しとやかな獣(昭和37年)

金持ちに寄生してしたたかに生きる家族を描いた川島雄三の異色喜劇です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、川島雄三監督の『しとやかな獣』(けだもの)です。東京の晴海団地を舞台にして、芸能プロダクション経営者や流行作家などの金持ちから金を騙し取ってしたたかに寄生生活をする四人家族を主人公にした物語が繰り広げられます。というとアカデミー賞作品賞を受賞した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が思い出されますが、『パラサイト』のポン・ジュノ監督に影響を及ぼしたという説もあるほど、本作は川島雄三監督による見事なブラックコメディになっています。

【ご覧になる前に】ほぼ全編が団地の部屋と廊下だけで進行するお話です

元海軍中佐の父親と母親が団地の一室の片づけをしています。どうやら部屋にある調度品を隣の部屋に隠して貧しい暮らしをしているように見せかけている様子。そこへ芸能プロダクションの社長が会計係と歌手を連れて訪ねてきて「お宅の息子さんが事務所の金をピンハネしている」と苦情を申し立て始めました。父親と母親は暖簾に腕押し的な対応に終始して、社長たちはあきれて車で帰っていきます。入れ替わりに帰宅した息子の実は、ピンハネした金のおかげで両親がそこそこの暮らしができることを自慢げに話すのですが、そこへ流行作家の吉沢先生の二号に収まっていたはずの娘・友子が帰ってきて…。

脚本は新藤兼人のオリジナルで、団地の部屋と廊下で進行する物語はまさに舞台にうってつけの内容でした。本作映画化の後には、昭和39年の劇団青年座から始まって、平成にも二度舞台化されていています。新藤兼人は本当にすごい量の脚本を書いていて、しかもジャンルを問わずシリアスな社会劇から諧謔味にあふれたコメディにいたるまで映画になるものならなんでもかんでもすぐにシナリオにしてしまう才人でした。本作製作の昭和37年だけとってみても、なんと12本の脚本作品が公開されておりまして、大映、日活、東映、東宝系の東京映画とメジャー映画会社をあちこち飛び歩くような仕事をこなしています。さらには、うち1本は近代映画協会の『人間』という作品で、自分で監督までやっているのです。

監督の川島雄三は、松竹に入社して監督デビューした頃から筋萎縮性側索硬化症、いわゆるALSを発症していたそうです。持病を持ちながらも移籍した日活で昭和32年に撮った『幕末太陽傳』は、今でもオールタイムベストの投票をやると必ず上位にランクされる傑作喜劇として有名です。その後は東京映画に籍を移して大映でもメガホンを取るようになりましたが、徐々に病魔は進行し川島雄三は四十五歳の若さでこの世を去っています。本作はその死の前年に撮られたものでして、キネマ旬報ベストテンでは第六位に選出されています。

俳優陣では伊藤雄之助と山岡久乃が夫婦役を演じていまして、特に山岡久乃は昭和45年にTBSで放映されたTVドラマ「ありがとう」で主演の水前寺清子のお母さん役を演じたことで国民的お母さん女優として有名だった女優です。けれども年齢的にみると「ありがとう」出演時の山岡久乃は四十四歳。そして本作に出演したときはまだ三十六歳なんですよ。これは驚くべきことで、現在的にいえば三十六歳の女優が本作の母親役を演じることなんて絶対に不可能です。もちろん当時とは平均寿命も違うので何とも言えないのですが、明らかに女優としての成熟度はこの当時の日本映画界のほうが上だったと言っていいと思います。

実際の詐欺行為を働く息子役の川畑愛光と娘役の浜田ゆう子はあまり有名な俳優ではないようで、川畑のほうは本作のほかに出演作品はほとんどありません。一方、浜田ゆう子は大映ニューフェイスで入社したらしく出演作は多いものの葉山良二と結婚して映画界から引退したのだとか。葉山良二ってのは田中絹代監督の『乳房よ永遠なれ』の鈍感な新聞記者役でデビューしたあの人でした。

