その中でストーリーラインに変化があって興味を惹きますし、主人公邦子が次第に人間的に成長していくのが観客としても応援したくなるような展開なので、これはまさに田中絹代監督の語り口の見事さによるものではないでしょうか。良心的な社会派ドラマとしての佳作だと思います。

けれども本作の魅力はその「良心的な」ということよりも「映画として面白く」作ってあるところなんですよね。例えば浪花千栄子演じる亀寿の造形。このキャラクターの突き抜け度は本当にすごくないスかね。街娼をやっているうちにちょっとアタマがおかしくなってしまった五十九歳の初老の女。それをスレスレのところで喜劇的に演じる浪花千栄子の演技力。独居房に閉じ込められているときにひとりでコックリさんで祈願している図なんて、あれはたぶん原作にはない映画上での創造でしょう。ちょっと図抜けたキャラクターでした。また、桂小金治と中北千枝子の食料品店夫婦の関係なんかも、原知佐子がひっかき回すのですが、小金治の飄然さと中北のキンキン感のハーモニーが最高に楽しめました。田中絹代も監督として余裕が出てきたのか、ちえ子が勤める食堂は「カロリー軒」で、小津安二郎の作品にしばしば登場する料理屋の名前をそのまま拝借しています。この場合はパロディというよりオマージュなんでしょうけど、田中絹代の遊び心が垣間見えるようでした。

二番目の就労先の工場内リンチはまともに見ていられないくらい陰惨でしたが、あの暗さを描き切っているからこそ、三番目のバラ園がとても安心感があって幸福感に満ちたシークエンスになるんですよね。出し入れというか上げ下げの加減が見事で、ほとんど映像的テクニックは前面には出てこないのですけど、いつのまにか観客を物語の中に引き込んでしまっている語り口は、田中絹代監督の成熟度を表していると思います。まるで成瀬巳喜男か普通の映画を撮るときの木下恵介かというレベルの安定感でした。

そんな語り口があるので、夏木陽介の実家から断りの手紙が届いたのを読んだ後で、夜道を歩く原知佐子をトラックバックしながらアップでとらえた移動撮影がものすごい重圧度でエモーショナルに感じられるのです。ただし、手紙を読んで突っ伏して泣くのではなく、あそこは平田&香川夫妻に遠慮する気持ちもあって涙をこらえる形にして、外に飛び出してから耐えきれずに号泣するという流れにしたかったところでした。まあ余計なお世話ですけど。

そして目立たずに効果的なのが林光の音楽。もう日本映画界における最高の作曲家は林光に決定してもいいんじゃないでしょうか。実にロマンティックで印象的な旋律なんだけどいっさい映像を邪魔しないという映画音楽の鏡のようなBGMで、特にバラ園のシークエンスの幸福感は半分くらい林光の音楽が寄与したものだと思います。

しかしですよ、売春防止法までは知っていても、婦人保護施設というのがあって、白菊婦人会のような施設で社会復帰を目指そうとする女性たちがいたことや、それが決してうまく行かず、やっぱり過去から逃れることが難しいという女性たちの抑圧された暮らしがあったということは、全く知りませんでしたし、世間的にも認知されていなかったと思われます。田中絹代監督だからこそ、このような地味な社会的テーマに着目できたのでしょうし、まだ昭和30年代半ばであれば世相的にもこういう社会派映画を製作・公開するのが許された時代だったんでしょう。日本映画界の幅の広さ、奥行きの深さを感じさせますし、原知佐子が淡島千景に向って叫ぶ「なぜ身体を売って生活してはいけないの?」という永遠の問いかけを映画上で実現できた最後の時期だったのかもしれません。現在ではそんなことを口にしただけで人権問題になってしまいますもんね。(T070122)

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