ミュージカル映画の作曲家、コール・ポーターの半生を描いた伝記映画
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マイケル・カーティス監督の『夜も昼も』です。この映画はたくさんのミュージカルで作詞・作曲を担当し、数多くのスタンダード・ナンバーを世に送り出したコール・ポーターの伝記映画。イェール大学でフットボールチームの応援歌「ブルドッグ」が披露されるところから、両足に大怪我をしたのちに離れて暮らしていた妻リンダと再会するまでの、コール・ポーターの半生が描かれます。音楽家の伝記ものとしては『グレン・ミラー物語』や『愛情物語』と同じ系列の作品で、本作も「コール・ポーター物語」という邦題のほうがわかりやすかったかもしれません。
【ご覧になる前に】あれもこれもぜんぶスタンダード・ナンバーの名曲揃い
イェール大学に通うコール・ポーターは、家族からは法律家になることを期待されていますが、本人は音楽の道を選び、音楽好きの教授モンティといっしょにニューヨークへ旅立ちます。舞台音楽家として徐々に認められたコールは、ついにブロードウェイでの初公演を実現させますが、不幸なことに公演初日にアメリカの客船が撃沈される事件が勃発。ショーは中止され、コールも従軍することになります…。
コール・ポーターは1891年生まれ。インディアナ州の中でも指折りの富豪一家の跡取りとして、イェール大学卒業後はハーバード大学に進み法曹界に入ることを期待されていました。結果的には音楽の道を選んだことで、世の中に多くの名曲が残ることになったのです。「夜も昼も」はコール・ポーターの一番最初のヒット曲で、本作では途中でパーツパーツは示されながらも、曲全体が流れるのはラストまで待たなくてはなりません。しかしコール・ポーターの代表曲は「夜も昼も」だけではありません。「えー!これもコール・ポーターだったの?」というくらいに誰もが知っているおなじみのスタンダード・ナンバーが次々に歌われて、本作を見るとジャズ・ヴォーカルの名曲集をまるごと聴くのと同じ体験ができます。
主演のケーリー・グラントはこのとき四十二歳。イェール大学の学生を演ずるには無理があるように見えますが、歳をとってからの後半になるといつものロマンスグレーのジェントルマンといった雰囲気になってきます。妻リンダ役はアレクシス・スミスという女優で、ハリウッドではあまりパっとしませんでしたが、1970年代には舞台で活躍してトニー賞を受賞しています。監督のマイケル・カーティスはハンガリー出身でドイツやオーストリアで映画監督の経験を積んだのちにアメリカに移住した人。監督作品としては『カサブランカ』が最も有名です。それよりも注目はこの映画の製作者アーサー・シュワルツです。アーサー・シュワルツはプロデューサーというよりも作曲家としてのほうが有名で、MGMミュージカルの傑作『バンドワゴン』で出てくる「ザッツ・エンタテインメント」や「バイ・マイセルフ」を作った人です。面白いことにアーサー・シュワルツもロースクールを出て法律家として働いていたところ、ブロードウェイのショーに作品を提供したことをきっかけに自分の法律事務所をたたんで、音楽家の道に入りました。自分と同じような出自をもったコール・ポーターだったからこそ、自らプロデューサーとしてその伝記映画を作ったのかもしれません。
【ご覧になった後で】ジャズが好きな人ほど楽しめる映画かもしれません
いかがでしたか?コール・ポーターは作曲家としてだけでなく、自ら作詞もするソングライターでした。なのでタイトルにもなっている「夜も昼も」のヴァースが、どんな場面でどのように着想されたかが細かく描かれていて(古めかしい時計がチクタク鳴っているとかのあの場面です)、ジャズが好きな人にはトリビアっぽく楽しめたのではないでしょうか。また、ブロードウェイに進出しようという頃に興行資金を出す投資家たちから「歌が頭には入ってくるけど、心に響かない」とか「難しくて大衆受けしない」とか批判されるあたりも、法律を学んだコール・ポーターのやや堅物的なところを指摘しているようで、大変に興味深かったと思います。
コール・ポーターのブロードウェイデビュー作「See America First」が幕を開けたその初日にアメリカを揺るがす事件が起きて、ショーがそのまま中止される様子が描かれていました。これは「ルシタニア号事件」と呼ばれていて、1915年ドイツ軍の潜水艦U-20が、イギリス船籍で当時最大の旅客船ルシタニア号を雷撃して沈没させた事件です。乗客千人以上が犠牲となり、その中にはアメリカ人も百人以上いて、第一次世界大戦とは距離をとって孤立主義を貫いていたアメリカでしたが、この事件をきっかけにアメリカ国内では参戦の機運が高まり、1917年に正式にドイツに宣戦布告。アメリカ兵たちがヨーロッパに送り込まれることになりました。この話はここまでなのですが、1918年に大流行した「スペイン風邪」は、アメリカカンザス州の陸軍基地で最初に感染拡大が発生して、そのウィルスをアメリカ兵がヨーロッパに持ち込んだ結果、感染爆発が起きたと言われています。その意味においても「ルシタニア号事件」は、世界史レベルの大事件だったと言えるでしょう。
マイケル・カーティスの演出は特に見るべきものもなく、しかも1940年代のハリウッドの流行りだったのでしょうか、イェール大学のフットボールチームの活躍をオーバーラップをつないで表現するところなどはありきたりな映像表現で、センスがあるとは思えない演出でした(最後にブルドッグが横倒しになるのは笑っちゃいますけど)。本作はワーナー・ブラザーズが製作していますが、コロンビア映画所属だったケーリー・グラントを主演させるのには、かなりの金額が必要だったそうです。しかしケーリー・グラントは本作の脚本が気に入らず、手直しを要求してマイケル・カーティスを困らせたとか。まあ実際にこの内容で2時間はちょっと長過ぎますし、コールとリンダのすれ違う気持ちがあまり描けていないので、ケーリー・グラントの文句ももっともだとは思いますけど。
余計なことですが、コール・ポーターは今で言うLGBTのゲイで、妻リンダとの結婚はコール・ポーターの才能を世に広めたいというリンダのパトロン的な求愛によって成り立っていたそうです。「夜も昼も」は「陽気な離婚」という舞台の主題歌でしたが、舞台の原題は「The Gay Divorce」。「ゲイ」という言葉をわざと入れて、自分自身にひっかけていたのかもしれません。また、その方面の関係ではなかったのでしょうが、映画『夜も昼も』では、モンティ・ウーリーがコール・ポーターのことを恩師あるいは親友の立場から見守り続ける設定となっています。実はこのモンティ・ウーリーは本人その人が演じていて、「The Beard」のあだ名の通り立派な白い髭も本物。ケーリー・グラントとはずいぶんと歳が離れているように見えますけれども、実際はモンティとコール・ポーターはわずか三歳差でした。実生活では本当に兄弟のような親友同士だったのかもしれません。(A103021)
コメント