デヴィッド・リーン監督の戦争映画の傑作で7部門のオスカーを獲得しました
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★★★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、デヴィッド・リーン監督の『戦場にかける橋』です。原作はピエール・ブールが1952年に発表した小説で、プロデューサーのサム・スピーゲルが映画化権を獲得し、デヴィッド・リーンが監督することになりました。日本とイギリス、アメリカの三つの国の将校たちによる戦争冒険アクション映画は、アカデミー賞作品賞をはじめ7部門で賞を独占したほか、1957年度全世界興行収入第1位のヒット作となり、キネマ旬報ベストテン外国映画部門では第5位にランクされました。
【ご覧になる前に】第二次大戦下のジャングルで捕虜たちが橋を建設する物語
一羽の鷲が見下ろすジャングルでは日本軍に捕らえられた連合軍捕虜たちが線路を敷設しています。捕虜収容所で墓を掘っていたアメリカ海軍のシアーズ中佐がライターで買収した日本軍下士官に傷病兵扱いを認めてもらうと、イギリス軍捕虜たちが口笛を吹きながら隊列を組んでやってきます。日本軍の斎藤大佐は5月12日までにクワイ川に橋をかけることを命令しますが、捕虜を率いるニコルソン大佐はジュネーヴ協定に基づき将校は労役に従事させられないと反論します。斎藤大佐がニコルソンらに機銃を向けさせたのを軍医のクリプトンが止めに入ったものの、ニコルソンと将校たちは炎天下の中、立ち続けることで斎藤大佐に抵抗するのでした…。
フランスの小説家ピエール・ブールは、第二次大戦下でフランスがドイツに占領されると、親ナチスドイツのヴィシー政権に対抗するため自由フランス軍に加わり、仏印や日本軍占領下の中国・ビルマでゲリラ活動に従事していたときに日本軍の捕虜となりました。日本軍の捕虜となったとか仏印植民地政府軍のもとで強制労働させられたとか諸説あるようですが、いずれにしても脱走して、特殊作戦につき、戦後にはレジオンドヌール勲章などを授与される活躍ぶりだったそうです。ピエール・ブールが書いた小説で有名なのはこの「戦場にかける橋」と「猿の惑星」で、どちらも戦時中に捕虜となった経験が生かされた設定になっていることに注目です。
プロデューサーのサム・スピーゲルはパリからロンドンに向かう飛行機の機内でピエール・ブールの小説を読み、ロンドンからすぐにパリに引き返してピエール・ブールに映画化権を売ってくれるよう交渉したんだとか。サム・スピーゲルは1954年の『波止場』でアカデミー賞作品賞を獲得していて、次に取りかかるべき大作にふさわしい原作を得た気分だったことでしょう。
ピエール・ブールの小説を脚色したのがカール・フォアマンとマイケル・ウィルソン。カール・フォアマンは1952年に『真昼の決闘』の脚本を完成させるとハリウッドの赤狩りから逃れるため英国に渡った人。本作のクレジットには名前を出すことができませんでしたが、1961年には『ナバロンの要塞』で製作・脚本を担当することになります。
サム・スピーゲルは監督としてフレッド・ジンネマンやオーソン・ウェルズ、ウィリアム・ワイラー、ハワード・ホークスらに打診したらしいのですが、脚本を読むと誰一人としてオファーを受けてくれませんでした。頼む相手が他に誰もいなかったサム・スピーゲルは、当時離婚調停中で経済的に困窮していたデヴィッド・リーンを監督に起用することに決めますが、デヴィッド・リーンは脚本を手直しすることを要求してカール・フォアマンと対立し、フォアマンの代わりに指名されたマイケル・ウィルソンがデヴィッド・リーンと共同でシナリオを完成させたといいます。
マイケル・ウィルソンは1951年に『陽のあたる場所』でアカデミー賞脚色賞を受賞したものの、やはりブラックリストに載ってしまったことでヨーロッパに渡り、偽名でハリウッドのシナリオを書いていました。『アラビアのロレンス』の脚本をロバート・ボイルと共同で書いたのもマイケル・ウィルソンでした。
サム・スピーゲルが完成を急がせて1957年末に公開されたことにより、アカデミー賞レースでの注目度が増したこともあったのでしょう。作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞(アレック・ギネス)、撮影賞、作曲賞、編集賞と主要7部門を独占する中で、脚色賞は原作者のピエール・ブールがクレジットされていたため、英語が話せないフランス人のピエール・ブールにオスカーが授与されることになりました。ブラックリストに入っていたカール・フォアマンとマイケル・ウィルソンがクレジットされていなかったためでしたが、デヴィッド・リーンは少なくとも決定稿を書いた自分とマイケル・ウィルソンがオスカーをもらう権利があると主張し、サム・スピーゲルと殴り合いするほどだったそうです。
