歌舞伎出身の大川橋蔵が遠山の金さんを演じる東映時代劇後期の一篇です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マキノ雅弘監督の『橋蔵のやくざ判官』です。タイトルが示す通り主演は大川橋蔵。大川橋蔵は歌舞伎出身の映画俳優のひとりで、東千代之介、中村錦之助、市川雷蔵とともに「二スケ二ゾウ」と称されました。この四人のうち雷蔵だけが大映で他の三人は東映の専属。昭和26年に発足した東映は日本のメジャー映画会社として最後発だったにも関わらず、他社に先駆けて新作二本立て興行体制を確立して、昭和30年代前半には東映時代劇の黄金期を迎えます。本作はその後期にあたる頃にマキノ雅弘監督が放った痛快時代劇で、町人姿で活躍する遠山の金さんこと遠山景元を大川橋蔵が演じています。
【ご覧になる前に】遠山景元は芝居小屋廃止法令に反対したので人気者に
ここは金貸しを主業とする勘兵衛の長屋。一杯飲み屋の上州屋では店の亭主が駕籠かきの二人に大坂で起きた大塩平八郎の乱についての噂話を聞かせながら、取り立ての厳しい勘兵衛の悪口を互いに言い合っています。ちょうどその頃勘兵衛は長屋に住む浪人源左衛門宅で借金の取り立てをしている最中。源左衛門に対して十両の金を返さなければ娘のお京を差し出せと迫る勘兵衛。長屋の住人たちが心配して集まってきますが、その中には最近長屋に越してきた文吉という若い衆もいたのでした…。
遠山の金さんこと遠山景元は江戸時代の旗本で北町奉行をつとめた人。幕府が天保の改革を進める時代にあって、町人たちの日常生活を圧迫するような法令に反対し老中水野忠邦と対立したといわれています。水野が寄席や芝居小屋の廃止を推進しようとするのにも反対して、一部の寄席が残ったり浅草猿若町への芝居小屋の移転だけで済むことになったりしたそうで、それがきっかけになって町人の味方となる「遠山の金さん」ものが芝居でかかるようになったとか。幕府から目をつけられた景元は北町奉行を罷免されて閑職に追いやられますが、改革の失敗により水野以下老中が失脚したことで、景元は復帰が許され南町奉行を担うことになります。本作は南町奉行時代の遠山景元を描いています。
そんな経緯があって時代劇でも「遠山の金さん」ものは定番のシリーズとなりました。なじみ深いのは昭和45年に始まったテレビ朝日(当時はNET)のTVドラマシリーズ。金さんを演じたのは中村梅之助をはじめとして市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹という時代劇のスター俳優たちでした。しかしTV以前に「遠山の金さん」をシリーズものにしていたのが東映時代劇で、主演は片岡千恵蔵。昭和25年の『いれずみ判官』を皮切りとして千恵蔵主演で昭和37年まで十八本も繰り返して映画化されました。そして同じ年に金さん役を大川橋蔵に切り替えて製作されたのがこの『やくざ判官』です。題名にあえて「橋蔵の~」と俳優名を冠したのは、千恵蔵じゃなくて大川橋蔵が主演ですよという念押しだったのかもしれません。
大川橋蔵は養父が歌舞伎役者だったことから四代目市川男女蔵の部屋子になって子役として舞台に立つうちに六代目菊五郎に見い出されて菊五郎の妻の養子になります。というのも菊五郎は市川團十郎と並ぶ歌舞伎界の大名跡。菊五郎はすでに養子として尾上梅幸を迎えていましたし、そのあとに尾上九朗右衛門が実子として生まれていたので、簡単に菊五郎の養子にするわけにはいかなかったのです。それでも菊五郎の妻の養子になるのは梨園としては大変なことで、大川橋蔵の名跡自体が三代目菊五郎が一度引退した後に舞台に復帰したときに名乗った名前。それを二代目として継がせたのですから、六代目の期待は大きなものがありました。しかし六代目菊五郎が昭和24年に亡くなると、後ろ盾をなくした橋蔵は歌舞伎の舞台では大役をもらえない立場となってしまいます。周囲には役に恵まれず映画界に転身する若手役者が増え始め、特に仲が良かった市川雷蔵が大映に移籍して成功を収めていて、しきりに橋蔵を映画界に誘ったといいます。そして昭和30年映画界入りを決意した橋蔵は東映に入社し、「若さま侍」や「新吾十番勝負」などのシリーズものに主演することになり、東映時代劇を支える看板役者になったのでした。
監督のマキノ雅弘は日本映画の父とも呼ばれた牧野省三の息子で、昭和3年に映画監督としてデビューして以来、生涯に250本以上の作品を世に送り出した人。戦前から多くの時代劇を撮っていて、戦後では東宝の「次郎長三国志」シリーズや東映での「日本侠客伝」シリーズが有名です。戦前には1本の作品をわずか10日で作ってしまうほどの早撮りの名人だったそうで、さすがに戦後のメジャー映画会社ではそこまでではなかったにしても、本作でも役者たちの芝居をキャメラを効率的に回して撮っているなと思わせるようなスピード感が映像から伝わってくるような感じがあります。
