恋も忘れて(昭和12年)

清水宏監督が『風の中の子供』と同じ年に桑野通子主演で撮った作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、清水宏監督の『恋も忘れて』です。清水宏監督は前年に『有りがたうさん』、本作を公開した年末には『風の中の子供』を製作していて、自然の中でのロケーション撮影を行った二作と比べると、この『恋も忘れて』は松竹蒲田時代のサイレント作品『港の日本娘』に近いテイストに仕上がっています。主人公を演じるのは桑野通子で、スラリとした肢体とスッキリした美貌がひときわ印象深く、桑野通子の魅力も相まって昭和12年の映画とは思えないほど都会的な感覚を味わうことができます。

【ご覧になる前に】爆弾小僧は『風の中の子供』で次男坊を演じた子役です

港町の船員相手のバーに勤めるお雪は息子春雄を育てながら女給として働いていて、女給たちの待遇改善をマダムに訴えますが取り合ってもらえません。春雄はお雪が夜まで帰ってこないので近所の子供たちを家に案内して母親の香水を振りかけて遊んでいたところ、翌日には子供たちから女給の息子と遊んではいけないと仲間外れにされてしまいます。女給の中には神戸へ足抜けしようとする者も現れ、マダムは用心棒を雇い、女給たちに見張りをつけるようになりました。お雪を見張る用心棒の男は春雄から母親の自慢を聞かされて、それをきっかけにお雪と親しくなるのでした…。

清水宏監督は『風の中の子供』など子供を主人公にした映画を得意としていて、本作でもお雪の息子春雄が重要な役割を担っています。演じている爆弾小僧は『風の中の子供』の次男三平を演じて、おじさんの田舎に引き取られて木に登ったり川を盥で下ったりしたあの腕白坊主をやった子役。爆弾小僧という芸名はそもそも清水宏監督の『若旦那 春爛漫』で演じた役名をそのまま名乗ったもので、本作製作の前年には小津安二郎監督の『一人息子』にも出演しています。

その爆弾小僧をいじめるガキ大将役が突貫小僧で、五歳年上の突貫小僧は小津映画の常連でした。しかし子役を演じるには大きくなり過ぎてしまったため、本作や『風の中の子供』は突貫小僧にとっては子役時代末期の出演作です。太平洋戦争で召集されて帰還した後は本名の青木富夫を名乗って松竹の大部屋俳優をやっていましたが、映画製作を再開した日活に移籍してからはバイプレイヤーとして活躍を続けることになりました。

桑野通子は本作出演時に二十二歳とまさに美しさ絶頂の時期。もとは森永製菓のキャンペーンガールをやっていて、ダンスホールで働いていたときに松竹にスカウトされたそうです。身長などの記録は残っていないようですが、スレンダーなスタイルは現在的にいえばトップモデルとして活躍しても不思議ではないくらいでした。小津や島津保次郎、吉村公三郎など松竹の幹部監督たちの作品に次々に出演して将来を嘱望された女優でしたが、昭和21年に三十一歳で急病で倒れそのまま亡くなってしまいました。日本映画には珍しいクールビューティタイプでしたので、本当に惜しい女優を失ったと思います。

脚本を書いた斎藤良輔は蒲田時代からの松竹の脚本家で、昭和30年代半ばまでに130作以上のシナリオを書いた松竹の主筆のひとり。『風の中の子供』も斎藤良輔が書いていましたし、『風の中の牝鶏』は小津安二郎との共同脚本でした。また録音を担当した土橋武夫は土橋式トーキーの発明者で、本作でもタイトルに「土橋式松竹フォーン」とクレジットされています。

【ご覧になった後で】スタイリッシュな作風なのにまさかの展開が意外でした

いかがでしたか?昭和12年という年に外国映画のようなスタイリッシュな映画が製作されていたことに驚いてしまいますね。本作が映画館で上映されていた昭和12年7月、北京郊外で盧溝橋事件が勃発し、ここから日中戦争が始まって12月には日本軍が南京を占領することになっていきます。そんな中でも国内はまだ戦争のきな臭さは伝わっておらず、外国映画もさかんに上映されていましたし、日本映画では松竹の長谷川一夫が東宝に電撃移籍した事件が世間の耳目を集めていました。なので昭和12年の日本はまだまだ普通に映画館で映画が見られる普通の暮らしが営まれていた時期だったんですね。

本作のスタイリッシュさの中では、まずスタジオセットが見事でした。お雪のアパートは洋風建築で外についている階段からは小径を見通せるように作られています。ここにスモークを炊けば霧深いムーディな夜の場面ができあがる仕掛けです。またホテルのバーもダンスができるホールを広く取ったレイアウトになっていて、桑野通子が白いドレープのついた黒のドレスで踊るショットが大変に引き立つことになりました。

清水宏の演出は本作では移動ショットを極力控えて、ストーリーが大きく転換するところで効果的に横や縦の移動ショットを入れていました。そのほかはフルサイズで人物をとらえたフィックスショットで押していって、比較的長めのショットで俳優の演技をしっかりと見せていきます。シークエンスの終わりは必ずフェードアウトを使っていて、映画がいくつかのパートに分かれていてそのエピソードの区切りをフェードアウトで伝えるようにしていました。

しかしながら本作の一番のショックは映画の主要登場人物である春雄が死んでしまうことでした。母親を愛していながら母親の職業のために学校の友人たちからイジメに合い、肺炎を患っているのにガキ大将をやり返しにいきます。本当ならここで止めておくべきなのですが、本作のシナリオは春雄の勇気ある行動で春雄を死なせてしまうんですよね。これは大きな選択ミスじゃないでしょうか。子供を死なせるのは物語づくりにおける禁じ手で、というのは一番簡単に観客を泣かせることができる安易な手法なのです。しかも本作の設定だと「そんな奴やっつけちゃえ」と励ましたつもりの佐野周二が自分の言葉に責任を負うことになりますし、イジメの中心人物だった突貫小僧が悪者になってしまいます。桑野通子が長々と子供のためにいかに自分ががんばってきたかを泣きながら話すクドキのシーンも観客には事情がわかっているわけなので興覚めに感じてしまいますよね。スタイルが確立された作品だけに、終盤のストーリーラインが強引過ぎたのが残念でした。

ところで土橋式トーキー導入時はフィルム自体に音をシンクロさせて同時録音する方式だったようです。桑野通子と佐野周二のアパートの中での会話はすごく臨場感があって、椅子を引く音や床が軋む音がリアルに入っています。松竹の映画はアフレコ方式のようなイメージがありますが、土橋式が確立された時代はアフレコのほうが技術的には難しかったようで、同時録音によるリアルなサウンドは注目点でした。また、イジメにあった春雄は中国人の子供たちを遊び相手にします。中国人のひとりを演じているのは葉山正雄で『風の中の子供』の兄のほうをやった子役ですが、この当時の映画に中国人という設定で子供を登場させたのはすごいことです。清水宏は『有りがたうさん』でも朝鮮人労働者の姿をあえて画面に出していますので、かなり先進的なコスモポリタンだったようですね。

それにしても桑野通子はちょっとほかにはない魅力のある女優ですよね。本作では部屋の中でスリップ一枚で映るショットがありますが、肩の綺麗なラインからスリップの生地がしなやかに流れていて、つまり身体のどの部分にも無駄が一切ないのです。痩せているというのではなく細身の美しさとでもいうのでしょうか。笑顔が少し哀愁を帯びているのも特徴的で、このようなニュアンスを出せる女優は桑野通子以外には見当たりません。その美貌をじっくり堪能できるのが本作の一番の見どころだったのかもしれません。(Y080322)

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