勇気ある追跡(1969年)

連邦保安官を演じたジョン・ウェインが初めてアカデミー賞主演男優賞を獲得

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ヘンリー・ハサウェイ監督の『勇気ある追跡』です。チャールズ・ポーティスの「True Grit」を原作とした西部劇で、隻眼の連邦保安官ルースター・コグバーンをジョン・ウェインが演じています。1949年に『硫黄島の砂』で候補になって以来、オスカーを獲得できなかったジョン・ウェインが、六十一歳になって初めてアカデミー賞主演男優賞を獲得したのがコグバーン役でした。ジョン・ウェインにとって記念すべき作品となったためか、1975年には続編が製作されています。邦題は『オレゴン魂』でしたが、主人公の名前「Rooster Cogburn」が原題に採用されました。

【ご覧になる前に】監督は晩年デューク主演作を撮ったヘンリー・ハサウェイ

フランク・ロスは一家の帳簿係である娘マティーから150ドルを受け取ると、宿無しの雇い人トムを連れて馬を買いに出かけますが、酒場で酔ったトムはフランクを殺して金品を奪い逃走します。父の遺体を引き取りにマティーが訪ねた町では凶悪犯の絞首刑が行われていて、マティーはトムを探し出して死刑にすることを決意します。父親の遺品を売った金でマティーが雇ったのは連邦保安官のコグバーン。そこにテキサスからトムを追ってきたレンジャーのラボーフが合流し、三人はインディアン保留地に逃げ込んだトムの追跡を始めるのでした…。

西部劇や戦争映画に出演してアメリカン・ヒーローを演じ続けたジョン・ウェインは、1949年に『硫黄島の砂』でノミネートされたことがあるだけで一度もアカデミー賞を受賞したことがありませんでした。1952年の授賞式では主演男優賞のゲーリー・クーパーと監督賞のジョン・フォードが欠席したため、二つのオスカーを代理で受け取りますが、『真昼の決闘』の保安官像に反発していたジョン・ウェインは不服そうだったそうです。自ら製作・監督した1960年の『アラモ』が作品賞候補になったときは大キャンペーンを繰り広げたものの受賞を逃し、やっと本作で獲得したオスカーをプレゼンターのバーブラ・ストライサンドから受け取るときは思わず目頭を押さえたと言われています。

この年の主演男優賞候補は、リチャード・バートン、ダスティン・ホフマン、ピーター・オトゥール、ジョン・ヴォイド。ジョン・ウェインは翌年の授賞式にプレゼンターとして登場したときには、『1000日のアン』で素晴らしい演技を見せたリチャード・バートンが受賞すべきだったとコメントしたそうです。アカデミー賞はハリウッドの映画関係者の投票によって受賞が決まるので、ジョン・ウェインの主演男優賞には一度くらい取らせてやりたいという同情票が集まったのかもしれません。同年のアカデミー賞では、二度ノミネートされただけで映画に出演しなくなっていた六十六歳のケーリー・グラントに名誉賞が贈られ、ジョン・ウェインとともに喝采を浴びたと言いますから、論功行賞的な受賞でもあったのでしょう。

そんなジョン・ウェインと晩年コンビを組むことが多かったのが監督のヘンリー・ハサウェイ。1957年の『失われたものゝ伝説』を皮切りとして『アラスカ魂』『サーカスの世界』『エルダー兄弟』でジョン・ウェイン主演作を監督していて、本作がその総仕上げとなりました。また、製作者のハル・B・ウォリスはワーナーブラザーズ出身の名プロデューサーで、『カサブランカ』でアカデミー賞作品賞を獲得したほか、映画界に多大な貢献をした映画人に贈られるアービング・G・タルバーグ賞も受賞した人です。

脚本を書いたマーガレット・ロバーツは女性脚本家で、本作のほかには『黒騎士』があるくらいなので、本作が代表作と言ってよいでしょう。かつては赤狩りのリストに載った経歴の持ち主でジョン・ウェインとは政治的に正反対の立場で人でしたが、ジョン・ウェインはシナリオを読んで純粋にコグバーン役が気に入ったんだそうです。キャメラマンのルシアン・バラードは、ヘンリー・ハサウェイとは『ネバダ・スミス』で組んでいるほか、サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』『ゲッタウェイ』『ジュニア・ボナー』でキャメラを回しています。スタッフの中で一番有名なのは、音楽を担当したエルマー・バーンスタインで、本作の二年前には『モダン・ミリー』でアカデミー賞作曲賞を受賞しています。

