山本嘉次郎

昭和二十年以前

綴方教室(昭和13年)

生活綴方教育がさかんに行われていた当時、小学4年生だった豊田正子の綴方は「赤い鳥」に掲載されてベストセラーになったそうです。その作文を原作として映画化したのが本作で、正子役を高峰秀子が演じて、PCLでエノケンものを数多く作った山本嘉次郎が監督をつとめています。
昭和二十年以前

エノケンの近藤勇(昭和10年)

浅草出身のコメディアン榎本健一はエノケン劇団を松竹座で立ち上げて人気者になっていて、そこに目をつけたのが東宝の前身であるPCL。ピー・シー・エル映画製作所は昭和12年に東宝映画となるのですが、エノケンが出演した10本の映画はすべてPCLの作品でした。
日本映画

新馬鹿時代(昭和22年)

昭和22年10月12日に前編が公開され二週間後の10月26日に后編が続いて劇場にかかりました。昭和22年4月に日比谷の有楽座でロッパとエノケンの合同公演が実現し、その余勢を買って東宝が映画化したのがこの『新馬鹿時代』で、合計すると2時間46分にも及ぶ長編喜劇となったのでした。
日本映画

東京の休日(昭和33年)

原節子の呼びかけによって顔を揃えた東宝の人気スターの数は、公開時の宣伝ポスターによると56人にも及んだそうで、次々に繰り広げられるレビューも含めて、まさに日本映画黄金期の東宝映画のゴージャス感を堪能できる娯楽作品の決定版と呼べるでしょう。
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