黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』がヒットして作られた続編の後日譚です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、黒澤明監督の『続 姿三四郎』です。富田常雄の大衆娯楽小説を映画化した『姿三四郎』で黒澤明は監督デビューを果たしましたが、柔道と柔術の抗争を描いた架空の活劇は戦時下の大衆の喝采を受け、大入り満員のヒット作となりました。東宝としては戦時統制で製作本数も絞られていましたので、ある程度のヒットが見込めて内務省の検閲にも通りやすい続編を作るのが安パイでもあり、まだ新人監督で発言権もなかった黒澤明も会社に命じられるままに監督するしかなかったのでしょう。藤田進と月形龍之介のライバル同士を含めてほとんど同じ顔触れで続編が作られました。クレジットタイトルでは『續 姿三四郎』と旧字で表示されていますが、大船シネマでは「続」と表記させていただきます。
【ご覧になる前に】俳優はほぼ前作と同じですがスタッフが変わっています
アメリカの水兵を乗せた車夫の少年は急な坂道を耐えきれず、バランスを崩した人力車と水兵もろともひっくり返ってしまいます。怒って少年に殴りかかろうとする水兵を止めたのは姿三四郎。二年間の旅修業を終えて横浜に戻ってきた三四郎は、在留外人たち開いた拳闘大会で外人ボクサーと対戦しようとする日本人を「見世物になるな」と止めに入ります。するとその柔術家は「柔術の使い手たちが食うために見世物になるのは三四郎の柔道に檜垣源之助が敗れたためだ」と告げるのでした…。
黒澤明は『姿三四郎』で映画監督として鮮烈なデビューを飾りましたが、戦時下で検閲を通すために作られた第二作は軍需工場で働く女性たちが日本の勝利を祈って健気に働く『一番美しく』でした。日本光学すなわちニコンのレンズ工場を舞台にしたものの、内容的には黒澤明らしい作品とはいえず、東宝は第三作として『姿三四郎』の続編を企画します。富田常雄の原作は吉川英治の『宮本武蔵』と並んで人気があったといいますからそこそこのヒットが見込めますし、『姿三四郎』の続編なら内務省の検閲も簡単に通るだろうということで、昭和20年5月に劇場公開されることになりました。
昭和20年5月といえば、日本の敗戦が濃厚になっていた時期で、零戦を製造していた三菱の工場があった名古屋は大空襲にあい国宝だった名古屋城を焼失していますし、沖縄では本島に上陸した米軍との攻防の末に首里司令部が陥落し日本軍が島の南部に敗走していました。すでに東京は3月の東京大空襲によって下町のほとんどが焦土と化していましたから、そんな時期に新作映画を公開したとしてもどの映画館で上映されたのか、またどんな人が見に行っていたのか全く想像もできません。
東宝は東京の砧撮影所だけではなく京都にも撮影所を所有していました。というのも東宝の前身のひとつであるJOスタヂオは京都の太秦の近くにあった撮影所を本拠地として映画製作を行っていまして、東宝になってからも東宝映画京都撮影所として西の撮影拠点となっていたのです。当初は時代劇が主に撮影され、やがて砧撮影所が拡充されるとその補助的な位置づけになっていきました。そうすると空襲が激しくなっていた時期に製作された本作は東京砧ではなく京都で撮影されたのではないかと考えたのですが、なんと東宝京都撮影所は昭和16年9月に閉鎖されてしまっていたのでした。跡地は大日本印刷の工場になったそうですが、現在ではその工場も閉鎖しているようです。それはともかく、本作は空襲が激しくなっていた東京で撮影された作品に間違いありません。
続編なので俳優はほとんど前作と変わらず、主人公の三四郎は藤田進ですし、師匠の矢野正五郎は大河内伝次郎、ライバルの檜垣源之助は月形龍之介で、弟の鉄心と二役で出てきます。三四郎が思いを寄せるお小夜も前作同様轟夕起子が演じていて、ちょっとふっくらしているところがご愛敬です。一方でスタッフはかなり変わっていまして、前作でキャメラマンをつとめた三村明は本作では伊藤武夫に変わっています。伊藤武夫は阪妻プロから松竹下加茂撮影所に入り東宝に移籍していました。黒澤明監督作品では戦後に『酔いどれ天使』でもキャメラを回し、最終的には東映京都撮影所に腰を落ち着けることになります。また前作は監督助手に後に「社長シリーズ」や「若大将シリーズ」を監督する杉江敏男がついていましたが、本作では後にプロデューサーになる宇佐美仁が監督助手をやっています。変わらないのは音楽の鈴木静一くらいでしょうか。まあ音源はもしかしたら前作の使い回しかもしれませんけど。