脚本のことばかりになってしまいましたが、アカデミー賞撮影賞を獲得したジャック・ヒルデヤードは後に『007カジノ・ロワイヤル』『トパーズ』でもキャメラを担当するイギリス人キャメラマンです。作曲賞を受賞したマルコム・アーノルドはロンドンフィルやBBC交響楽団に所属するトランペット奏者で、完成を急ぐサム・スピーゲルの要求に応じてわずか10日間で本作の音楽を書き上げたんだそうです。もとは「ボギー大佐」と呼ばれる行進曲をアレンジして使ったのも窮余の一策だったのかもしれません。
アレック・ギネスは『マダムと泥棒』のような犯罪コメディ映画を得意としていて、ニコルソン大佐を演じる際にもユーモアを交えた演技をしようとしたのですが、デヴィッド・リーンから真面目でシリアスな演じ方を要求され、対立したんだとか。でもラッシュを見た家族がこれまでの中で一番の演技だと賞賛したのを聞いて、監督の指示に忠実に従うようになりました。ウィリアム・ホールデンはもとからデヴィッド・リーンのことを尊敬していたらしく、率先して監督の意を汲むよう行動していた一方で、興行収入の10%を得る出演料交渉を勝ち取って莫大なギャラを手にすることになり、アレック・ギネスに「君はオスカーを獲得したが、ぼくはギャラをたんまりもらった」と自慢したそうです。
そして見逃せないのが早川雪洲。二十一歳で単身渡米し1915年の『チート』で悪役としてハリウッドの人気俳優となった早川雪洲は、ブロードウェイやヨーロッパなど活躍の舞台を変えながら、戦後には帰国して日本映画に出演するようになっていました。『悲劇の将軍 山下奉文』での演技を見たデヴィッド・リーンが斎藤大佐役は彼しかいないと推挙したことで、サム・スピーゲルから2万ドルの出演料でオファーされた早川雪洲は、妻鶴子の勧めもあって出演を決意。台本を自分の出演部分だけに圧縮して、英語を鍛え直すと同時に相手のセリフに自然な反応ができるように工夫したそうで、受賞こそなりませんでしたが、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるに至ったのでした。
【ご覧になった後で】デヴィッド・リーン監督作品の中でNo.1かもしれません
いかがでしたか?デヴィッド・リーン監督は『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『ライアンの娘』と傑作揃いでどれを選んでいいのか迷うほどなのですが、もしかしたらこの『戦場にかける橋』がデヴィッド・リーン監督作品の中でもトップにランクされるのではないかと再認識させられました。とにかく2時間40分という上映時間を完全に忘れてしまうほど、本作の映画世界に没頭させられますし、脚本、演出、演技、音楽など映画的要素すべてが完璧過ぎて、どこにも欠点が見当たりません。中学生のときにリバイバル上映で映画館で見て以来のまともな再見だったのですが、こんな凄い映画だとは思いませんでした。
なにしろ脚本が完璧です。やせ細った捕虜たちが強制労働させられる鉄道工事の現場から日本軍捕虜収容所へ転換し、ウィリアム・ホールデンの脱走からセイロン英軍基地に舞台が移り、後半は橋の建築現場とジャック・ホーキンス演じるウォーデン少佐の爆破作戦とのカットバックで進行していきます。前半はアレック・ギネスのニコルソン大佐と早川雪洲の斎藤大佐の将校同士のミッションのぶつかり合い、後半はアレック・ギネスの架橋建築とウィリアム・ホールデンの橋&列車爆破の作戦遂行の衝突が描かれます。
観客が心底まで没入感に浸れるのは、アレック・ギネス、早川雪洲、ウィリアム・ホールデンの三人の主人公の意思や感情にウソがないからです。下手な映画を見ていると「そうはならないでしょう」と感じることが多いのではないかと思いますが、本作では登場人物の思いが真剣であり自然なので、ストーリーの進み方に破綻がなく、観客は話の展開に納得するしかないのですよね。
