ケイン号の叛乱(1954年)

ハーマン・ウォークのベストセラー小説をエドワード・ドミトリクが映画化

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、エドワード・ドミトリク監督の『ケイン号の叛乱』です。ハーマン・ウォークが書いた小説は世界的なベストセラーとなり、ウォークはこの本でピューリッツアー賞も受賞しました。プロデューサーのスタンリー・クレイマーが監督に指名したのはエドワード・ドミトリク。非米活動委員会によって追放されていたドミトリクにとって、本作はハリウッドへの復帰作となり、1954年の全世界興行成績でも第5位にランクされる大ヒットを記録したのでした。

【ご覧になる前に】ハンフリー・ボガートが熱望した艦長役を演じています

海軍士官学校を卒業したキースは恋人の歌手メイに別れを告げ、両親に見守られながら海軍に入隊。配属先の掃海駆逐艦ケイン号は皮肉屋のデヴリース艦長が指揮をとる老朽船で、キース少尉は規律もなく下品な水兵たちの仕事ぶりに不満を覚えます。配置換えによってデヴリースに代わって着任したクイーグ艦長はキースを風紀係に任命して水兵たちの服装の乱れを直させ、キースも新しい艦長の期待に応えようと張り切ります。ケイン号が曳航演習に参加した際、水兵のすそが出ていたのを見とがめたクイーグ艦長は、面舵一杯の指示をしたまま部下の叱責し続けるのでした…。

ハーマン・ウォークの小説「ケイン号の叛乱」がベストセラーになってもハリウッドの大手スタジオはどこも映画化に動こうとしませんでした。海軍の叛乱事件を描いた小説はすでに国防総省から非難の対象になっていて、映画化に必要な海軍の協力を国防総省が認めるとは思えなかったためでした。その状況を知りつつ6万ドルで映画化権を手に入れたのが、自らの製作会社を立ち上げ『真昼の決闘』などを世に送り出していたスタンリー・クレイマー。小説がピューリッツアー賞を受賞すると国防総省も態度を軟化させ、「アメリカ海軍において叛乱が起きたことは一度もない」という字幕を冒頭に入れることで海軍が全面的に撮影に協力することになったのでした。

エドワード・ドミトリクは、パラマウントで監督に昇格してRKOに移籍し、1947年製作の『十字砲火』でアカデミー賞監督賞にノミネートされました。しかし非米活動委員会にマークされてブラックリストに名前が載ったためRKOを解雇され、一時英国に渡ったものの帰国後に逮捕されて6か月間服役することに。出所後にジュールス・ダッシンを売って転向したドミトリクはハリウッドへの復帰を果たし、スタンリー・クレイマーによって本作の監督に指名されることになりました。

ドミトリクによると、最初にハーマン・ウォークが関わった脚本は大失敗に終わったらしく、『セールスマンの死』を書いたスタンリー・ロバーツが書き直すことに。原作に忠実だった脚本もコロンビア映画社長のハリー・コーンが2時間以内に収めろと指示したためにマイケル・ブランクフォートの手によって50ページ以上が削除されたそうです。そのブランクフォートはなぜか「台詞」としてクレジットされ、エドワード・ドミトリクは3時間であれば傑作になったものの短縮されてしまったことでキャリア上の失望につながったと振り返っています。

ドミトリクがリチャード・ウィドマークを起用しようとしたクイーグ艦長役を熱望したのがハンフリー・ボガートでした。当時五十五歳のボガートは艦長役を演じるにはあまりに歳を取り過ぎているとドミトリクは反対したそうですが、スタンリー・クレイマーは艦長役を得るためには出演料を下げてもオファーを受けるだろうと考えて、結果的にボガートがクイーグを演じることになったようです。

キャメラマンのフランツ・プラナーはオーストリア出身の大ベテランで『尼僧物語』や『大いなる西部』なんかもこの人が撮影した映画です。同じくオーストリアからアメリカに渡ったマックス・スタイナーが音楽を担当していて、RKOでアステア&ロジャーズ作品を手がけた人です。スタイナーの最も有名な作品は『風と共に去りぬ』ですが、アカデミー賞ではノミネートもされなかったのが不思議なところです。

【ご覧になった後で】戦争映画というよりは軍事裁判を描いた社会派ドラマ

いかがでしたか?何度もTV放映されているのに今回初めて見て、本作が戦争アクションではなく、軍隊での指揮権を巡る軍事裁判を描いた作品だったことを知りました。序盤がキース青年の入隊、中盤がクイーグ艦長の奇行、終盤が軍事裁判法廷とメリハリの利いた展開で2時間を一気に見させる吸引力をもっていますし、男優たちがそれぞれの配役にぴったりの存在感を見せていて、アカデミー賞で作品賞や主演男優賞など7部門でノミネートされたのも納得の出来栄えです。結局オスカーは一個も取ることができず、エドワード・ドミトリクの転向が影響したのかとも思いましたが、作品賞とともに監督賞を受賞したのが『波止場』のエリア・カザンでしたから、まったくの見当違いでした。

