谷崎潤一郎の「細雪」は三度映画化されていますが一番最初の新東宝作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、阿部豊監督の『細雪』です。原作は谷崎潤一郎が書いた日本文学を代表する小説で、これまでに三度映画化されています。その最初が新東宝で映画化された阿部豊監督作品で、二度目は昭和34年の島耕二監督の大映版、三度目が昭和58年の市川崑監督による東宝版です。大阪を舞台にした旧家の四姉妹の物語なので、どの作品も女優たちの競演になるわけですが、この新東宝版では花井蘭子、轟夕紀子、山根寿子、高峰秀子の四人が顔を揃えています。
【ご覧になる前に】豪華な衣裳など当時としては破格の製作費で作られました
大阪上本町の蒔岡家はかつて船場で豪商として栄えた一家でしたが先代の放蕩が祟って没落し、今では四姉妹の長女鶴子が養子辰雄を迎えてひっそりと暮らしています。旧家の名にこだわってなかなか縁談が成立しない三女雪子は辰雄兄とも折り合いが悪く、今日も分家して芦屋で暮らしている次女幸子の家に外出をしました。芦屋の家では雪子を実の姉のように慕う幸子の娘悦子が歓待する傍らで、幸子は四女妙子とともに音楽会に着ていく着物の帯がキュッキュッと音を立てるのを気にして、とっかえひっかえしては笑い合っているのでした…。
谷崎潤一郎の代表作「細雪」はいろいろな紆余曲折を経て昭和24年に全巻が刊行されました。というのも谷崎が昭和17年に稿を起して昭和18年に中央公論に掲載が開始されたものの、陸軍省報道部が「時局にそわぬ」とクレームをつけたからで、活字にして売り広めなければよいという言葉を信じた谷崎は知人友人に配布するために私家本を上梓しました。ところが今度は刑事がやってきて勝手に出版するとはけしからんと始末書を書くよう命じられたそうです。そのように戦時下において細々と書き続けられた「細雪」は谷崎が京都に住まいを移した後、戦後になってやっと日の目を見ることになり、ベストセラーとなると同時に毎日出版文化賞や朝日文化賞を受賞しました。そして海外でも「The Makioka Sisters」のタイトルで英語に翻訳されたのをきっかけに出版され、やがて谷崎潤一郎はノーベル文学賞候補にも挙がるようになったのでした。
この新東宝版は昭和25年5月に公開されていますので、全巻刊行の翌年にすぐ映画化されたことになります。戦後すぐに勃発した東宝争議は昭和21年から23年まで三次にわたる労働闘争でしたが、経営者側にも労働組合側にもつかない東宝の十大スターが映画製作を続行しようと昭和21年末に東宝を出て、「十人の旗の会」を立ち上げました。旗振り役の大河内伝次郎に賛同したのが長谷川一夫や入江たか子、原節子、山田五十鈴らでしたが、本作で四人姉妹を演じる花井蘭子、山根寿子、高峰秀子もその十人に入っていました。この十人のムーブメントが東宝第二撮影所になり、新東宝映画製作所が設立され、昭和23年には製作と配給を垂直統合した新東宝に発展することになります。
新東宝がこの「細雪」にかけた製作費は当時の価格で3800万円と言われていまして、公務員の初任給で比較すると現在価値は30倍以上になりますから今で言うと10億円を超えるくらいの巨費が投じられたようです。確かに四姉妹の着る衣裳だけでも絢爛豪華ですし、特殊撮影スタッフがクレジットされているように特撮シーンにもお金がかかっています。日本映画の配給収入記録は昭和25年9月以降しか残っておらず、本作がどれくらいヒットしたのかはわからないのですが、キネマ旬報ベストテンでは第9位のランクインしていまして、それなりに評価されていることからすると製作費を回収するくらいまでは行ったのではないでしょうか。知りませんけど。
脚色したのは日本映画脚本界の重鎮でもある八住利雄で、同じ年に書いた今井正監督の『また逢う日まで』はキネマ旬報ベストテンで第1位になっていますし、昭和34年に大映で再映画化された島耕二監督の『細雪』では八住利雄が再び脚色を担当しています。監督の阿部豊は東宝で戦時中に『あの旗を撃て』などの戦意高揚映画を撮った後、戦後に島崎藤村の「破戒」の映画化に取り組むものの東宝争議で頓挫し、それをきっかけにして東宝を辞めて新東宝に映ったところでした。印象的な音楽を書いているのは黒澤明の盟友でもある早坂文雄。「ピアノ協奏曲」を完成させる一方で多くの映画に楽曲提供していて、本作と同じ年に『羅生門』の音楽も担当しています。
【ご覧になった後で】実質的には高峰秀子が演じるこいさんが主人公でした
