近松門左衛門の浄瑠璃「堀川波鼓」の映画化で武士の妻の不義がテーマです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、今井正監督の『夜の鼓』です。近松門左衛門といえば江戸中期(西暦1700年前後)に人形浄瑠璃・歌舞伎の作者として活躍した偉大な戯曲家ですが、近松が書いた「堀川波鼓」(ほりかわなみのつづみ)という三段の世話物を映画化したのが本作です。鳥取藩士が妻仇を討った事件を題材としていて近松三大姦通物のひとつとされていまして、藩士を三國連太郎、妻を有馬稲子が演じています。昭和33年度キネマ旬報ベストテンでは第6位にランキングされました。
【ご覧になる前に】山田典吾が設立した現代ぷろだくしょんが製作しています
街道を練り歩く大名行列の中に江戸勤めを終えて加増を言い渡された勘定方の彦九郎がいます。義兄から酒を出せと言われても断る節約上手の彦九郎は自宅に戻ると妻のお種が盃の返杯を受けないのを不思議に思います。彦九郎が義兄の家に帰参の報告にいくと、母親と妹おゆらの態度に冷たいものを感じます。その理由を義兄に訊くと、彦九郎の留守中にお種が舞楽の稽古に来ていた宮地という鼓師と不義密通を働いたという噂が飛び交っていることを聞かされたのでした…。
製作者としてクレジットされている山田典吾は東宝の前身であるPCLに助監督として入社した人で、黒澤明とは同期にあたるそうです。戦後に東宝に復員してすぐに結成されたばかりの日本映画演劇労働組合の東宝撮影所支部委員長に就任していますから、昭和21年から23年まで三次にわたる東宝争議では中心的な役割を果たした人物だと思われます。第三次争議終結後に山田典吾は一旦東宝砧撮影所芸能部長に就任した後に東宝を退社し、昭和24年には戦時中に菅井一郎が結成したフリーの俳優たちの集団・第一協団を再結成して代表につき、さらには新藤兼人・吉村公三郎・殿山泰司らの近代映画協会の設立にも参加しています。
こうした経歴から見ても利益追求型の映画会社の経営陣とは一線を画した芸術至上主義の左翼映画人としての顔が浮かんでくるのですが、その山田典吾が昭和26年に立ち上げたのが現代ぷろだくしょんでした。山村聰、森雅之、夏川静江、三國連太郎が参加した現代ぷろだくしょんは、映画製作にも乗り出し、橋本忍が脚本を書き今井正を監督に迎えた『真昼の暗黒』を大ヒットさせます。山田典吾自身もプロデューサーとして様々な作品を製作していき、近代映画協会製作、新藤兼人監督の『狼』『女優』などに製作者のひとりとして名を連ねています。
本作は松竹が配給していまして、松竹と三國連太郎の関係はご存知の通り大船撮影所の入り口に「犬・猫・三國入るべからず」という看板が掲げられたほど最悪なものでした。松竹に入社した三國連太郎は、勝手に東宝の映画に出演しその後日活と専属契約を結んだことで五社協定違反第一号のレッテルを張られていましたから、いくら現代ぷろだくしょんの製作作品だとはいっても、そんな因縁のある三國連太郎主演作を松竹がよくもまあ配給したものだと思います。
しかしながら昭和33年は日本映画史においては観客動員数が史上最高を記録した年度で、メジャー映画会社各社が週替わりの二本立て興行を打つのが当たり前になっていた時期。昭和33年の年間公開本数は537本という記録が残っていまして、当時のメジャー6社(松竹・東宝・大映・東映・日活・新東宝)が52週興行していたとすると、週平均1社あたり1.7本を上映していた計算になります。つまり1社で年間90本くらいの新作を作らなければならなかったわけで、自社製作だけだととても追いつかず、現代ぷろだくしょん製作で三國連太郎主演という本作のような作品でもあえて配給ルートにのっけて番組を埋めていく必要があったのかもしれません。
【ご覧になった後で】橋本忍と新藤兼人の共同脚本は本当だったんでしょうか
いかがでしたか?妻の不義密通という難しい題材をミステリー仕立てで解きほぐしていく展開が面白く見られましたし、俳優たちがみんな演技が上手なので緊張度の高い画面に引き込まれるような感じでした。今井正にとっては初の時代劇だったそうですが、リアリズムを前面に押し出して、有馬稲子をはじめとして人妻役の女優はみんなお歯黒・眉なしのメイクアップで統一されていたのが印象的です。人妻の姦通ということを強調したかったためなのかもしれませんが、このメイク法だと誤魔化しが効かないので、逆に有馬稲子なんかはメイクで盛らなくても本当に美人だったんだなあということがよくわかりました。
