小学4年生の作文を原作に山本嘉次郎監督が高峰秀子主演で映画化しました
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本嘉次郎監督の『綴方教室』です。「綴方」とは旧制小学校の国語の中で書き言葉としての文章を作る方法を教えていたことを指していて、戦後には「作文」の言い方が主流となりました。生活そのものを素直に文章にしなさいという生活綴方教育がさかんに行われて、小学4年生だった豊田正子の綴方は「赤い鳥」に掲載されてベストセラーになったそうです。その作文を原作として映画化したのが本作で、正子役を高峰秀子が演じて、PCLでエノケンものを数多く作った山本嘉次郎が監督をつとめています。
【ご覧になる前に】荒川のほとりにある葛飾区四ツ木でロケ撮影されています
荒川のほとりにある小学校から児童たちが頭にカバンをのせて下校しています。正子は近所に団子売りが来ているのを見て家に帰ると一銭ほしいとねだりますが、両親は役所から来た立ち退きの書類を前にして黙り込んでいました。正子には弟がふたりいて、小学6年になる正子に向って母親は立ち退きになったらお前は奉公に出なくちゃねとつぶやくのでした。学校では正子が綴方を発表すると先生から読んだ人にもわかるように自分の身の回りのことを正直に書きなさいと教えられ、それからは隣のおじさんに鶏を絞めてもらった様子を書いて褒められるようになりました。やがて正子の書いた綴方が雑誌に掲載されることになり、正子は大喜びしたのですが…。
「綴方」は明治期から戦争直後までの国語教育において「読方・書方・話方」と並んで必須とされていました。特に昭和初期からは「生活綴方」の教育が子供たちの文章を綴る力を伸ばす効果があるとして広く教育に取り入れられるようになったそうです。夏休みの宿題で出る日記も考えてみればこの「生活綴方」の名残りなのかもしれません。
そうした文章を集めて昭和12年に発刊されたのが「綴方教室」という本で、そこに豊田正子が書いた文章26編が掲載されたことで正子はレコードに朗読を収録したり雑誌「婦人公論」に創作を発表したりして、随筆家として活躍するようになりました。戦後は日本共産党に入党したものの、中国共産党のシンパとなり文化大革命真っ最中の中国に渡ったこともあるそうで、なかなかの活動家だったようですね。
その正子を演じた高峰秀子は当時まだ十四歳でしたが松竹蒲田で子役としてデビューしてから数えると40本目の出演作でした。撮影所が大船に移転した後の松竹では成長した高峰秀子のことを子役では使えないからと持て余し気味になっていて高峰秀子はPCLに移籍することになり、本作製作の前年にPCLはJOスタヂオなどと合併して東宝映画が創設されたばかりでした。十代半ばの少年少女たちは急激に成長していきますので、本作では子供っぽさと少女らしい可憐さと女性としての魅力がないまぜになった時期の高峰秀子の姿がフィルムに収められています。
監督の山本嘉次郎はPCLでエノケン映画を監督するなど中心的な存在となっていましたので、PCLの助監督の採用試験では審査部長もつとめていました。その試験の際に最終的に3人残った候補の中で、他の幹部たちが落とそうとしたのを山本ひとりが反対意見を押しのけて採用したのが黒澤明だったといわれています。黒澤は本作では製作主任としてクレジットされていますし、本作の3年後に公開された大作『馬』では助監督として山本嘉次郎を支えることになっていきます。
高峰秀子は『馬』でも主演をつとめることになりますが、1年がかりで撮影された製作期間中に助監督の黒澤明と恋に落ちてしまいました。山本嘉次郎は周りのスタッフから「山さん」と呼ばれるほど気さくな人柄で人気があったそうですが、その山さんの妹が撮影現場に見学に来て、もともとはその妹と黒澤明がくっつくんではないかと噂されていたことで、高峰秀子がすねてしまい撮影が中止になったこともあったそうです。そんな黒澤明と高峰秀子の恋愛関係はやがて新聞沙汰になり、高峰秀子の母親が二人の仲を許さなかったことで二人は結局別れることになったのでした。
