真空地帯(昭和27年)

野間宏が書いた小説を東宝を退社した山本薩夫が独立プロ新星映画社で映画化

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本薩夫監督の『真空地帯』です。昭和27年に河出書房から刊行された野間宏の長編小説「真空地帯」は評判を呼び、毎日出版文化賞を受賞しました。その小説を映画化して同年年末に公開させたのが東宝を退社して独立プロ新星映画社を立ち上げた山本薩夫。日本陸軍の実態を暴き出した本作は、キネマ旬報ベストテンで第6位にランクインされています。映画のクレジットタイトルでは「眞空地帯」と旧字が使用されていますが、多くの書籍や雑誌で表記されている通り、大船シネマでは『真空地帯』とさせていただきます。

【ご覧になる前に】一般社会から隔絶された軍隊の日常を「真空地帯」と表現

昭和19年1月、立沢准尉に連れられて歩兵砲中隊の事務室に入ったのは木谷一等兵で、木谷は陸軍刑務所での刑期を終えて四年兵にも関わらず一等兵に降格させられて復隊したのでした。准尉の命令で大住軍曹は木谷を病院帰りだということにして、内務班の居室に案内しますが、木谷は自分より年次が下の古参兵に挨拶もしません。初年兵の学徒兵が食事の準備の際に鍋をひっくり返してしまうと、古参兵はその場で初年兵に厳しい制裁を加えますが、事務室勤務で三年兵の曽田一等兵だけはそっとその場を離れ、なぜ木谷が軍法会議にかけられたのかを調べるのでした…。

野間宏は、京都帝国大学在学中から反戦の立場から社会主義運動に加わり、召集された後にマラリアに感染して帰国すると、思想犯として大阪陸軍刑務所で半年間服役した体験の持ち主です。出所後は監視付きで原隊に復帰したものの除隊となり、軍需工場勤務時に終戦を迎えました。戦後、日本共産党に入党するとともに作家生活に入り、初版3000部で出版された「真空地帯」は最終的に15万部を売るベストセラーとなりました。その後は詩集「スターリン讃歌」を書いたことで日本共産党を除名され、代表作となる「青年の環」を発表したり、日本アジア・アフリカ作家会議の議長を務めたりしたそうです。

小説「真空地帯」の評価について、日本共産党に復党したばかりの宮本顕治と作家大西巨人との間で論争となり、その余波が様々な文芸誌に飛び火したことで、さらに話題を呼ぶことになりました。きっかけは大西巨人が「俗情との結託」という論評で「真空地帯」を批判的に書いたことだったそうで、「日本共産党スパイ査問事件」で戦中ずっと刑務所に収監されていた宮本顕治は「真空地帯」の記述を肯定的に認めていたようです。大西巨人が自作の「神聖喜劇」で軍隊の実態を一大叙事詩として書き下ろしはじめるのは昭和30年のことですから、もしかしたら「神聖喜劇」は野間宏の「真空地帯」に対抗して書き始められたのかもしれません。もちろん推測にしか過ぎませんけど。

昭和27年2月に河出書房から出版されたベストセラー小説を映画化して、本作が劇場公開されたのは12月15日のことですから、映画化権獲得から脚本化、撮影、編集までかなり短期間で映画が製作されたことになります。製作者としてクレジットされている嵯峨善兵は、俳優として新興キネマからPCLに入り東宝専属になった人で、戦後には日映連東宝支部書記長として組合運動の先頭に立って東宝争議を先導しました。争議終結後に責任を取って東宝を退社すると、組合の同志だった山本薩夫らとともに新星映画社を設立し、本作ではプロデューサーをつとめることになりました。もう一人の製作者である岩崎昶は戦前から日本の代表的な映画評論家だった人で、映画法による日本映画界統制に反対したことで逮捕された経験もありました。新星映画社の設立に加わるとともに、昭和30年代までは映画評論界の重鎮として活躍を続けました。

脚本の山形雄策は東宝のシナリオライターとしてキャリアをスタートさせ、松竹から移籍してきた島津保次郎作品の脚本を担当していました。戦時中は戦意高揚映画のシナリオを書いていましたが、戦後は一転して今井正監督の『民衆の敵』や東宝を退社した直後に山本薩夫が創った『暴力の街』などの作品に脚本を提供しています。とは言え、本作のような独立プロの作品でしか声がかからなかったようで、脚本家としての作品は少なく、映画専門誌に映画評論を書くのが主業となったみたいです。

監督の山本薩夫は、もとは新劇に行きたかったようで、演劇では食えないからということで松竹蒲田撮影所に入り、成瀬巳喜男とともにPCLに移籍して東宝争議で組合の中心人物となっていきました。そんなこともあり、松竹や日活と違って専属俳優が少なかったPCLでは、滝沢修や宇野重吉ら新劇の俳優に声をかけて映画に出演させる機会を作ってあげていたそうです。本作の前に新星映画社で作った『箱根風雲録』も前進座との共同製作でしたし、俳優座が製作する映画の監督もしていますから、演劇人とは深いつながりのある監督でした。そんな左翼的なイメージのある山本薩夫をメジャーの世界に引き戻したのが大映の永田雅一。市川雷蔵主演の『忍びの者』をリアル忍者映画として完成させると、その手腕が見直され、大映では『白い巨塔』、日活では『戦争と人間』など大作を任されるようになったのですから、永田雅一は山師的な映画人であると同時に鋭い嗅覚をもつプロデューサーでもあったんですね。