【ご覧になった後で】決闘の場面も盛り上がらず二番煎じの感は否めません
いかがでしたか?『姿三四郎』はあの増村保造が「最高の傑作であり極度に感動した」と激賞して黒澤作品のベストに推すほどでしたが、本作はやっぱり続編だけあって二番煎じの感は否めませんでした。主役を演じた藤田進でさえ「『姿三四郎』は後編(本作のこと)と比較すると雲泥の差がありますね」と言い「前編には”詩”がありますが、後編は赤新聞というか赤本的なところがありました」とケナして「もう質的にエッセンスを使い果たしたあとの粕みたいなもんですからやむを得ないと思いますけど」とかなり手厳しいコメントを残しています。
脚本も黒澤明が書いていますが、前作とは違って三四郎の苦悩や成長が全く描かれておらず、ある程度完成された柔道家が復讐に来たかつてのライバルを軽くいなすみたいなストーリーラインになっているため、感情に訴えてくるものが何もない脚本になっていました。冒頭で三四郎がアメリカのボクサーを倒すのもいかにも内務省の検閲官を喜ばす仕掛けにしか見えませんでしたし。まあこの時期に「ボクシング対柔道」という異種格闘技を題材にしたのは驚くべきことですけど。ライバルの檜垣鉄心も兄の源之助のようなちょっと雰囲気のある気障な悪役という感じではなく、大声ばかり出している軽薄でがさつな乱暴者といった体で、精神を病んでいるという設定の末弟の源三郎のほうが不気味な雰囲気を出していて印象に残りましたね。
この源三郎を演じたのは河野秋武で、戦後には今井正の『民衆の敵』や黒澤の『わが青春に悔なし』で体制に反発するリベラリストを演じ、東宝を離れると日活や東映に籍を移して長く脇役として活躍し続ける俳優です。河野秋武は前作では修道館で三四郎の同僚となる壇を演じていたのですが、河野が悪役側に回ったため本作で壇をやることになったのが森雅之。小説家有島武郎を父に持つ森雅之は文学座の結成に加わっていた時期で舞台での老け役が絶賛されていましたが、生活のために映画出演もするようになっていたんでしょう。本作がまだ四本目の出演作となっています。でも本作の壇のような端役から二作後には『安城家の舞踏會』で滝沢修の長男役を演じるわけですから、映画界であっという間に主役級に昇りつめたことになります。
前作はすすきの草原での決闘がダイナミックでスタティックなクライマックスになっていたのですが、本作ではなぜかいきなり雪原での対決になっていました。月形龍之介が白い雪の斜面を画面の右下に向ってズルズルと転がっていくところで決着となるものの、決闘自体は何の迫力もなく、しかも雪を背景に撮っているので露出設定が難しかったのか人物がほぼ真っ黒に映ってしまい、戦っている表情もわからないような映像になっていました。映画全体を見ても前作ではスローモーションや俯瞰ショットをうまく使っていたのに、本作の黒澤明は切れ味が今ひとつで、印象的だったのは車夫の少年が柔道に目覚めていく過程をオーバーラップで少年が右から繰り返しフレームインさせることで表現したところくらいでしょうか。
あとは轟夕起子が藤田進に向ってお辞儀をして見送りするショットをキャメラの位置を後退させながら、同じ構図のまま徐々に轟夕起子の姿が小さくなっていくというカッティングがユーモアもあって面白かったですね。ただやっぱり女性の描き方については黒澤明は本当にウブな感じがしてしまって、女性の「女」の部分が無視されて轟夕起子の存在を偶像化された女性像としか描けていませんでした。轟夕起子だけでなく、大河内伝次郎の師匠も高堂国典の和尚も、前作ほどの威厳や達観した感じがなく、役回り上のセリフを言っているようにしか聞こえませんでした。そこらへんもこの続編が「絞り粕」のようにしか感じられない要因にもなっているのかもしれません。(U102223)
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