お吟さま(昭和37年)

千利休の娘お吟を主人公にした今東光の原作を田中絹代監督が映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田中絹代監督の『お吟さま』です。主人公のお吟は豊臣秀吉の茶頭だった千利休の義理の娘で、その波乱に満ちた生涯を小説にしたのが今東光でした。大女優田中絹代にとっては昭和28年の『恋文』で映画監督に初挑戦してから数えると六作目の監督作品となりますが、残念ながら本作以降二度と監督することはありませんでした。小津安二郎や成瀬巳喜男の支援を受けて女性映画監督の開拓者となった田中絹代にとっては、本作の製作現場は厳しいものになったようです。

【ご覧になる前に】製作はにんじんくらぶ、よって有馬稲子が主演しています

豊臣秀吉による九州平定で島津攻めの指揮を執る石田三成は、夜明けのお茶をたてる千利休に対して娘のお吟と堺の船問屋万代屋との縁談を持ちかけます。本人の気持ちを尊重する利休はお吟には心に決めた相手があることを知ります。それは利休のもとに茶道を習いにきていたキリシタン大名高山右近でした。右近に直接想いを伝えるお吟でしたが、妻のある右近は信仰を重んじお吟に万代屋に嫁ぐことを勧めます。二年後、万代屋の御寮として采配をふるうお吟は、夜遊びを続ける万代屋から右近への想いを捨てるように迫られますが、お吟はまだ右近を想い続けていたのでした…。

今東光は出家した僧侶でもあり小説家でもあった才人で、飛田給にあった今東光の草庵は調布に近いこともあって映画人がしょっちゅう出入りしていました。ですので久松静児監督の「河内風土記シリーズ」などに原作を提供したり、代表作「悪名」が大映でシリーズ化されたりと映画界とは深い縁があった小説家でした。この『お吟さま』は昭和31年に裏千家の機関誌に連載された後に第36回直木賞の受賞作となり、一時執筆活動から遠ざかっていた今東光が文壇に復帰するきっかけとなった作品です。

本作は文芸プロダクションにんじんくらぶが製作し、松竹が担ったのは配給のみでした。にんじんくらぶは岸恵子・久我美子・有馬稲子の女優三人が共同で始めた独立プロダクションで、社長をつとめていたのは若槻繁でした。若槻のもとで企画を担当したのが松竹で城戸四郎の秘書をやっていた長島久子で、長島は文壇で話題となっていた今東光の小説を女性主体の映画にしようと田中絹代を監督に指名します。そしてにんじんくらぶからは有馬稲子が主演のお吟を演じることにして、岸恵子も一場面だけの特別出演で顔出しすることになりました。

にんじんくらぶ製作ということもあり、松竹専属俳優ではなく舞台出身のフリーの俳優が出演陣の大半を占めていて、高山右近には仲代達矢、千利休には中村鴈治郎、石田三成には南原宏冶があてられました。そのほか千秋実、三宅邦子、月丘夢路が出ていますし、東宝から借りた伊藤久哉も怪獣映画の自衛隊員役ではなく万代屋の主人役で登場します。

脚色を担当したのは溝口健二の遺作『赤線地帯』の脚本を書いた成澤昌茂。美術は松竹京都で時代劇のセットを中心に組んでいた大角純一が担当します。問題はキャメラマンで「東の宮島、西の宮川」と呼ばれた宮島義勇(よしお)が「撮影監督」としてクレジットされています。普通の表記では単に「撮影」だけですが、宮島義勇は撮影に関するすべてを統括して指示を出し映像面を全面的に差配する仕事をしていたので、あえて「撮影監督」というクレジットにこだわっていました。宮島にいわせるとファインダーをのぞいてパンやティルトの操作をするのは単なる「オペレーター」の仕事なんだそうです。撮影現場ではまずすべての照明をやり直させ、キャメラのフレームに入るものをチェックし、色味や影の出具合などを最適にしてからではないと、監督に「スタート」の声をかけさせなかったとか。そんな仕事ぶりが天皇のように支配的だということから陰では「宮天」というあだ名で呼ばれるほどでした。

田中絹代は映画監督として六作目となる本作で腕試しをしたくなったのでしょうか、この「宮天」にキャメラを頼もうと従弟にあたる小林正樹に宮島義勇に口利きしてくれるよう斡旋を依頼します。そのときに小林正樹は「仕事はもっと楽にやる方がいいですよ」と助言し、暗に宮天とは組まない方がいいと伝えたそうですが、田中絹代はそのアドバイスを重視することなく結局宮島義勇が撮影監督として現場に入ることになりました。