本作の成功の秘訣はシナリオにあると思われ、読んだことはないのですがハーマン・ウォークの小説自体の面白さをうまく映画化したということなんでしょう。日本では1975年にハヤカワ文庫が三冊に分けて出版していますから、かなりの長編ということになり、エドワード・ドミトリクが2時間では到底描き切れないと嘆いたのも当然だったのかもしれません。小説は士官学校を出たキース青年の成長物語という側面もあるらしく、軍事法廷のあとにグリーンウォルド弁護士からシャンパンをぶっかけられたキーファー大尉がケイン号の艦長になり、日本軍との海戦で臆病風をふかせたキーファーに対してキースが立派に代わりを務めるという展開になるそうです。映画ではそこまで描く必要はなかったでしょうから、観客側からすると2時間でコンパクトにまとめたのは適切な処置だったような気もしますね。

映画でやや物足りなかったのがそのキーファー大尉の描き方でした。フレッド・マクマレイは『アパートの鍵貸します』で不倫上司役をやったあとにTVシリーズ「パパ大好き」で典型的なアメリカの良き父親役を演じた人で、キースが艦に着任する導入部から愛嬌のある表情で好人物のような印象をもたせます。しかし実はこのキーファーこそが「叛乱」を演出することになる張本人なわけで、艦長には偏執狂の疑いがあるとマリク副長に思わせ、提督に直訴する段になると急に翻意し、台風遭遇時には判断を避け、裁判では完全に第三者を装って責任逃れをします。フレッド・マクマレイを当てたのは、キーファーの裏切りを意外だと感じさせる効果がありました。

しかしキーファーの描き方で納得がいかないのは、提督がいる空母に乗り込んだときに大勢の水兵たちが一斉に配置につく様子を見て、クイーグ艦長は規律を求めていただけだと意見具申に加わらないと言い出すところ。キーファーの立場では空母での訓練の時間までは計算できないはずで、マリクを人身御供にして自己保身を図るなら空母に行くボートに同乗する前に離脱するのが自然です。加えて台風の場面でマリクの指揮権に賛同しないキーファーの描き方が足りないですし、軍事法廷で弁護士との打合せの場から席を外すとところも曖昧なままに流れています。結果的に裁判の証言時のみ、自分が叛乱に加担したという記録に残らないよう細心の注意をして発言したという描き方になってしまい、キーファーが計画的に親友マリクを叛乱に導きクイーグに引導を渡させたという解釈が成り立ちにくくなっていました。弁護士がキーファーを侮辱するのが唐突に感じられてしまうのは、そういった伏線がうまく描けなかったせいではないでしょうか。

ここらへんはシナリオの欠陥というよりはエドワード・ドミトリクの演出力の不足が原因だと思われ、フレッド・マクマレイのちょっとした表情や動作などを映像的に見せることでいくらでもキーファーを深堀りすることができたはずです。他にも不足点はたくさんあって、法廷場面のクライマックスでハンフリー・ボガートが自説を捲し立てて自らに指揮を執る資格がないことを証明してしまうところも、ボギーのクローズアップをフィックスで映し出すだけで映像的な盛り上がりは一切ありません。異常さを見せるボギーの顔へ徐々にトラックアップしていくとか、手の中でふたつの鉄球を回すクローズアップをインサートするとか、不安感を最大化するような演出を入れてほしかったです。ちなみに鉄球は健身球という中国発祥のもので、手のツボを刺激することでストレスを抑える効果があるんだそうですね。

それにしても本作における男優陣の演技は本当に見事なものでした。ハンフリー・ボガートが演じていたので、クイーグ艦長は最後には英雄として扱われるんだろうという予想は完全に外れてしまい、威厳がありつつも緊張が高まるとイラついたり決断から逃げてしまったりという不安定な精神状態をうまく表現していました。セリフではパラノイア、字幕では偏執病となっていましたけど、現在的にみるとあきらかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)であることは間違いなく、繰り返し苛烈な戦闘体験を重ねるうちに他者否定や被害妄想、怒りの爆発などが起きていたのでしょう。小説ではPTSDとして描かれているわけではないようですけど、1954年時点で戦争体験によるPTSDを映画のテーマにしたのは先見性のある着眼だったと思われます。

ハンフリー・ボガートとは映画のクライマックスでやっと対峙することになるのがホセ・フェラーでした。裁判では裁判官たちに最も効果があるのは艦長の証言だという方針を立てて雑魚は相手にしない戦略が功を奏しますが、ホセ・フェラーが演じることで何かあるなと匂わせるような雰囲気が伝わってくるんですよね。ずっと右手に包帯を巻いているのは本作の撮影直前に本当に右手を骨折する怪我を負ってしまったからだそうです。でもそれも演技力の要素のひとつにしてしまう勢いがあり、マレックの無罪を祝うパーティを台無しにする演説も非常に力強いものでした。「お前たちが学校に行っている間に国を守ったのは誰だ」というのは原作そのままのようで、ナチスのホロコーストを引用するところはグリーンウォルド弁護士がユダヤ人だという設定で読むからこそ胸に響くようになっているそうです。

終始一貫篤実な人物として描かれるマレックを演じたヴァン・ジョンソンは、MGMで撮影中に大怪我を負い、額に接合した跡が残ってしまったそうで、本作ではその傷を隠すことなく映し出していて、逆に強面なのに誠実というキャラクターに厚みを加えることになりました。キースを演じたロバート・フランシスはなんだかボーっとしていて、凡庸な印象しかなく、他に特に目立った作品もないのかなと思って調べてみると、本作出演の翌年に自分で操縦していた飛行機の事故で亡くなってしまったんだとか。二十五歳の若さでしたから、生きていれば別の個性を発揮したかもしれません。(V092025)

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