「シェーン、カムバック!」があまりにも有名な西部劇の古典中の古典です
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョージ・スティーヴンス監督の『シェーン』です。1949年に発表されたジャック・シェーファーの原作は出版されるとすぐにパラマウントピクチャーズが映画化権を獲得しました。大学生の息子からこの小説の評判を聞いていたジョージ・スティーヴンスは自ら製作も担当してワイオミングの美しい山々を背景にした抒情的西部劇に仕立て上げ、西部劇としては古典中の古典ともいえる名作となりました。特にジョーイ少年が映画のラストで叫ぶ「シェーン、カムバック!」のセリフはプレミア誌が2007年に選んだ「偉大なる映画の名セリフ100選」の69位に選出されています。
【ご覧になる前に】1951年秋に撮影されたものの編集に1年以上かかりました
ワイオミング州ジョンストン郡の開拓地で鹿を撃つ真似をしていたジョーイ少年は馬に乗ったガンマンがやって来るのを見つけました。スターレットと妻マリアンはシェーンと名乗る男に夕食をご馳走し、土地の開墾を手伝ってくれるよう頼みます。スターレット家に逗留することになったシェーンが町に買い出しに出かけると、開拓民たちのことを追い出そうとしている牧畜業者のライカーたちから酒場で因縁をつけられます。開拓民たちがスターレットの家に集合してライカーへの対抗策を話し合っていると、酒場での出来事からシェーンは臆病者で頼りにならないと話す者がいました。寝室でその話を聞いていたジョーイ少年は母親に向ってそれが真実なのかどうかを尋ねるのですが…。
ジャック・シェーファーはコロンビア大学大学院で芸術学を学んだものの卒業後は新聞や雑誌の記者をしていましたが、1949年に執筆した「シェーン」で小説家としてデビューし、以降は西部劇小説を書くようになりました。そのシェーファーの原作を脚色したのはA・B・ガスリー・ジュニアで「西部への道」という小説で1950年のピューリッツアー賞フィクション部門を受賞した人。映画の脚本は本作以外には1955年の『ケンタッキー』という作品があるだけなので、あまりシナリオは向いていないと思ったのかもしれません。
製作・監督をつとめたジョージ・スティーヴンスは戦前は冒険活劇からミュージカルまで娯楽作を幅広く撮っていましたが、大戦中に陸軍映画班に従軍し、ドイツ敗戦後のダッハウ強制収容所の記録映画を撮影した経験から、戦後は一転してシリアスな作風に変わっていきました。1951年の『陽のあたる場所』でアカデミー賞監督賞、1956年の『ジャイアンツ』で作品賞を受賞していて、1959年の『アンネの日記』と本作を含めて1950年代のハリウッドを代表する名監督のひとりだったといえるでしょう。
そんなジョージ・スティーヴンスが『シェーン』の映画化にあたってまずモンゴメリー・クリフトにシェーン役をオファーしたのは『陽のあたる場所』でモンティの演技力を確認済みだったからでしょう。スターレット役には1950年代のハリウッドのアイドル的存在となるウィリアム・ホールデンを起用するつもりだったようなので、かなり強力な男優二人をキャスティングする計画をもっていたわけです。しかし二人ともスケジュールがつかず、ダメだとわかったスティーヴンスはわずか3日でアラン・ラッドとヴァン・ヘフリンの二人に変更することを決意しました。ヴァン・ヘフリンは1941年にアカデミー賞助演男優賞を獲得しているのでそれなりのキャリアがありましたが、アラン・ラッドはB級犯罪映画への出演歴しかない時期で、しかもアラン・ラッドの身長は168cmと極端に背が低いハンデを持っていました。けれどもこの二人の起用は結果的に大成功して、共演をきっかけにしてアラン・ラッドとヴァン・ヘフリンの二人は終生変わらぬ親友同士となったのでした。
撮影は1951年10月にクランクアップしていたのですが、ジョージ・スティーヴンスは編集に非常に長い時間をかけてしまったのでなかなか完成せず、一時はB級西部劇番組に格落ちさせる計画もあったそうです。しかしラッシュを見たパラマウントの幹部が出来栄えに感心して1953年の主力作品のひとつとして公開することとなり、『シェーン』は世界興行収入で第5位となる大ヒットを収めたのです。日本でも年間2位のヒットに加えて、作品としても1953年度のキネマ旬報ベストテンで第7位に選ばれるほど高い評価を得ています。
【ご覧になった後で】脚本も撮影も演出も俳優もすべてが完成された一級品
いかがでしたか?この映画は子供の頃に映画を見始めた頃にまだ街の名画座でスクリーンにかかっていたときに見たことがある原初的映画体験のうちの一本です。TV放映の際に再見して以来たぶん四十年ぶりくらいに見直すことになったのですが、あまりに映画のすべての要素が一級品レベルに完成されていて、決して古びない古典中の古典的名作なのだなとあらためて感心してしまいました。
