幽霊島の掟(昭和36年)

大川橋蔵以下東映時代劇スターによる奇想天外な無国籍風アクション時代劇

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、佐々木康監督の『幽霊島の掟』です。タイトルに幽霊島とありますが、本編の中では竜神島と呼ばれる南の島が舞台になっていて、九州大名として出てくるのはたぶん薩摩藩の武士たちのことでしょう。時代設定は幕末で、薩摩藩が銃や弾薬を幕府に隠れて入手するための密輸入ルートの結節点がこの島になっており、中国人や南蛮人を交えて誰が敵で誰が味方かわからない情報戦が繰り広げられます。東映にしては珍しい無国籍風のアクション時代劇なのですが、大川橋蔵をはじめ東映京都を代表するスターたちが勢揃いするのも見どころになっています。

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日本のはるか南にある竜神島へ向かう船には密輸でひと儲けしようとする商人たちのほかにひとりの浪人侍が乗船していました。浪人が島に着くとすぐに文次と名乗る男が声をかけてきて、島のボスである周のところに案内されます。南蛮人から銃・弾薬を仕入れて九州大名に横流しをして利ザヤを稼いでいる周は浪人を用心棒として雇おうとしますが、浪人は二丁拳銃をぶっ放しながらその話を断り、文次から教えられた竜宮伝という宿屋に向います。そこには密輸入の主導権争いで周と対立しているルソン屋が待ち構えていたのでした…。

本作を時代劇と言ってしまうにはあまりに舞台設定が奇想天外で、幕末という時代設定ながら登場人物のほとんどが中国人風の衣装を着て、サングラスをかけているという無国籍テイストになっています。無国籍アクションといえば日活の得意分野だったわけで、昭和34年公開の『ギターを持った渡り鳥』がその嚆矢とされています。東映時代劇は昭和30年代前半にその絶頂期にありましたが、日活無国籍アクションが台頭してきたりTVが急激に家庭に普及していったりして観客を奪われ、昭和30年代後半はその力が衰え始めた時期でした。なので、たぶん東映でも日活の無国籍アクション程度の映画は簡単に作れてしまえるんだぞというところを本作で見せようとする意図があったのかもしれません。結果的に本作は、この年の東映時代劇としては『赤穂浪士』『宮本武蔵』に次ぐ成績を上げて、日本映画の年間配給収入ランキングでも第六位に入る大ヒットになったのでした。

ヒットの要因はなんといっても東映時代劇スターの揃い踏みでしょう。大川橋蔵は「新吾十番勝負」や「遠山の金さん」シリーズに主演した全盛期で、美空ひばりは昭和29年から昭和38年まで東映と専属契約を結んで毎月のように出演作が公開されていた時期で、映画の中で歌を披露するのがお約束になっていました。さらに鶴田浩二は昭和30年に五社協定がある中で東宝から東映への円満移籍が実現して間もない頃の出演ですし、中村錦之助・大川橋蔵とともに東映時代劇を支えた東千代之介は昭和30年代後半に主演から外される頃だったでしょうか。二世の若手として頭角を現してきた北大路欣也と松方弘樹の二人がやんちゃな個性を発揮しますし、逆に対立するボス役には親世代の月形龍之介と松方の実父である近衛十四郎が存在感を見せます。女優陣では丘さとみがキュートな男装姿で出ていて、脇では堺正章の実父の堺駿介が東宝の沢村いき雄と同じような道化キャラを演じています。

脚本は結束信二という人のオリジナル脚本で、この人は『謎の黄金島』とか『異国物語ヒマラヤの魔王』とか『里見八犬伝』とかの東映時代劇シナリオをたくさん書いていて、異国情緒溢れる冒険譚的なストーリーを得意としていたのかもしれません。監督の佐々木康の蒲田時代から松竹の監督をやっていましたが昭和27年に東映に移籍後は東映京都で時代劇専門の監督になった人。この佐々木康と結束信二は東映で200本近い作品を作った人たちですので、毎週上映作品を替える東映時代劇のプログラムピクチャー量産体制の支え手であったといえるでしょう。