【ご覧になった後で】ぐいぐい引き込まれる力作ですが音が聞き取り辛いです

いかがでしたか?ほぼ原作通り忠実に映画化されているそうなので、原作の持つ力なのかもしれませんが、内務班における軍隊の日常に身体ごと引きずり込まれるような迫力があって、とても重量感のある力作という感じでした。遊郭の部屋などのほかはほとんど歩砲兵連隊の中で話が進んでいくので、その圧迫感が画面に押し込まれていて、終戦後7年しか経過していなかった当時、千葉県の佐倉連隊の兵舎がそのまま残っていて撮影に使用されたそうですから、映像的にも非常にリアリティが感じられました。

そんな中で本作を現在的に見る欠点としては、音声状態が悪いことで、セリフが非常に聞き取りにくいですし、人の名前や階級なども一度では聞き覚えられないので、映画化にあたってはもう少しわかりやすくアレンジしたほうがよかったような気がします。主人公の木谷一等兵の「キタニ」や木谷をかばってくれる元教師の曽田一等兵の「ソダ」、あるいは三島雅夫が演じている連隊No.2である准尉の「ジュンイ」などどれも映画の中盤まで、「キタミ?」「ソウダ?」「ジュンニ?」などと聞き間違っていました。本作を映画にするなら原作通りでなくても、山田とか斎藤とか中尉とかわかりやすい名前や階級にしても大差なかったはずなので、音の聞き取りやすさを考慮してほしかったです。

また軍隊の日常の辛さや怖さが絶望的なほどに酷くはない感じがしてしまうところがあって、もちろん佐野浅夫を主軸とした古参兵のイジメは見ていても不快なものではありましたけど、映像として出されると逆に想像力が限定されてしまうような感じがします。大西巨人の「神聖喜劇」では、上官によるイジメはその場限りで瞬間的に行われるものではなく、ゆっくりじっくりと時間をかけて真綿で首を締められるような長い長い窒息感が描かれていて、本で読んでいても息苦しくなってきて心底暗澹たる気分に落ち込むほどのものでした。それはたぶん読んだ文字が頭の中でどんどんと拡大していって、いかにもリアルに自分がいじめられているかのような錯覚を自分で作り出していたからだと思われます。それに比べると本作は映像化されているがために、映像に映されたもの以上の広がりがなく、特に時間的に永遠に終わらないようなイジメの苦しさは伝わってこなかったような気がします。

事務室勤務で人事係となっている曽田一等兵の存在があることで観客は救われるわけですが、逆に曽田の存在感が強過ぎて軍隊の日常がイジメだけでなく、救いもそれなりにあるんだという感じ方を助長する効果につながっていました。社会主義に関係した文庫本が発見されても准尉も中隊長も問題視せずに見逃してしまいますし、ズボン下を盗まれれば他の班の洗濯物をくすねてきて員数合わせをしておしまいです。「神聖喜劇」なら文庫本を持ち込んだ人物がわかるまで寝食させてもらえませんし、洗濯物を盗まれた側がどうやって員数合わせするのかまでが徹底的に描かれるはずです。佐野浅夫の古参兵なども四年兵の木谷から殴られてそれで終わりなんでことはなく、上等兵の立場を利用して復讐するくらいのことは当たり前にやるでしょう。そんなわけで本作における軍隊内のイジメは、観客を物語に引き込む効果はあるものの、観客にイヤな想像をさせるところまでは達していないように思われました。

木谷一等兵を演じる木村功は、古参兵たちを寝台から睨みつける表情の演技が冴えていた一方で、ブチギレして古参兵にとどまらず初年兵や曽田一等兵にまで制裁を加える場面では、ひ弱さが目立ってしまい、なんでみんな言われるままに殴られて全員で押さえつけにいかないのかななんて思ってしまいました。曽田を演じた下元勉は劇団民藝の創設に携わったひとりで、長身痩躯の身体を生かして臆病ながらも誠実で意思の固さを感じさせる演技でしたし、営倉行きになる染一等兵をやった高原駿雄はどこかで見た顔だよなあと思って調べてみたら、山本薩夫の『白い巨塔』で田宮二郎の財前教授をアシストする佃医局長でした。幅広いキャラクターを演じることのできる名脇役だったようですね。

結構ケナしてしまったのですが、昭和27年といえば7年間に及ぶGHQによる占領が終結して、日本が独立を取り戻した年です。そんなときに独立プロの立場で日本陸軍の暗部をえぐり出したような映画を製作した態度は立派だったと思いますし、野間宏の小説がベストセラーになったとは言っても15万部程度の話なので、映画興行の場合はそれよりもはるかに多くの観客が本作を見て日本の軍隊の不条理さに思いを至らしめたことと思います。指揮命令系統を明確にすればするほど上下関係は厳密に遵守されなければならず、上官の命令に絶対服従をするということは何に対しても意義を唱えることが禁じられるということです。そのような「真空地帯」を再び蘇らせないためにも、本作のような旧作がいつでもネットで見ることができる環境を続けなければならないと思わされるのでありました。(U102824)

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