追憶(1973年)

バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの恋愛&政治映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、シドニー・ポラック監督の『追憶』です。主演のバーブラ・ストライサンドは70年代のアメリカで最も成功した女性シンガーですが、実は1968年に出演した『ファニー・ガール』でアカデミー賞主演女優賞を勝ち取った女優でもありました。かたやロバート・レッドフォードは同じ1973年に『スティング』、翌年には『華麗なるギャツビー』に主演して絶好調の時期。なので本作は70年代前半のハリウッドで最も注目を集めていた超人気俳優の共演ということで大いに話題になった作品でした。しかしながらその内容は単なる恋愛ストーリーではなく、第二次大戦前後の政治を動きを背景とした社会劇でもありまして、そこに監督のシドニー・ポラックと脚本のアーサー・ローレンツのこだわりが強く反映されています。

【ご覧になる前に】大学で出会った二人が戦後のハリウッドで暮らしますが…

第二次大戦が連合軍のノルマンディ上陸で大きな戦局を迎えている頃、情報局でラジオディレクターの仕事をしているケイティは上司に連れられたバーで軍服姿のハベルと再会します。ハベルは大学では運動部のヒーローであり、創作の講義では教授からその才能を認められたケイティの憧れの男性でした。学生時代から政治活動にのめり込んでいたケイティは、熱狂的な平和運動家であり民主党支持者でもありましたが、ハベルに出会った途端に、軍隊勤務のハベルに自分のアパートを常宿として提供する、恋する女性になってしまうのでした…。

脚本家のアーサー・ローレンツは、『ウェスト・サイド物語』やヒッチコックの『ロープ』のシナリオを書いたことで有名でして、ユダヤ人で小説家志望で左派でラジオドラマ出身といったローレンツ自身の背景は、本作の中でそのまま主人公ケイティの造形に生かされています。監督のシドニー・ポラックは元は俳優出身で、友人だったジョン・フランケンハイマー監督から依頼を受けるうちに監督業に転身したのだとか。1966年の『雨のニューオリンズ』ではまだビッグネームになる前のロバート・レッドフォードを主演に使っていますし、脚本を書いたフランシス・フォード・コッポラとも親交を結びました。1972年に再びレッドフォードを起用した『大いなる勇者』ではジョン・ミリアスが脚本を書いていますので、ベトナム戦争前後に低迷していたハリウッドを1970年代半ばに復活させた映画作家たちのひとりであったと言ってもよいでしょう。本作の翌年には来日して高倉健主演の『ザ・ヤクザ』を撮っていて、日本の任侠ものに深い理解を示しながら、東映やくざ映画とは違ったスタイリッシュな映像を組み立てています。代表作は再度レッドフォードと組んでアカデミー賞監督賞を受賞した『愛と哀しみの果て』ですが、まあいろんな題材を起用に撮りこなす人だったようですね。

バーブラ・ストライサンドはユダヤ系ロシア人の家系に生まれ、1960年代にブロードウェイで脚光を浴び、コロムビア・レコードと契約を結びました。デビューアルバムでグラミー賞を受賞するなど、歌手としての実力は誰しもが認めることになったのですが、女優としての活動は1968年のミュージカル映画『ファニー・ガール』での成功がスタートでした。このときのアカデミー賞主演女優賞は史上初の二名同時受賞となり、あのキャサリン・ヘプバーンと賞を分かち合ったのがバーブラでした。なので演技力はキャサリン・ヘプバーンと同等と認められたということ、でもないでしょうけど。しかしながら、女優イコール美人という見方がまだ一般的だった当時では、バーブラの個性的な容姿はいろいろなギャグのネタにされたそうで、現在なら名誉棄損にあたりそうな誹謗中傷を数多く受けたのでもありました。そういう世間のつまらない反応には見向きもせずに、バーブラは政治活動にも積極的だったようで、ビル・クリントンの大統領選挙に協力したり、ジョージ・ブッシュへの攻撃に加担したりと、民主党支持者としての立ち位置を鮮明にした女優でした。今ではハリウッドのスターたちも自分の政治的スタンスをはっきり主張することが逆に求められるようになっていますので、ある意味ではハリウッドの新しい常識を築いた先駆者であったのかもしれません。

