昭和20年神風特別攻撃隊の飛行士たちの出撃直前の数日間を描いた群像劇です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、家城巳代治監督の『雲ながるる果てに』です。原作は昭和27年に発行された「雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記」という遺稿集で、戦死した海軍予備学生たちの遺書や遺詠、遺文が集められていました。それを独立系製作プロダクションの重宗プロと新世紀映画が共同製作し、松竹と北星映画の配給で公開されました。主演の鶴田浩二にとっては松竹を代表するトップスターだった時期で、三代目山口組の組員に襲撃された「鶴田浩二襲撃事件」直後の出演作にあたります。
【ご覧になる前に】円谷特殊技術研究所が航空機の特撮場面を担当しています
鹿屋の海軍航空基地で飛行専修予備学生たちが出撃前に休憩していると、突然米軍の空襲を受け、立小便をしていた秋田中尉が死亡し深見中尉も腕に重傷を負います。第一飛行隊長の村山大尉は明朝30機で特攻を敢行することを告げ、大瀧中尉は仲間たちと浴びるほど酒を飲み、松井中尉は町のなじみの芸妓に会いに出かけます。ところが翌日からは大雨続きで、特攻機の出発は一日一日と繰り延べされ、その大雨の中を秋田中尉の妻が幼子を見せようと基地を訪問してきたのでしたが…。
「雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記」は、主に第13期海軍飛行予備学生のうち三重と土浦の海軍航空隊に入隊して、特攻機に乗って戦死した若者たちの遺稿集でした。飛行予備学生とは昭和9年に発足した海軍航空予備学生を昭和17年に一般兵科に拡大したもので、大学・高専在学中の志願者から採用し、実務教育を施した後に予備士官に任用されました。本作の登場人物のほとんどが中尉の階級にあるのは、そのためで実務教育期間中に下士官たちから猛烈ないじめを受ける姿も描かれています。
その遺稿集を脚色したのは、八木保太郎、直居欽哉と監督を担うことになる家城巳代治の三人でした。八木保太郎は日活多摩川撮影所時代からのベテランで、昭和25年に映画化された『きけ、わだつみの声』の構成を担当していましたが、直居欽哉は本作が初脚本作品で、東映に移って『人生劇場 飛車角』のシナリオを書くことになる人です。
監督の家城巳代治は、太平洋戦争開戦前年の昭和15年に松竹に入社し渋谷実に師事しました。渋谷実が監督する予定だった『激流』で、召集された渋谷に代わって監督を務め、デビューを果たします。戦後は美空ひばり主演の『悲しき口笛』などでメガホンを取りますが、松竹労働組合の委員長として経営側と対峙する立場にあったことから、GHQによるレッドパージにあって松竹を退社。以後は独立プロダクションに活躍の場を移し、本作は松竹を去ってから初めての監督作品となります。昭和33年の『裸の太陽』以降はメジャーの東映で映画を撮れるようになって東映版の『路傍の石』を発表したりしますが、これといった代表作には恵まれずに埋もれてしまった映画監督かもしれません。
主演の鶴田浩二は昭和20年代後半にはブロマイド売上No.1になるなど甘いマスクで映画界のトップスターの地位にありました。人気絶頂の昭和27年に俳優の独立プロダクションとして新生プロを立ち上げ、昭和28年には新東宝と新生プロが共同製作した『ハワイの夜』を大ヒットさせています。『ハワイの夜』で共演した岸恵子とは恋愛関係に落ち、岸恵子を売り出そうとしていた松竹がその関係を許さなかったために、鶴田浩二は自殺未遂事件を起こしました。岸恵子は『ハワイの夜』公開の半年後に『君の名は』に主演して大スターの道を歩みますので、当時としては仕方なかったのかもしれません。鶴田浩二は関西大学専門部に在学していた十九歳のときに学徒出陣で徴兵され、終戦まで海軍航空隊に所属していたので、本作の主演は鶴田浩二にとっては適役だったことでしょう。
また特攻を扱っているために当然ながら飛行機や飛行シーンが出てきまして、その特撮を担当したのが円谷特殊技術研究所でした。円谷英二といえば、東宝とイコールなわけですが、戦時中に『ハワイ・マレー沖海戦』などで戦闘シーンの特撮技術を向上させた円谷英二は、戦後のレッドパージで公職追放の対象となり、争議で荒れていた東宝を退職することになりました。フリーになった円谷英二が祖師谷の自宅にプレハブ小屋を建ててスタートさせたのが円谷特殊技術研究所で、大映や新東宝、松竹の作品の特撮パートを引き受けるようになり、本作の特撮ショットも、その時期の円谷特殊技術研究所の仕事なのでした。
