オリエント急行殺人事件(1974年)

アガサ・クリスティの原作が贅沢なオールスターキャストで映画化されました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、シドニー・ルメット監督の『オリエント急行殺人事件』です。ミステリーの女王とも言われたアガサ・クリスティの小説「Murder on the Orient Express」は1934年に発表されて以来、クリスティの代表作として愛読された作品で、アガサ・クリスティのファンによる人気投票では必ず上位にランクされ続けています。製作はイギリスのEMIフィルムズで、大手レコード会社のEMIが映画産業に進出するために設立した映画スタジオ。パラマウント・ピクチャーズによって配給された本作は、1974年の世界興行収入ランキングで14位に入る大ヒットを記録したのでした。

【ご覧になる前に】オールスターの起用は乗客を印象付けるために必要でした

新聞各紙がアームストロング家で起きた幼児誘拐殺人事件を大々的に報道した5年後、バグダッドで船に乗り込んだのは名探偵アルキュール・ポワロ。イスタンブールに着いたポワロはロンドンに行くためカレー駅行きオリエント急行のチケットを確保しようとしますが、12月のシーズンオフなのにすでに満席で、鉄道会社重役で友人のビアンキに融通してもらい、なんとか乗車することができました。寝台特急にはアメリカ人投資家のラチェットをはじめさまざまな国の乗客が乗り合わせていて、食堂車で会話を交わしていましたが、三日目の朝になって死体となって発見されたラチェットの身体にはナイフによる十二か所の刺し傷があったのでした…。

アガサ・クリスティが「オリエント急行の殺人」を発表したのは1934年で、その年はハウプトマンというひとりの男が逮捕された年でした。容疑は2年前の1932年に起きたチャールズ・リンドバーグのまだ2歳にもならない長男を誘拐し身代金を奪ったうえ殺した疑いで、番号を控えられた紙幣をハウプトマンが使用したことがきっかけになって逮捕されたのでした。クリスティはこの事件に関心を寄せ、同時に数年前に乗ったオリエント急行が悪天候で立ち往生してしまった経験をからめて、斬新な発想の殺人ミステリーを構想し、長編小説として発表しました。

しかしクリスティは過去に自作が映画化された作品の出来栄えに不満を持っていて、本作の映画化はなかなか実現することがありませんでした。そんなときローレンス・オリヴィエ主演の『オセロ』やフランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』でシェイクスピア劇の映画化を成功させていたジョン・ブラボーンがアガサ・クリスティを説得して映画化の許可を得て、相棒のリチャード・グッドウィンとともにプロデュースして本作を成功に導きました。二人のプロデューサーの仕事はクリスティからの信頼を勝ち取り、1978年にはクリスティの小説「ナイルに死す」を映画化した『ナイル殺人事件』を製作することになりました。

本作が公開された1974年といえば、ベトナム戦争の影響からシリアスで暗い作風のニューシネマが支配的だったハリウッドがやっと明るい娯楽作品に舵を切り始めた時期で、オールスターキャストによるパニック映画が人気を集めて世界的大ヒットを飛ばしていました。この年の世界興行ナンバーワンはスティーヴ・マックイーンとポール・ニューマンが共演した『タワーリング・インフェルノ』で、往年の名スターを再起用したり若手の注目女優を登場させたりして、その豪華なキャスティングが話題を呼んでいたのです。そのトレンドを考えるとこの『オリエント急行殺人事件』もイギリス版オールスターキャスト作品だと思ってしまうところですが、監督のシドニー・ルメットによると本作においては十二人の乗客すべてを観客にしっかりと認識してもらう必要があるので、そのためには乗客一人ひとりを誰もが知っている有名俳優に演じさせることが一番効果的な手法だったということでした。

オールスターキャストを組むときには、その時期で最も人気があって他のスターたちが共演したいと思うような中核的スターをまず獲得することが重要なんだそうですが、本作のコアとなるスターはショーン・コネリーでした。007シリーズを卒業したショーン・コネリーは確かにイギリス出身者の中では最も世界的に成功した男優でしたし、様々な作品に出演して俳優としての幅を広げようという時期でしたので、映画の中軸となるには一番ホットなキャスティングだったのでしょう。シドニー・ルメットは1965年の『丘』でショーン・コネリーと一緒に仕事をしていたことがあり、出演交渉はスムーズに進み、ショーン・コネリーがOKしてくれたことで結果的にこれだけ豪華な俳優陣が勢ぞろいすることになったのです。

