紅の翼(昭和33年)

裕次郎がセスナ機の操縦士を演じるアクション+ヒューマンドラマ

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、中平康監督の『紅の翼』です。石原慎太郎の小説を映画化した『太陽の季節』でデビューすると、すぐに『狂った果実』で主役を演じた石原裕次郎。それから二年少ししか経っていないときの主演作が『紅の翼』ですが、その間に二十本以上の作品に出演する売れっ子ぶりでした。裕次郎を発掘したのが水の江瀧子。戦前、松竹歌劇団で「男装の麗人」と謳われたターキーは、戦後日活で映画のプロデューサーとして大いに活躍した、先駆的なキャリアウーマンです。監督の中平康もまだ早いと言われたのをターキーが監督に昇格させたらしいです。

【ご覧になる前に】中平康のモダンな脚本と演出が楽しめる娯楽作です

都心の遊覧飛行を終えて羽田空港に帰ってきた石田操縦士は、八丈島へ破傷風の血清を大至急届ける仕事を引き受けます。しかし折り悪く双発プロペラ機はすべて出払っていて、小型のセスナ機で運搬することに。そのセスナ機をチャーターしていた男と、血清運搬を記事にしようとする女性記者とともに三人で出発した石田ですが、男は殺人事件の犯人で、八丈島経由で香港脱出を図ろうとしていました…。

裕次郎がカッコいいのはもちろんですが、この映画は中平康のモダンな演出に注目です。まずオープニング。手持ちキャメラの主観ショットがビルのフロアに降り立つと、受付を通り過ぎてそのまま社長室へ。この長回しで中平康が只者ではないことがわかりますね。脚本はほかの一名との共同で書いていますが、セスナ機が飛ぶまでの状況を歯切れよくテンポよく描いていきます。脚本家の橋本忍は監督の黒澤明から「良いホンの条件はあらすじをひとつの文で言えること」というような教えを受けたらしいのですが、この『紅の翼』も「操縦士が殺人犯人と女性記者とともに八丈島へ血清を届けにいく話」と簡単にまとめることができます。

天候が悪化したことと犯人が無線機を壊したことで、セスナ機は羽田の管制塔と連絡がとれなくなります。操縦士と女性記者の家族が空港に駆けつけるのですが、家族の心情に寄り添わない航空会社の事務的な態度が家族感情を逆撫でします。のちの航空事故ドラマを先取りするような場面演出で、セスナ機と空港のカットバックを盛り上げています。

【ご覧になった後で】中原早苗が鬱陶しくてどうなることかと心配しました

一番印象的だったのは、羽田空港で取材をしていた女性記者役中原早苗の鬱陶しさ。取材する横で八丈島に破傷風の子どもの患者がいることを聞きつけ、勝手に電話をして病院から空港まで血清を運ばせてしまう。なぜ一介の雑誌記者が医療従事者に電話ひとつであれこれ指示できるのでしょうか。加えてそのぞんざいな態度と言動。そのうえ上司命令に背いてセスナ機に勝手に乗り込んでしまう。中原早苗が悪いわけではないですが、この映画を見ると一気に中原早苗はもう勘弁と言う気になってしまうような最悪のキャラクターでした。それでも後半はまだマシになるんですけど…。

脇に出てくる俳優がすごいですね。航空会社の幹部が、清水将夫と芦田伸介。事務方が西村晃。最初に殺される社長が安部徹。女性記者の父親が滝沢修。島の村長が下條正巳。本当にビッグネームまたは後の大物俳優ばかりです。そしていつも通り、デート相手のチャラ男を岡田真澄がやっています。これしかないのかあなたはって感じの適役でしたね。

空中でのセスナ機の撮影は、当時としてはかなり危険が伴うはずで、このような航空映画も少なく、その点でもめずらしいアクション映画になっています。同時に基本線は、島で血清を待っている少年を助けたいという人道的動機。村の人たちが総出で心配するのも温かな気持ちにさせられますが、映画が人命救助をいちばんのテーマとしたヒューマンドラマであることが、当時の映画界のある種の清廉さを表しているのかもしれません。(A091221)

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