今井正の演出は非常にオーソドックスで、基本ミディアムショットで室内の人物をおさえながら、場面が緊迫してくると寄りの構図を多用して人物の表情をクローズアップで大写しにしていきます。そして三國連太郎が有馬稲子に真実を問い詰める場面では画面をやや斜めに傾けて不安な心理描写を映像で表現していました。とはいってもどれもまあ普通の演出法なので、本作は特に監督の手腕で見せていくというよりもきちんと書かれた脚本を演技上手な俳優たちが演じていくというタイプの作品だったと思います。
その脚本はなんと橋本忍と新藤兼人の二人が並列でクレジットされていまして、日本映画を代表する偉大な脚本家二人が共同して書いたというのはこの一本しか存在しないのではないでしょうか。『羅生門』の原型を作った橋本忍は、『七人の侍』『生きものの記録』で黒澤明監督との共同脚本作業スタイルをマスターしたあと今井正の『真昼の暗黒』、野村芳太郎の『張込み』といった原作物をひとりで脚色できるような実力を発揮し始めた時期。かたや新藤兼人は近代映画協会を設立してその運営資金を稼ぐために映画会社を問わず注文作品を次々と大量にこなしていました。
当時の脚本家の執筆料がどれくらいだったかはよく知りませんけど、少なくとも新進気鋭の橋本忍と大ベテランの域に達しようとしていた新藤兼人に二重に脚本料を支払うほど現代ぷろだくしょんに製作費の余裕があったとは思えません。橋本忍は現代ぷろだくしょん製作・今井正監督の『真昼の暗黒』で結末を無罪にするという意思を貫いたそうですし、新藤兼人は近代映画協会設立にあたって山田典吾に恩義を感じていたかもしれません。なので本作における共同脚本はほとんどノーギャラで成り立っていたのではないかと邪推してしまいます。ギャラの問題はさておいても、橋本忍と新藤兼人が仲良く共同で本を書く図は全く想像できません。パートに分けて受け持ったのか、どちらかが先に書いたものを途中で忙しくなってほっぽりだして、もう一人が完成させたのか。いずれにしても共同脚本ではなく、クレジット上に二人が併記されたというのが実際なんではないでしょうか。
それでいうと三國連太郎が有馬稲子に「それで、それで」と森雅之との不義の場面を問い詰めていき、それが回想シーンで映像化される流れは、いかにも橋本忍らしいシナリオ展開ではないかなと思います。橋本忍は時制の扱い方が非常に上手ですし、橋本忍の脚本の特徴でもあるので、新藤兼人っぽい感じよりは橋本忍の色が強く出ているように感じました。でもまあここで有馬稲子が突然森雅之に色仕掛けするのは、三國連太郎のことを一意専心待ち焦がれている貞淑な妻というキャラクター設定からすると無理があるような気もしますね。近松門左衛門の原作はここの要因をお種の酒乱癖に結び付けているそうなので、本作でも有馬稲子が酒を飲まされ過ぎて正気を失ってしまったという体にしたほうがよかったような気もします。
それでも有馬稲子の艶っぽい演技はなかなかで、この人はこういう悪女ギリギリの線を行くときに本領を発揮するタイプの女優さんだったんだなと思われます。三國連太郎は相変わらずの表情演技が秀逸ですし、不義のきっかけをつくる金子信雄や実直な義兄の殿山泰司、困った顔の親戚筋をやる東野英治郎、浜村純、加藤嘉などみんなセリフは少ないのに、配役が適切なのでストーリーがうまく運んでいく感じでした。殿山泰司はじめ、他の俳優さんたちもほとんどギャラをもらっていないんではないかと思うのは山田典吾プロデューサーに失礼でしょうか。
息子役で中村萬之助のちの二代目中村吉右衛門が出演していたのも見どころでした。本作の3年後の昭和36年に八代目松本幸四郎は菊田一夫の招きを受けて松竹を離れて東宝に移籍し、東宝歌舞伎の創設に携わることになります。そのときに市川染五郎と萬之助の二人の息子も引き連れていきますので、中村萬之助の松竹作品への出演は本作が最後となりました。ちなみに近松門左衛門の「堀川波の鼓」は歌舞伎でも上演されていまして、片岡仁左衛門が彦九郎を演じているようです。(U021124)
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