【ご覧になった後で】団地を映すショットがすべて違っているのに驚きました

いかがでしたか?これは大変映像センスに溢れた腹黒い喜劇の傑作でしたね。なんといっても注目は、団地の中をくまなく写し取るショットの多様さ。本作が何ショットで構成されていたのか知りませんが、ひとつとして同じショットはなく、すべてが別のアングル、別のサイズ、別の人物配置をして撮影されていました。ほとんどすべて団地の中で物語が進行しますし、その団地も2DKの狭い間取りしかありませんので、普通であればキャメラを置く位置は固定的になってしまうところです。それを少しずつではありますが違う画面で切り取っているところに、川島雄三ならではの映像センスが伺えたのではないでしょうか。床からのショットでは椅子の隙間から山岡久乃の顔が見え、タンスの上から見下ろすショットでは居間での会談と寝室で寝ている姉の両方を俯瞰で映す、などなど、構図のバラエティがこんなに豊かに楽しめる映画は滅多にないと思います。

そして脚本の面白さが群を抜いていました。極めて演劇的で、芸能プロダクション社長の高松英郎が乗り込んでくる冒頭のシークエンスを「第一場」だとすると、息子の実が登場するのが「第二場」で、そのまま団地を舞台にして「場」が進行するという、大変に面白い構成でした。また、メチャクチャにセリフの量が多くて、特に伊藤雄之助はしゃばりっぱなしなのですが、それが本作の通奏低音のようになって全体のトーンのベースになっているようでした。そこにやや高音域で山岡久乃の合いの手が入ってきて、あとは高松英郎のガミガミ声や山茶花究のぼそぼそ声が混じり合って、渾然一体となったコメディの音空間が醸成されるわけです。音楽はオープニングクレジットから能楽が使われていて、映画の途中でも少し流れますが、ほとんどBGMはなく、その分だけセリフが音楽的に扱われているのが本作のユニークなところかもしれません。

撮影は宗川信夫という大映一筋の人で後に山本薩夫監督の『白い巨塔』なんかも撮っています。また団地の部屋のセットはキャメラの設置場所に合わせて自由自在に壁や天井を取り外したり、くっつけたりできるように組み立てられたのだと思いますが、美術は柴田篤二という人の仕事です。この人も大映東京撮影所の美術職人で、経歴を見ると年間5~6本のペースで映画のセットを作り続けたことがわかります。部屋の中を舞台にした映画は数多くありますが、仰角で天井を撮影したものはほとんどないのではないでしょうか。本作ではそれをやってしまっていて、当時流行っていた点々の吸音機能がついた防音パネルの天井が映っているのは大変に珍しいショットだったと思います。

そんな映像テクニックが堪能できる本作ですが、やっぱり心棒になっていたのは若尾文子の存在でした。若尾文子は大映東京撮影所で膨大な数の映画に出演した女優さんですけど、デビューしてすぐに出演した『十代の性典』のイメージに囚われて、好奇な目で見られた時期もありました。しかし溝口健二監督の『祇園囃子』でしたたかな舞妓さんを演じた後に、川島雄三と増村保造に鍛えられて演技力を磨いていったといわれています。本作でも、第一印象はおとなしい会計係なのに、実はいちばん悪知恵が働いて海千山千の男たちを手玉にとる悪女役を魅力的に演じていました。

本作ではキャメラは団地の部屋と廊下から出ることがほとんどなく、芸能プロダクション連中が車に乗って去っていくショットと、団地の屋上で雨にうたれながら下を見る船越英二のショットだけが団地の外を映したものでした。加えて、長く白い階段を正面からとらえたイメージショットが二度ほど出てきます。このイメージが本作をより舞台劇風に見せる効果を持っていて、イメージショットゆえに若尾文子の独白をかぶせることも可能になっていました。ここらへんは新藤兼人の脚本そのもので完成されていたのか、川島雄三の演出なのかわかりませんけど、本作を単なるブラックコメディと呼ぶにはためらわれるほど、映像作品としての鮮烈な印象につながったんではないでしょうか。(Y060622)

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