脚色を担当したポール・デーンは『007ゴールドフィンガー』の共同脚本家のひとりで、その後には「猿の惑星」シリーズのオリジナル脚本を書いたりしています。音楽のリチャード・ロドニー・ベネットは王立音楽アカデミーで学んだ作曲家で多くの協奏曲やオペラ作品を作った人。本人は映画音楽は本業とは思っていなかったそうで、『遥か群衆を離れて』や本作の後では『フォー・ウェディング』などの映画に楽曲を提供しています。イギリス映画界における武満徹や黛敏郎的な存在だったのかもしれません。

【ご覧になった後で】密室劇なのに明るい開放感のある雰囲気の映画でした

いかがでしたか?プロローグのアームストロング家幼女誘拐殺人事件の顛末をドキュメンタリー風に見せる処理は非常に興味深い入り方で、映画的世界に引き込まれますし、次々に登場人物が現れてオリエント急行に乗り込む序盤は豪華キャストの顔ぶれを確認するだけで嬉しくなるようなゴージャスさがありました。しかしながら列車が出発するとその後はずっとほとんど車内のシーンだけで話が進行していきますので、このような密室劇だと息が詰まるような圧迫感が付きものであるところ、本作はそんな閉塞感がありません。大量の積雪で線路が塞がれている状況からすれば息苦しくなるような雰囲気が助長されそうなものですが、本作はなんだか妙な明るさに満ちています。ここらへんが本作の魅力なのであって、密室劇なのに明るい開放感が支配的なのです。

なんでかなと考えると、それは客室の撮り方にあるのではないでしょうか。まず客室セットが狭苦しい感じがしないくらいの余裕のある引き目のショットを多用していますし、窓が大きくしかも外の雪景色がまぶしいくらいの光量を送り込んでくるので画面全体が白く滲むくらいの明度を持っているんですよね。そして極め付きはアルバート・フィニーの演技でしょう。ポワロは嫌味なキャラクターという設定だそうですが、その嫌味が陰湿ではなくなんだかおかしみがあって喜劇的なのです。加えて当時三十七歳というアルバート・フィニーの若さが無理に老けたメイクアップの内側から溢れてくるようなエネルギーを発散していて、そこから活力が見えてくるようなのです。殺人事件でもあり密室でもあり事件は夜に起きるのですが、本作に明るさが溢れているのはそんなことが要因なのではないかと思います。

その明るさを底支えするのはリチャード・ロドニー・ベネットの音楽で、この主題曲のきらびやかさというか豪奢な感じには思わずワクワクしてしまいますねえ。タイトルバックからしてちょっとノスタルジックな雰囲気に誘い込まれますけど、本編で奏でられる主題曲のモチーフは映画全体をさらに明朗なものにシフトさせます。ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』の音楽を担当したバーナード・ハーマンは本作を見たとき「この映画の主題曲は短調でなければならない」と指摘したそうですが、そうでしょうかね。イスタンブール駅からオリエント急行が出発するときに長調のメロディが高鳴るところなんかは本当に気分が盛り上がってきて、いかにも寝台特急の旅が始まる昂揚感に溢れています。バーナード・ハーマンの感想は横に置いておいて、アカデミー賞作曲賞にノミネートされたリチャード・ロドニー・ベネットに拍手を送りたいと思います。

そして圧巻なのはフィナーレで乾杯する十二人の乗客たち。ここは舞台のカーテンコール的な演出をしたいという意図で挿入されたショットだそうですが、ローレン・バコールとジャクリーン・ビセットに向ってシャンパンで乾杯する豪華俳優たちの最後の演技が正面からのバストショットで存分に楽しめました。イングリッド・バーグマンの神経質そうな感じやヴァネッサ・レッドグレイヴのチャーミングさも良いですし、アンソニー・パーキンスが『サイコ』のノーマン・ベイツそのままだったり、車掌役のジャン・ピエール・カッセルの感受性豊かそうなキャラも印象的でした。このフィナーレと雪原の中を走り出すオリエント急行のショットで映画が幕となる流れは、本当にこの映画の明朗な豪奢さを象徴していたような気がします。

蛇足ですがマーティン・バルサムが乗客を訊問するたびに「あいつが犯人だ」と断定したりするのとリチャード・ロドニー・ベネットの主題曲の旋律は、本作の二年後に製作された市川崑の『犬神家の一族』に影響を与えたのではないでしょうか。殺人ミステリーであるというのも映画のもつ雰囲気もなんだか似ています。まあ全くの見当違いかもしれませんけど、本作がその後のオールスターキャスト映画のある種のプロトタイプになったのは間違いないところだと思います。(V103122)

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