【ご覧になった後で】映像はすばらしいですが感情がこもっていない感じです

いかがでしたか?さすが「宮天」というべきでしょうか、とにかく映像はすばらしく美しいショットが連打されていて、完成度が高いショットが次々に出てくるという点では豪華絢爛な絵巻物を見せられているような雰囲気がありました。導入部の中村鴈治郎の後ろに広がる夜明けの空の雲の切れ具合なんか最高ですし、岸恵子が裸馬にひかれていく夕暮れの空も一瞬黒澤明の『影武者』か『乱』を見ているような錯覚にとらわれてしまいました。さすが撮影監督というだけあって照明のコントロールが完璧で、縁談話を伝えられた有馬稲子のいる部屋が日が暮れてすうっと闇が強まるショットではその微妙な照明の変化に職人芸が生かされていました。さらには構図的に印象づけるショットもたくさんあって、右近と会いにいく有馬稲子を瓦屋根の上から俯瞰で正面を見下ろすように撮ったショットからは、キャメラの設営だけで一日仕事だったろうなと思わせるくらいの苦労が感じられました。

しかしこのような完璧なショットは物語にあまり関係しないところで頻出していたのも事実です。逆に言えばいちばん映像的に登場人物の感情を伝えるべき場面では妙にキャメラが動いたり、人物の位置が中途半端だったりという雑なカッティングが気になってしまいました。例えば有馬稲子と仲代達也が雨宿りをして一夜を共にする重要な場面。ここは映画の中でも禁断の愛を成就させる最もエモーショナルな場面のはずですが、二人の想いが盛り上がり燃え盛る経緯が全く描けていません。ただセリフをしゃべるだけの二人がいて、やがて近づいて抱き合う動作をするだけの人形のように見えてしまいます。そこには生きた魂の発動がなく、ただキャメラのフレームの中に俳優が収められたというふうにしか見えませんでした。

このような感情がこもっていない乾いた感じの場面が続いてしまうのは、たぶん宮島義勇が撮影現場を仕切っていたことが影響していると思われます。小林正樹が助言した通りで、『お吟さま』の現場で宮島は田中絹代をイジメ抜いて、コンテもすべて宮島が書き、脚本も勝手に変更して、しかもそれらすべて田中絹代には事前に何も伝えらえずに行われたそうです。田中絹代は「私、どうしたらいいんでしょう」と言ってキャメラの脇でしばしば涙を流しました。これは助監督吉田剛の証言なのである程度信憑性がある実話なんだと思います。

宮島側の言い分としては、「女が主役の映画は苦手だ」と田中絹代のオファーを一度断ったそうですが、長島久子が諦めずに交渉に来るので「絹代さんは俳優としては認めるが監督としては疑問。でも溝口さんなんかと組んだキャリアがあるから相談しながらやってみよう」と引き受けることにしたとのこと。現場では田中絹代を「しっかりしなさいよ」と叱咤しながら、完成後には「辛かっただろうけど、出来上がった作品を見て喜んでくれた」となんとも上から目線の感想を述べています。この田中絹代イジメよりも、有馬稲子がことごどく田中絹代に反発したというエピソードを強調していて、有馬稲子が「私はこう考えています。絹代さん、あなたはどうですか」と迫り、田中絹代は考慮中で混乱するばかりだったというような話を残しています。

宮島義勇は入社は松竹ですがすぐにPCLに移籍して、そのまま東宝の撮影技師になった人。キャメラの構造や現像の仕方など撮影に関するあらゆる技術に精通していて、戦時中は兵役にとられずに内務省から撮影技術指導の仕事を任されていました。戦後になるとあの東宝争議において労働組合の幹部として経営側と徹底抗戦する役割を果たし、争議が終了すると東宝を辞めて日本共産党の書記局に入ります。日本共産党時代にはなんと中国に密入国し、中国共産党の保護下で調査活動をしていて、あの周恩来と直接面会するなど重要任務をこなしたということで、日本共産党史に名前を残すくらいの左翼活動家でした。

そのような政治的スタンスとは別に小林正樹監督が宮島義勇の撮影技術を高く買い、『人間の條件』『切腹』『怪談』などでコンビを組むことになります。しかし『怪談』では自分が決めたキャメラアングルで背景となるホリゾントがほんの少し見切れていただけで、ホリゾントの作り直しをしないとキャメラを回さなかったらしく、数日間撮影が遅れ、しかもホリゾント製作費で数百万の経費が飛ぶというような天皇ぶりだったそうです。まあ一概にどうこう言えませんが、「東の宮島、西の宮川」と言われていたというものの宮川一夫のことは現在でも神格化されて語られるのに対して、宮島義勇の名前はそんなに多く聞く機会はありません。なのでまあ映画界的にもあんまり思い出したくない種類の人物だったのではないかと邪推してしまいますね。

というわけで映像はすばらしいのにそこにエモーションがこもっていないのは、田中絹代の存在が徹底的に無視された結果ではないかと思いますし、有馬稲子の性格の悪さがそのまま映像に染みついてしまったのかもしれません。そしてたぶん間違いないのは、ほとんどすべての決定権を握ってしまった宮島義勇が撮影監督にとどまらず、本作の監督のような仕事に口出ししたために、きれいな絵は描けたけどそこには何の魂も吹き込まれなかったというような作品になってしまったことでした。田中絹代が本作以降二度とメガホンを取らなかったというのは、日本映画界にとって大きな損失だったと思われ、心底残念でなりません。(U083023)

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