【ご覧になった後で】こんなのも作ってしまうほどの東映時代劇の懐の深さ

いかがでしたか?時代劇というよりはアドベンチャー活劇というかインターナショナルなギャングものというかひとつのジャンルの中に収まりきれないほどのエンタメ要素をゴッタ煮にした作品でした。日活無国籍アクションからの影響は明白ですが、同じ年に封切られた黒澤明の『用心棒』にもインスパイアされたところが垣間見られて、例えば大川橋蔵が着物の襟元から片手を出して顎を撫でるなんて仕草はモロ桑畑三十郎を演じた三船敏郎の真似ですし、いきなり拳銃をぶっ放すのは仲代達矢がやった卯之助のピストルを思い起こさせます。ひとつのシマをふたつの組織が縄張り争いして、そこに中立的な凄腕浪人が現れるというストーリーラインも『用心棒』と似ていますが、『用心棒』が昭和36年4月公開で本作が8月公開ですから、オリジナル脚本の書き起こし作業から逆算するとさすがにそれは考え過ぎかもしれません。

本作が異色時代劇としてなかなか面白く仕上がっているのは、もちろん奇妙奇天烈な脚本にもありますが、映画全体のプロダクションデザインによるところが大きいのではないでしょうか。美術監督をつとめたのは鈴木孝俊という人で、平安時代から明治時代まであらゆる時代の日本の建築物や内外装がどうなっていたかを熟知する、時代劇の美術製作には欠かせないプロフェッショナルだったそうです。本作の舞台は映画の中では竜神島としか表現されていませんが、たぶん琉球諸島のどこかの島という設定なのでしょう。日本でもなく琉球でもなく中国本土でもないという不思議な文化・風土を独自の建物や庭園や外壁や内装で表現していて、そのどれもがそれらしくもありそれらしくもない独特な世界をつくり上げていました。時代劇なのに文明開化後の明治様式風でもあり、でも中華様式が混じっているといったセットデザイン。加えて西部劇かと勘違いするような馬車の活用。しかもそれらがすべて糊も乾いていない感じの作りたてで、短期間で大道具さんが組み上げたばかりのような感触なので、映像化されるとなんだか舞台劇を見ているような感覚に陥ってしまいます。ここらへんは黒澤組の執拗なまでにリアリズムにこだわる「汚し」みたいなことは完全無視して、あくまで虚構の世界を描こうとする潔さのようなものが感じられて、爽快というか太っ腹で豪胆な製作姿勢から東映京都の息吹きが伝わってくるようでした。

出演者の中では、近衛十四郎と松方弘樹の親子共演が良かったですね。同じ画面に映ることはありませんでしたが、顔がそっくりなのでなんだか島の対立するボスが相手の女房を寝取って生ませた子じゃないかみたいなサブストーリーができてしまうくらいに似ていました。大川橋蔵がチャキチャキしていて最後に大目付だと名乗るところがカッコいいのはもちろんですが、東千代之介が実は同心で「大目付様でしたか」とかしこまるあたりに深い味わいがありましたね。東千代之介は大川橋蔵より三歳年上で東映時代劇で主役をはる時期も先んじていましたが、本作の前後から主演作が減った末に昭和40年には当時の社長岡田茂と対立して東映を退社することになります。映画界転身前の歌舞伎時代では、大川橋蔵が養子とはいえ六代目菊五郎の庇護下にいたのに対して、東千代之介は長唄の家に生まれ七代目三津五郎に師事して日本舞踊を学んだという芸歴しかありません。欲のない人だったようなので、東映でも配役通りになんでも引き受けていたのでしょうが、本作でもその私心のなさが滲み出るような演技ではありました。

繰り返しになりますが本作は昭和36年の配給成績で年間第六位のヒットとなり、当時の記録では3億円を稼いだことになっています。かたや黒澤明の『用心棒』は第四位で3億5千万円。あの『用心棒』にこれだけ僅差に迫れるってスゴイことじゃないスかね。東映時代劇の懐の深さというか底力を見せつけられるような快作だったのでした。(Y052122)

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