【ご覧になった後で】そこそこ面白いのにキム・ダービーの演技が艶消しです

いかがでしたか?平和な一家の父親がいきなり殺されて、娘のマティー・ロスが父の仇を討とうと町で連邦保安官を雇うという導入部は、なかなかの引き込み力がありました。そこにテキサスレンジャーのラボーフが加わり三人による追跡劇になると、銃撃戦などのアクションシーンが加わり西部劇としての見せ場もふんだんに盛り込まれています。ジョン・ウェインとロバート・デュバル率いる四人組との対決は、さすがにジョン・ウェインが不死身過ぎてご都合主義っぽく見えなくもないですが、馬に乗って疾走するのが移動ショットの細かい積み重ねで躍動感をもって伝わってきました。ジョン・ウェインのスタントはジム・バークという人がやっているそうで、バストショットのジョン・ウェインは馬ではなくトレーラーに乗っているのを撮影したようです。

テキサスレンジャーを演じるグレン・キャンベルは歌手が本業で、キャンベルが歌ったタイトル曲はアカデミー賞にノミネートもされています。でも映画初出演とは思えない落ち着きぶりで、本作でゴールデングローブ賞新人賞を受賞しています。そんなグレン・キャンベルと正反対なのが、マティーを演じたキム・ダービー。マティー・ロスは本作ではジョン・ウェインとタメを張る主役ですし、少女が父親の復讐を実現するために大人たちと対等にやりとりするのが一番のミソなわけですから、マティー役ががんばらないと本作は成立しません。なのにキム・ダービーの演技が全くマティーという娘の立場や少女のがむしゃらさを表現しきれておらず、せっかくの面白い脚本もキム・ダービーの演技で台無しになっていました。

例えば、町の宿屋で父親の遺品を目にしたマティーが泣く場面。娘が心底父親を愛していたことを伝える重要な場面なのですが、キム・ダービーはここで一粒の涙を流すことすらできていません。いかにも泣いているふりをしているようにしか見えないのです。あるいは、崖を滑り落ちて偶然にもトムと対面する場面。マティーはトムを探すために苦労して追跡の旅をしているわけで、この偶然はまさに天から降ってきた大チャンスです。しかし崖から落ちたという身体的な痛さもあり、チャンスであると同時にライフルを持ったトムと対峙するのは大ピンチでもあるという状況です。その複雑なシチュエーションをキム・ダービーはそれまでのマティーと変わらぬ態度のまま平板な演技に終始しています。これでは劇的なシチュエーションが全く盛り上がりませんし、マティーというキャラクターが観客にとってはウソのように見えてしまいます。

そもそも原作ではマティーは十四歳の設定になっていて、現在で言えば中学生の少女が荒くれ男たちを雇って父の仇を討つという話なわけです。キム・ダービーは撮影時に二十一歳で、しかもすでに出産も経験していました。ヘンリー・ハサウェイとジョン・ウェインはキム・ダービーの演技を評価しておらず、キャスティングの時点ではサリー・フィールドやオリヴィア・ハッセーなどが候補にあがったそうですから、『バイ・バイ・バーディ』くらいしか出演歴のなかったキム・ダービーがなぜラティー役を射止めたのかは定かではありません。ちなみに2010年にリメイクされた『トゥルー・グリット』ではヘイリー・スタインフェルドが十三歳でマティーを演じています。

本作で思わず「カッコイイ!」と声が出てしまうのは、一対四の対決時にジョン・ウェインがライフルを指で一回転させるショットでした。まさに『駅馬車』でリンゴ・キッドが登場する場面の再現になっていましたね。脇役では仲間に指を切り落とされるデニス・ホッパーの出演が印象的でしたし、マティーのブラフかと思われたダゲット弁護士が最後に出てくるところでジョン・フィードラーの顔が見られました。『十二人の怒れる男』で陪審員2番を演じた俳優さんで、TVドラマの「刑事コロンボ」なんかにも顔を出していました。

最後に蛇足ですが、腑に落ちないのは裁判の場面で進行役を黒人が担当していたこと。本作の時代設定は南北戦争後の1880年ということですから、奴隷解放宣言は1865年に発令されて奴隷制は廃止されたものの、黒人が白人を裁く裁判の運営側を担うまでには至っていなかったはずです。ジョン・ウェインの同居人はあえて中国人が選ばれていますので、1960年代後半に沸き起こったブラック・パワー運動を本作も無視することはできなかったのでしょうか。やや不自然ながらも、時代背景を考えさせられる有色人種の起用法でした。(V051825)

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