アレック・ギネスのニコルソン大佐は、文明社会においては法律に従うことが絶対であり、どんな状況下でも文明人はその主義(principle)を曲げてはいけないと信じています。ここらへんが中学生時代に見たときに斎藤大佐と同じ視点で「将校だから労役から逃れたいだけなんだろう」と誤解していた点で、実はそんな低レベルな話ではなく「自分が信じている主義」に忠実だからこそ、一ヶ月以上営倉に閉じ込められていても耐えられたわけです。そのような信念をもつ大佐を英軍兵士たちは尊敬し信頼していて、日露戦争勝利の日の恩赦という形でニコルソン大佐の要求が認められたときに「He did it!」と歓声を上げるのです。もちろん観客も英軍兵士と同じようにニコルソン大佐を称える気持ちになっていたのでした。
また必死の思いで脱走してきたウィリアム・ホールデンが再びジャングルの中の建築現場に戻らざるを得なくなるのは、シアーズ中佐という人物に身分を詐称していたことが英国海軍にバレていたからで、本音では二度と元に戻りたくないと思っている気持ちは観客に痛いほど伝わってきます。だからジャック・ホーキンスといっしょに作戦が開始されたあとで、現地の住民たちに道案内させることになったと路線変更されたときにそれなら自分でなくてもいいはずだと反論して、作戦から逃げようとするのも納得できます。そして怪我をして足手まといになったジャック・ホーキンスを放置せずに担架で運ぶのもシアーズ中佐の言うところの「人間らしい」振る舞いに他ならないことも観客にはよくわかるのです。
一方で早川雪洲の斎藤大佐としては、日本軍の戦陣訓に則れば捕虜となった時点で「生きて俘囚の辱めを受けず」に反しているわけですので、英軍捕虜たちが自己を主張することなど受け入れることはできず、生きたまま捕らえられたということは奴隷の身分に甘んじることに等しいという考えこそが正当なものなのです。しかし同時に斎藤大佐は5月12日までに鉄道を敷設し橋を完成させることが軍部の絶対命令ですから、英軍捕虜たちを働かせねばなりません。彼らを動かすためには脅しや暴力では何にもならず、ニコルソン大佐に命令されるしかないと悟ったとき、斎藤大佐は恩赦という形式で将校たちの労役を免除する決断をします。ニコルソン大佐が兵士たちに担ぎ上げられていたとき、斎藤大佐はひとり所長室で咽び泣きますが、斎藤大佐の悔しさや無念さは中学生の頃には読み取れませんでした。でも現在であれば、日本軍の軍人としての規律を曲げざるを得なかった苦悩がよく理解できました。
このような完璧な脚本をテンポよく映像化して映画全体にタクトを振るったのがデヴィッド・リーンでありまして、灼熱のジャングルのうだるような暑さを映像と音響をフルに使って表現していましたし、登場人物のエモーションに合わせてキャメラのフレームを自在に操り、観客に演出を感じさせず物語に没頭させるような演出を貫いていました。例えば妥協を勧めるクリプトン医師に「NOだ」と回答するアレック・ギネスを営倉の狭さを表しながらフィックスでとらえたショットや営倉から出されたアレック・ギネスが部下の兵隊たちが見ている中でヨロヨロながらも自分の足で歩くのを真横から捉えた移動ショットなど、これしかないという映像の組み立てをしていて、観客にほんの少しの違和感も抱かせない演出は見事としか言いようがありません。ちなみにこのシーンの歩き方はアレック・ギネスがポリオにかかった実の息子が歩く様子からインスピレーションを得たという逸話があるそうです。
ストーリーのプロット上、唯一指摘する点があるとするならば、ウォーデン少佐の爆破部隊が水浴びをしているところに日本兵が現れる場面で、ジャングルに逃げた少年のような若い兵士を刺殺するまでのサスペンス演出は一級品ですし、ジャック・ホーキンスが怪我を追うという展開にもつながるので非常に有効なシークエンスになっていました。しかしながら、日本兵数名が原隊に戻らないとすれば、この兵士が斎藤大佐の部隊だろうとほかのだろうと所属部隊は異変を察知するわけですので、鉄道開通を控える斎藤大佐のところに警告通知が行かないはずはありません。後半では腑抜けのようになってしまい、建設計画会議でも肯くしかなかった早川雪舟ですが、どこかに「日本兵が行方不明になったという情報がある。警戒を怠るな」みたいな上官として当然発せられるべきセリフがあってもよかったかもしれません。
日本兵に向って発砲するところでは鳥や蝙蝠たちが一斉に飛び立ち、空を黒々と埋めてしまうという印象的なショットが出てきます。このように自然を映しとった映像に意味を持たせる手法は、『アラビアのロレンス』以降に引き継がれることになり、その意味で空と鳥のショットはデヴィッド・リーン監督作品における重要な位置づけになっていました。