脚色した木村千依男という人は本作以外ではあまり目立った作品はなく、戦後新東宝に移ってすぐに作品歴が途絶えてしまった人です。美術の松山崇は日本映画の美術監督の仕事の基礎を築いた人ですが、本作はそのキャリアの本当に初期の頃に担当した作品で「装置」としてクレジットされています。キャメラマンの三村明は黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』の撮影を担当しますし、成瀬巳喜男の『銀座化粧』なんかを撮った後には東映東京撮影所で長くキャメラを回すことになる人です。
【ご覧になった後で】ちょっと明るめのネオリアリスモ映画という感じでした
いかがでしたか?途中でお父さん役の徳川夢声が自転車を盗まれて帰ってくるあたり、戦後イタリア映画のネオリアリスモの雰囲気にも似てきて、その日の食事にも事欠くような貧しい暮らしをクローズアップや移動ショットなどを全く使わずに、フィックスのフルショットを基本にして淡々と描くタッチが下町の日常をリアルに伝えるようでしたね。それでも暗いジメジメした感じはあまりなくて、どこかしらおかしみのある明朗さが漂っているのが本作の特徴で、高峰秀子が持っている明るさが大きく影響しているんでしょうけど、弟たちとの自然なやりとりが思わず微笑みを誘う温かみを持っていました。
例えば隣に住んでいたおばさんが故郷から娘を連れて帰って来る場面で、清川虹子が部屋に上げてやるといきなり「神様、アーメン」なんてやり出すのを見て、高峰秀子と弟がクスクスと笑いをこらえるところ。年を越せないので物乞いに来た母娘というシチュエーションは決して笑えるものではないのですが、哀しさとおかしさはそこそこ表裏一体になっていて、進退極まって神にすがる姿というのは傍から見ると確かに滑稽なものに映るのです。本作は貧しいことの哀しみと同時に、そんな日々の中にあるおかしみだったり優しさだったりを変に高尚ぶらずに素直に表現しているところが魅力でした。
またセリフとは別に映像や音で見せていく映画的表現が冴えていて、立ち退きを迫られているという状況で時計のコチコチ音を強調したり、食べるものにも困る夜を窓の外の物干し竿に垂れる雨粒と雨のポトポト音で表現したりするのが非常に印象的でした。大晦日に帰ってこない父親を待つ場面はずっとビュービュー風の音が鳴り響いていて、セリフでは言わないのですが家族の誰もが感じている不安を音響効果で表していました。ここらへんの手法は製作主任だった黒澤明に大きな影響を与えたのではないでしょうか。まさに後年の黒澤映画に取り入れられていくような映画的表現だったと思います。
そんな誠実な態度が好ましい映画なのですが、正子の綴方を「赤い鳥」に掲載したことで起こる騒動を通じて滝沢修演じる先生が「素直にありのままを書くだけではすまないこともある」的な反省をするわりには、結局以前の姿勢を改めることがないのはいかがなものなんでしょうか。「素直に書く」ことは「他者を傷つける」ことではないみたいな修正をすべきだったような気がします。また先生の前で泣き出してしまうほど追い詰められた正子の家庭も、最後には常勤の仕事が見つかったことになり以前先生にいただいた施しを清川虹子が返しに来るという展開になりますが、ここらへんがネオリアリスモとは正反対のご都合主義に陥っていました。
滝沢修が演じているだけに本作の先生は聖人的な描き方がされていますけど、事実は大きく違っていたようですね。豊田正子の綴方を収めた本の著作権は正子ではなく先生が持っていたために印税は正子には一円も入らず、先生が総取りしたようです。周囲から正子の家庭に返すべきだといわれても「経済観念のない家にそんな大金を渡すのはよくない」とかなんとかいって「お金は貯金しておいていずれ正子に渡す」とうそぶいていたそうです。正子は先生の養子になったらしいのですが、先生夫人との関係が決裂して、その経緯をエッセイにしてスキャンダルになるなど、映画の中の滝沢修のイメージとは違った結果になってしまいました。お金がからむといろいろと難しいもんですね。(Y041323)
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