【ご覧になった後で】時代劇の推理ものとして見るとなかなかの快作でした
いかがでしたか?時代劇なのに映画の途中から本格的な推理ドラマの様相になってきて、そのトリックがなかなか手の込んだものなので、見ていて全く飽きませんでしたし、犯人候補はたくさんいるんだけど、でも真犯人は誰だろうかと思わず長屋で起きた殺人事件の中に引き込まれてしまうようでしたね。
江戸川乱歩は推理小説における「トリック分類表」なるものを雑誌で発表したことがあって、その中に「人および物の隠し方トリック」という分類があります。そこには「死体の隠し方」として83例が示されているそうですが、「一時的に死体を隠す」「永久に隠す」「死体移動による欺瞞」「顔のない死体」の四種類にトリックがまとめられています。本作はまさに「死体移動による欺瞞」が繰り返されるパターンを採用していて、本職の推理小説家からみてもきちんとトリックの王道を踏まえた展開になっていたところが、本作の面白さのキモだったのではないでしょうか。
脚本を書いたのは小国英雄とマキノ雅弘の二人。小国英雄は言うまでもなく黒澤映画の主筆のひとりで、特に『七人の侍』では黒澤明と橋本忍が同じ場面をそれぞれに書いた草稿をジャッジする役割で、その書き比べ競争が傑作シナリオに結びついたと言われています。もちろん黒澤映画以外にも猛烈な数の脚本を書いていて、日本で一番脚本料の高いシナリオライターだったとか。小国英雄はマキノ雅弘監督作品にも多くの脚本を提供していますから、その二人が組んだ脚本ならまさに向かうところ敵なしという感じでしたね。マキノ雅弘も「良い映画は良いホンから」という信条の人だったようで、本作も脚本の切れ味がそのまま作品の完成度につながっていました。
それだけではなく本作の映像を見ていると、東映時代劇は歌舞伎の舞台と同じようにひとつの様式美を持つに至ったんだなということがよくわかります。例えば勘兵衛が殺される夜の場面。長屋に霧が出て、その霧の夜に幾人もの長屋の人たちが動き回るのですが、そのときの霧の出し方や光の当て方が巧いんですよね。霧と光なのでちょっと間違えば明るくなり過ぎるところですが、きちんと夜は夜としての暗い町になっているんです。灯篭の明かりの使い方が巧いので、光をコントロールすることで逆に闇を完璧に映像化しているわけです。これはリアリズムとか写実的とかいうことではありません。あくまでも映画として見せる映画の中の夜の描き方なんです。歌舞伎で日が暮れると鐘がゴーンと鳴るという決まり事があるように、東映時代劇での夜の場面はこうした光と闇の表現の仕方によってひとつの完成された世界に到達したように感じました。キャメラは吉田貞次で照明は山根秀一ですが、この二人のキャリアを見てみると必ずしも一緒の撮影現場にいるわけじゃないんですよね。なので常連コンビが作り出した夜の表現ではなくて、東映京都撮影所という映画製作システム自体が、ひとつの様式美を作り出す工房になっていたという方が正解なのかもしれません。
そしてまあ大川橋蔵が粋でいなせで遠山の金さんにぴったりじゃありませんか。刀は一度も手にしませんが、捕り物場面でひゃらひゃらと捕り手を交わす身のこなしに歌舞伎出身のしなやかな所作が滲み出ていました。あと、長屋の軒先で丘さとみと会話するだけの場面なんかも、立ち位置やちょっとした手のしぐさとかが艶っぽかったですね。あれはマキノ雅弘の演出なんでしょうかね。何でもない場面で役者にあのような動きをさせるなんて、現在のTVドラマでは絶対に無理です。でも本作では町人の金さんではなく「文吉」という役名なんですよね。さらにお白洲の評定の場でも「この桜吹雪が目に入らねえか」の決めゼリフは登場しません。そこらへんが小国英雄とマキノ雅弘のこだわりだったんでしょうか。
その他の俳優陣もそれぞれが見せ所満載で個性を発揮していました。丘さとみの色気と可愛らしさが混然一体となった女の魅力、堺駿二の全身を使った芸達者ぶり、いつもは悪役なのになぜか善人役もできちゃう進藤英太郎、本郷秀雄と丘寵児の駕籠かきコンビのリズム感などなど。こんな快作ばかりだと、東映時代劇を毎週映画館で見たくなってしまいますよね。でもこの大川橋蔵版の遠山の金さんは本作だけで次回作は作られませんでした。うーん、やっぱりこんなに面白くてもコケたんでしょうか。(Y050522)
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