まず脚本は登場人物たちそれぞれに深く踏み込みながらも全体の流れを最後の対決にもっていくプロットづくりに非常に長けていて、2時間近い上映時間を感じさせない緊張度がありました。アラン・ラッドとヴァン・ヘフリンの関係が主軸になっているのはもちろんですが、本作の中にはたくさんの対立関係や並立関係が盛り込まれています。流れ者と定住者、開拓民と牧畜主、大人と子供、話し合いと暴力、男と女、愛情と思慕、逃げることと逃げないこと、そして生と死。そこに多くの登場人物がからんできて、誰一人として中途半端な存在はいません。全員がそれぞれの立場や主張や感情をもった個性として描かれています。これは原作の巧さなのかもしれませんけど、それらの対立が最後のシェーンとライカーたちの対決に収斂していく展開が脚本の高い完成度を感じさせました。
そしてワイオミングの山々を背景にした撮影が美しかったですね。雪をかぶった山々を映像の中にしっかりおさめるためにロケーション撮影では望遠レンズを多用して、人物のすぐ後ろに山が迫るような圧縮した画面構成を実現させたんだそうです。キャメラマンはロイヤル・グリッグス。本作でアカデミー賞撮影賞(カラー部門)をゲットしていて、パラマウントピクチャーズで『ホワイト・クリスマス』や『十戒』などの撮影もつとめた人です。
ジョージ・スティーヴンスの演出は序盤はやたらにカット割りが多すぎてチョコマカした印象でしたが、次第にそれが場面ごとに緩急をつける演出手法なのだということが明らかになってきて、じっくりワンショットで俳優に演技をさせるところが目立ち始め、また特にロケーション撮影の場面ではロングショットでの構図の見事さを際立たせるようなショットつなぎをしていました。さすがに編集に1年以上かけただけのことはありますね。またヴァン・ヘフリンの家では窓や扉の使い方が巧くて、窓の外に見える馬や鹿の配置とか上下開きの扉を利用した人物の動かし方などに特徴がありました。対決前にアラン・ラッドとヴァン・ヘフリンが殴り合うところでは、周囲の馬や牛たちが興奮して柵を乗り越えてしまう様子を見せることで殴り合いの激しさを表現していて、酒場の殴り合いとは違う見せ方も工夫されていましたね。
そして二丁拳銃のジャック・パランスの登場シーンの見事さは、マーティン・スコセッシが『タクシー・ドライバー』で真似したらしいですけど、非常に印象的でした。内側から酒場に入って来るジャック・パランスをフルショットでとらえた映像がそのままディゾルヴしてジャック・パランスがゆらりとカウンターに近づくショットにつながります。ジャック・パランスが一瞬消えたように見えるこのディゾルヴの使い方は当時としては非常に実験的だったんではないでしょうか。シェーンがジョーイ少年に銃の撃ち方を教える場面ではじめて銃音が鳴り響くところで異常に大きな効果音を入れたのも意図的に音量を上げて観客を驚かせる仕掛けだったそうなので、酒場のジャック・パランスが幽霊のように不吉な存在に見せるためのディゾルヴだったのでしょう。それにしてもジャック・パランスの顔は淀川長治氏が「蟹の甲羅みたい」と表現した通り、ちょっと人間的ではない不気味な悪役になりきっていました。
ラストの「シェーン、カムバック!」はあまりに有名ですが、水野晴郎氏が解説をしていた「水曜ロードショー」でTV初放映されたときには吹き替えのまま「シェーン、戻ってきて!」という意味そのままの日本語バージョンでした。それを見たときに心底ズッコケた記憶があり、この場面ほど吹き替えが似合わない外国映画もないんじゃないかと強く感じたのでした。そんなことがあって視聴者からたくさんのクレームが入ったのではないかと推測するのですが、二年後に再び同じ枠で再放映されたときにはこのセリフのときだけ原語版に変わって「Shane, come back!」という英語がお茶の間に流れたと記憶しております。当時はTVでの洋画放映で原語を流すことはほとんどなかったので、これはこれで衝撃的な出来事ではありました。
再見してはじめて知ったのですが、本作出演時にマリア役をやったジーン・アーサーは五十歳を超えていたんだそうですね。ジョージ・スティーヴンスの頼みということで出演を引き受けたようで、金髪のかつらをかぶって八歳年下のヴァン・ヘフリンの妻役を演じたのでした。対決にでかけるシェーンを見送るときの、一瞬抱きつくのかと思ったら握手のために手を差し出すところなんかにベテランの味が出ていました。
久しぶりに見てラストの「シェーン、カムバック!」では不意に涙が出そうになってしまいました。映画ではジョーイ少年が「血が出てる」とか「本当なら撃たれなかったよね」とかいうセリフがある程度ですが、原作では脇腹にかなりの重傷を負ったように書かれていると何かで読んだ覚えがあります。確かにラストショットでは手綱を持っていない左手をまっすぐに降ろしているのが映ります。このままシェーンは死んでしまうのでしょうか。一度銃で人を殺した人間は違う世界に行くしかないという暗示なのかよくわかりませんけど、やっぱり古典的西部劇には悲劇的な結末こそがふさわしいと思い直すのでもありました。(U050323)
コメント