いかがでしたか?小説では四姉妹のうち次女の幸子(なかあんちゃん)を中心として三女雪子(きあんちゃん)の縁談話と四女妙子(こいさん)の無軌道ぶりが描かれていて、長女の鶴子は出番が少ないものの芦屋にいる三人には均等にスポットが当てられています。それに対してこの新東宝版ではあきらかに物語の主人公は高峰秀子がやるこいさんになっていて、ほかの三人は脇役という扱いでした。まあ女優としての人気を考えると、高峰秀子が群を抜いていますし、小説でもこいさんの生き方が一番現代的でドラマチックでもあるので、脚色するには他の三人よりはずっとプロットを組み立てやすかったのでしょう。雪子なんかは縁談の話が持ち上がって見合いはするけどダメになるの繰り返しなので映画にはなりにくいですし、小説は幸子が中心になって展開されますがどちらかというと本家との関係や縁談を仲介してくれる人やご近所の外国人一家との付き合いや娘の病気などの日常生活が描かれており、ドラマ性に欠けていますので、映画では高峰秀子を主人公にするしかなかったんでしょうね。
それにしても轟夕紀子はとてもチャーミングに幸子を演じていましたのでもう少し活躍させてあげたかったところでした。導入部の帯がキュッと鳴るあたりの山根寿子と高峰秀子との三人のコンビネーションなんかはいかにも良家の姉妹という雰囲気を醸し出していましたし、本人自身が関東大震災後に関西に移り住み宝塚歌劇団にも在籍していたので京都弁が身についていたのですから、もっと大阪弁のセリフを増やしてほしかったです。一方で高峰秀子は全然大阪弁ができなくて、若い娘なら東京っぽい話し方が入ってもよいのではないかとか激したときにペラペラ丸出しで出たらいいとか、谷崎潤一郎と阿部豊との鼎談の場で発言していました。
その鼎談は製作開始前のもので、その時点では長女は入江たか子がやる予定だったようで、直前にバセドー氏病を発病して鶴子役は花井蘭子に代わったそうです。この病気は入江たか子の女優人生を大きく狂わせて、結果的に大映で化け猫映画とかに出るキャリアを歩むことになるんですよね。花井蘭子は出番も少ないからあまり影響はありませんけど、準主役の山根寿子はちょっと地味過ぎたかもしれません。雪子は常に質問にはっきり答えず「ふん」とか言っているキャラクターなのですが、その「ふん」の言い方にどうにも工夫が不足しているように見えました。
阿部豊の演出は極めてオーソドックスでどちらかといえばストーリーを見せていくという撮り方でしたので、特に印象に残る映像はありませんでした。なので見ているうちにちょっと眠くなってしまうのも否めないところで、小説では姉妹のためにいろいろ支援する幸子の夫の貞之助があまり目立たないのもマイナス点でした。河津清三郎が演じていますけどこの人は悪役でこそ持ち味が発揮されるタイプなので、ちょっとミスキャストだったかもしれません。幸子のモデルは谷崎潤一郎の夫人松子で、だとすると貞之助は谷崎潤一郎自身を書いたことになるわけですが、河津清三郎では谷崎も不満足だったのではないでしょうか。
ミスキャストといえば板倉役をやった田崎潤が貫禄があり過ぎて、田中春男の下男の立場なのに田中春男のほうが下男なんじゃないかと勘違いしそうでした。後年東宝の次郎長三国志シリーズや怪獣映画で活躍する田崎潤は本作に出る前までは田中実という本名を使っていましたが、田中春男と名前がかぶるということで、当時かわいがられていた「肉体の門」の作者田村泰次郎の「田」と原作者谷崎潤一郎の「崎潤」を組み合わせて本作で新しい芸名に変更させられたそうです。あの「ガッハッハ」というようなイメージには田中実よりもはるかに田崎潤のほうが似合っているので、良い改名だったですね。
そんな印象の薄い阿部豊の演出ですが、先の鼎談の場で谷崎潤一郎に「映画化について註文があったら伺いたい」と質問していて、谷崎潤一郎は「一番気になるのは着物で、なるたけ関西の空気を入れるようにしてもらいたい」と答えています。でもやっぱり小説家と映画監督の違いで、阿部豊が「雪子よりも幸子の着物にはモダンな感じを加えたい」と映画としての映り方を気にしているのに対して谷崎が「幸子も雪子も変わらないんだけど」とあくまで登場人物の趣味嗜好として捉えているのが興味深い点でした。
阿部豊が田中春男がやる奥畑を「おくはた」と言うと、すかさず谷崎が「それはオクバタケと読んでください」と修正を入れているのが、やっぱり小説家らしい文字や音感への感性の深さの表れでした。映画では結果的に「おくはた」のままになっていたのが、役者が問題なのであって役名などささいなこととしかとらえない映画監督との大きな違いになっていました。
というわけで小説があまりに偉大な作品だとなかなか映画にするのは難しいもので、最初の映画化は成功作とはいえない出来栄えでした。現在的に文庫で出ている小説の「細雪」には巻末に膨大な量の注が記載されていて、当時の歌舞伎や料理店や着物などについて詳しく補足が加えられています。それだけ谷崎潤一郎の教養が優れていたということでしょうし、時代が経過すると固有名詞などで谷崎が表現したかったニュアンスが伝わりにくくなるということもあったでしょう。それを考えると1980年代に当時流行のブランドやレストランの注をつけて話題となった田中康夫の「なんとなくクリスタル」は、「細雪」の文庫版にヒントを得たのではないかと今更ながらに思いついたのですが、まあ比較するのも大谷崎には失礼なことかもしれません。(Y011223)
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