【ご覧になった後で】バーブラ・ストライサンド主演だからこその映画でした

いかがでしたか?本作を恋愛映画と言ってしまうと、主演がバーブラ・ストライサンドということもあってやや違うかなと感じてしまいます。恋愛よりも政治参加や社会的信念を優先する女性が主人公ですので、これはある種の社会劇として見るのが正しいのかもしれません。その意味で本作はバーブラ・ストライサンドなくしては成立しない映画でして、もし主演が他の女優ならロイス・チャイルズ(『ムーンレイカー』でボンドガールになる人です)のことを「あの気持ち悪い金持ち女」とか吐き捨てるようなキャラクターは見ていられなかったと思います。レッドフォード演じるハベルに少女のような憧れを抱いているのに、肝心なときに必ず政治的な問題に首を突っ込み過ぎて自分自身の偏った政治姿勢をアピールしてしまうケイティは、ある意味で自閉症スペクトラムといってもよいほどアクの強い人物。偏っていることを自分だけが正しいと思い込んでしまう女性は、映画の中でもあまりお目にかかりたくないものですが、バーブラが演じるとなぜかバーブラ本人とケイティがダブって見えてきて、こういうのもアリかななんて思わせてしまうんですよね。あの超美男の典型のようなレッドフォードが、ケイティのような女性と一緒になるなんてミスキャストでしかないのですが、バーブラとレッドフォードの二人が並ぶと大物同士でぴったりフィットしてしまうような気がしてくるのです。実際に本作の撮影時にレッドフォードは、撮影の本番に向けて何度もリハーサルを執拗に繰り返して入念な準備をするバーブラに対して、その熱心さに敬意を抱いていたといいますから、不器量なバーブラはその才能だけで人を魅了するような女優だったのかもしれません。

また本作はハリウッドを戦慄させた赤狩りについて、まともに取り上げた初めての映画ともいわれています。上院議員のマッカーシーによって1948年頃から1950年代前半に行われた赤狩りはマッカーシズムとも呼ばれていて、共産主義的傾向をもつとされた映画人たちがハリウッドから追放された表現の自由を抑圧する政治的事件でした。この赤狩りでは本作にも登場する盗聴や諮問委員会での密告によって標的とされ、中でも「ハリウッド・テン」と呼ばれる映画関係者がその象徴として議会侮辱罪という名のもとに実刑判決を受けるまでに迫害されたのです。彼らはハリウッドでの活動ができなくなったのですが、10人のうちのひとりだったダルトン・トランボは、イアン・マクレラン・ハンターという偽名を使って『ローマの休日』の脚本を書き、ロバート・リッチ名で書いた『黒い牡牛』はアカデミー賞を受賞してしまい、「ロバート・リッチ」はアカデミー賞授賞式には登場しなかったという逸話まで残っています。

実は本作ではそのハリウッド・テンを扱ったパートが大幅にカットされたらしく、ハリウッドでハベルの仕事仲間として登場する脚本家のカーペンターとポーラの二人は、もっと多くの登場場面があったのに結局のところ端役のようになってしまったそうです。そのせいか、もともと性格が違い過ぎてうまく行くはすがないハベルとケイティのいざこざが長々と続くつまらない恋愛劇のほうに時間を使い過ぎてしまい、本作は恋愛と社会劇の間でどっちつかずの中途半端な作品になってしまったと思います。

また脚本を書いたアーサー・ローレンツはゲイだったそうで、ヒッチコックの『ロープ』に主演したファーリー・グレンジャーと恋人関係にあったのだとか。なので、本作でもいつも一緒につるんでいるハベルとJJはホモセクシュアルな関係にあるというのが実際の設定なんだそうです。確かにケイティのことを放っておいて二人だけでヨットに乗っている男同士というのも、普通の友情を越えたものを感じさせていますよね。しかし1973年公開の本作ではそういう関係をあまり強調できない時代だったのでしょう。あくまでも匂わせる程度に終始しています。ちなみにローレンツが書いた脚本にはフランシス・フォード・コッポラとダルトン・トランボがノンクレジットで協力しているそうです。特に赤狩りのシークエンスではダルトン・トランボのアイディアが不可欠だったのでしょうが、そこをカットせざるを得なかったのも、また1970年代当時のアメリカ映画の限界だったように思えます。(T022722)

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