ちなみにウィリアム・ホールデンにライターをもらう兼松大尉を演じた大川平八郎は、1930年前後にハリウッドで映画出演した後に帰国し、PCLから東宝で活躍した俳優さんで、成瀬巳喜男の『浮雲』では鹿児島の場面で出てくる医者を演じていました。本作では助監督的な役割も担っていたようで、確かに早川雪洲が「お茶」と言うと、下士官から兵隊へ同じように「お茶」と伝令される何も考えない上意下達の風土は日本人の指導がなければ取り上げられなかったと思います。
本作の最後には、アレック・ギネスも早川雪洲もウィリアム・ホールデンもみんな死んでしまうので、主人公が全滅するというショックもあると同時に、相反する使命を互いに成し遂げようとする戦争の悲惨さというか無意味さが、物語の結末としてあまりに見事に描かれていました。橋が完成した夕刻、沈みゆく太陽を眺めながらアレック・ギネスは自分の人生はもう長くなく、他人の人生と比べてしまうが、何かを残すことができたのかもしれないという感慨にふけります。反対に早川雪洲は工期までに橋が完成されたのは英軍捕虜の功績であり、軍の命令を果たせなかった自分はもう自決するしかないという決意を固めています。そこに人間らしく生きることをモットーとしてただ傷病除隊だけを当てにしているウィリアム・ホールデンが現れ、英軍が作った橋を英軍が破壊してしまうことになります。アレック・ギネスが「何のために作ったのか」と自問自答するように、橋の建築も破壊も何の意味もありませんでした。早川雪洲はひと言と残すことなくジョイスに殺され、ウィリアム・ホールデンは銃撃に倒れ、アレック・ギネスは迫撃砲の爆風で昏倒してしまい、その拍子にプラスチック爆弾を点火するT字ハンドルが押されて橋は列車もろとも木っ端みじんになってしまうのです。
今回見たバージョンは翻訳を作家の今日出海が担当していて、ジイドの翻訳などをしていた今日出海が英語の字幕を作っていたことがちょっと意外でした。だからなのか、川を超えてきたウィリアム・ホールデンが導火線を引き当てたアレック・ギネスと対峙するところで、互いに「You!」と言うのをアレック・ギネスは「お前は」で、ウィリアム・ホールデンは「貴様か」と訳しています。シアーズ中佐はニコルソン大佐のことを認識しているはずなので「貴様か」は少し変ですから、ニュアンスとしては「お前、何やってんだよ」みたいな感じの字幕にしてほしかったですし、同じ「You」なのにそれぞれの言わんとする意味は全く違っているというセリフの妙味は伝わりませんでしたね。またジェームズ・ドナルドが発する「Madness!」は「何てことだ」ではなく「狂ってる」「狂気だ」と普通に訳してほしいところでした。
ここで一番の問題は、アレック・ギネスのニコルソン大佐が点火装置を起動させたのは偶然だったのか意図的だったのかということです。中学生のときにはヨタっとした倒れ方がおかしく感じられてしまい、偶然ハンドルを押すのは出来過ぎだなあと単純に感じていました。しかし今回再見すると、ニコルソン大佐は爆風で意識を失いそうになりながら、自らの意思で自分の身体をハンドルに押し付けて点火装置を起動させたのだと確信しました。つまり英軍将校として捕虜たちのプライドを取り戻すためにリーダーとなって作り上げた橋を、英軍将校として日本軍に利する鉄道は破壊すべきという戦略的な判断から爆破するという決断をしたのだと思います。前日の夕方には何かしら自分の人生の意味があったという思いに至ったニコルソン大佐が、「英軍捕虜が建設した」という表示板とともに自らの建築作品を破壊するところに、本作の最大のアイロニーが隠されていたのではないでしょうか。
ジェームズ・ドナルドが川辺に下りていくのを引きながら壊れた橋を空撮で捉えるショットを見ていると、戦争とはなんて無意味なものなんだろうかと涙が出てくるような思いになりました。ラストショットで空を悠々と飛ぶ鷲を映して、映画はファーストショットに戻って輪を描くようにして終幕となります。2時間40分の戦争冒険ドラマは、空の高みからみれば何の意味もない無駄で必要のないものでした。文明とか戦陣訓とか除隊とかに関係なく、鳥たちは以前と変わることなく空を飛び続けます。戦争のむなしさ、無意味さをひしひしと感じながら、『戦場にかける橋』は映画史上屈指の娯楽映画であり、戦争反対映画だったんだなと、再発見したのでした。(T022525)
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