【ご覧になった後で】声高な反戦映画ではなくリアルな青春を描いていました
いかがでしたか?昭和28年というとGHQによる占領が終結した翌年ですし、今井正監督が『ひめゆりの塔』を東映で公開した年ですから、日本映画界においては戦争を真正面からとらえた作品の製作が許されるようになった時期でした。本作と同じ6月には新東宝で阿部豊監督の『戦艦大和』が映画館にかかっていますし、10月には日教組プロが『ひろしま』を作って自主公開をしています。それを考えると、本作は戦争反対の立場から特攻隊の存在を声高に否定するような内容ではないかと邪推してしまうのですが、見てみると驚いたことに特攻隊として必ず死ななければならない飛行士たちが特攻に飛び立つまでの数日間が実にリアルにしかもリリカルに描かれていました。戦争映画であると同時に青春映画でもあり、若者たちの群像劇になっているところが本作の魅力だと思います。
遺稿集をもとに脚色されたということですが、いよいよ明日突撃だと下命されたものの悪天候でそれが一日また一日と繰り延べされていく設定は、首を長く緩く絞められているような沈鬱な圧迫感があって、本作に独特な緊張感をもたらします。その中で飛行士たちはそれぞれのスタンスで死んでいく自分の運命を受け入れていくわけですし、戦友の死を残された妻に告げなければならない哀しみも味わうことになります。そして国家のために天皇陛下から預かった命を捧げるだけだと言っていた鶴田浩二演じる大瀧中尉は、突然の出撃命令のために両親と従妹との邂逅を果たせず、森の中で身もだえします。その誰にも漏らすことのできない苦悩が、リアルに当時の予備学生たちの心情を表していました。
木村功演じる深見中尉はその姿を見て、片腕の負傷を言い訳にしてもしかしたら生き延びられるかもしれないという希望を捨てて、仲間と一緒に突撃して死ぬ道を選びます。この木村功のキャラクターが本作の見せ所でもあり、同時に弱点にもなっていました。深見中尉には山岡久乃(本作のクレジットは「比佐乃」)と恋仲になっており、死よりも恋を選びたいところですが、それが許されないのが軍隊であり、当時の世相だったんでしょう。しかし仲間の「お前は残れ」という言葉に嘘はなく、自分たちがどんな気持ちで特攻に飛び立ったかの生き証人になってほしいという思いを持っていたはずです。逆に生き残ることが木村功に課せられた運命だったかもしれないのに、それを鶴田浩二のもがく姿を見ただけで翻して、同調圧力に埋もれる道を選んでしまう展開は、ちょっと鼻白んでしまいました。
というのも鶴田浩二が唯一本心を明かすのは森の中で独りでいるからだったわけで、誰かに見られていたら鶴田浩二は自らの姿を醜態だと恥じたことでしょう。だからあの姿は仲間であろうと覗き見てはいけないものだったはずです。それを木村功は本人の知らないところで本人の知られたくない気持ちを盗み見るという、友人としての裏切り行為のようなことをやってしまっているのです。この展開はリリカルな本作の出来栄えに汚点を残すような薄気味悪さを加えてしまいました。結果的に、深見中尉の特攻だけは観客に何の感興も催さずに「バカじゃないの?」という気分だけ残すことになりました。
家城巳代治の演出はたまに妙なクローズアップを使うところに違和感があり、本作であればそのようなショットはすべて排除して、引き目の構図で客観視する視点を貫いてほしかったと思います。一方で芥川也寸志の音楽は、特攻していく予備学生たちの心情に寄り添った哀し気な旋律が印象的で、まさに散華する若者たちにふさわしいものでした。クライマックスの特攻場面はアメリカから提供された記録映像をそのまま使っているために、映画的ドラマが寸断されてしまったような感じで残念でしたが、最後に字幕で映される大瀧中尉の手紙の「きわめて健康」の文字が、特攻隊で散った若者の無念さを象徴していて、気持ちに突き刺さるようなエンディングでした。(U091424)
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