スター女優だったジョーン・クロフォードが五十歳直前で主演した西部劇です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』です。主演のジョーン・クロフォードは1930年代のMGMのスター女優で本作の撮影時は四十九歳になっていて、スタンリー・ヘイドンより十四歳年上でした。それでも堂々とした態度でジョニーギターを恋人にする女丈夫を演じて、マーセデス・マッケンブリッジとの女同士の戦いが話題を呼びました。フランスで公開されると「カイエ・デュ・シネマ」誌の評論家たちが大絶賛して、ジャン・リュック・ゴダールは映画監督になると本作を引用するほど熱狂したそうです。
【ご覧になる前に】メジャースタジオではないプロダクションで作られました
鉄道工事のためダイナマイトで山を崩している中をギターを背負った男が馬に乗って町を目指しています。駅馬車が襲われるところを目撃した男が酒場に入ると、女主人ヴィエンナに呼ばれたジョニーギターだと名乗ります。ヴィエンナは酒場の土地を鉄道会社に売る計画を立てていますが、そこへ駅馬車襲撃で兄が殺されたといって妹エマと保安官たちが押し入ってきました。エマは町に鉄道が通ることに反対していて、駅馬車を襲った四人組とヴィエンナが通じていると主張します。そこへやって来たのが金鉱掘りをしているダンシングキッドと三人の仲間。ヴィエンナと深い関係にあるキッドは町の厄介者でしたが、実はエマはキッドに思いを寄せていてヴィエンナのことを恋敵のように感じていたのです…。
巻頭に出てくる鷲のイラストは、リパブリック・ピクチャーズのロゴマーク。リパブリック・ピクチャーズはハーバード・J・イエーツという人物が立ち上げた独立系映画製作会社で、低予算のB級西部劇などを専門に作っていました。ほとんど白黒映画しか作れなかったリパブリック・ピクチャーズがテクニカラーで撮ったのがジョン・フォード監督の『静かなる男』でしたが、同じカラー作品でもこの『大砂塵』はテクニカラーよりも低コストのトゥルーカラーが用いられています。
ジョーン・クロフォードはMGMではグレタ・ガルボなどの大スターが共演する『グランド・ホテル』にも出演していまして、移籍したワーナーブラザーズで出演した『ミルドレッド・ピアース』で1945年度のアカデミー賞主演女優賞を獲得しキャリアのピークを迎えます。そんなワーナーブラザーズから契約を解除されたクロフォードは五十歳を目前にしてリパブリック・ピクチャーズ製作の本作に出演することになりました。撮影現場では、クロフォードは自らが気に入った照明マンによる室内撮影でしかクローズアップショットを撮らせなかったらしく、屋外のロケーション撮影においてはクロフォードはミディアムショット以上にキャメラを近寄らせることはありませんでした。
監督のニコラス・レイはジョニーギター役にロバート・ミッチャムを望んだらしいのですが、ミッチャムと契約中だったRKOが提示したギャラをリパブリック・ピクチャーズは支払うことができず、スターリング・ヘイドンに役が回ってきました。乗馬が得意ではなくギターを弾くこともできなかったスターリング・ヘイドンはこの役を演じることに乗り気ではなく、ジョーン・クロフォードとは互いに嫌い合う仲だったそうです。
脚本としてクレジットされているのはフィリップ・ヨーダンで、カーク・ダグラス主演の『探偵物語』などのシナリオを書いた人ですが、1950年代には赤狩りでハリウッドを追われた作家のために名義貸しを行っていた時期もあったそうで、本作もフィリップ・ヨーダン本人による作品なのかレッドパージに合った他の作家が書いたものなのか定かではないようです。同じ年に作られた『黒い絨毯』もフィリップ・ヨーダンの名義で、実はベン・マレーが書いているのですが、本作もそれと同じ組み合わせだったという説もあります。いずれにしても作家が自らの名前で映画製作に携わることのできない時代が、自由の国アメリカに存在していたということが、マッカーシズムの狂気を物語っているのかもしれません。
監督のニコラス・レイも左翼演劇出身ですが、入社したRKOを買収したハワード・ヒューズの政治力に守られてレッドパージを逃れることができました。本作に続いてジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』を撮り、1960年代に入ると『キング・オブ・キングス』『北京の55日』などの大作を任されますが、心臓病を発症して一線から退くことになったそうです。ニコラス・レイもジョーン・クロフォードとうまく行かなかったようで、どうにもこうにもスタッフもキャストも仲が悪い現場だったようですね。
【ご覧になった後で】町民がリンチ集団になる以外は上出来な群像劇でした
いかがでしたか?大昔にTVで見て以来の久しぶりの再見だったのですが、多くの登場人物をしっかりと描きこんだ群集劇として非常によく出来ていて、西部劇でこれだけのキャラクターがしっかりと印象に残る作品は珍しいのではないでしょうか。ざっと数えただけでもヴィエンナとジョニーギター、ダンシングキッドをはじめとする四人組、町民代表のエマと保安官と有力者マッキーバー、酒場のオールド・トムと10人のキャラクターがすぐに思い出せます。ひとりひとりがしっかりと彫り込まれていて、例えば四人組のひとりコーリーは鉱山採掘で肺を悪くしているけれどもキッドを信頼する本好きな奴、というようにキャラクタライズされています。これは脚本の出来が良いのと、ニコラス・レイの演出が細部に手が届いているので映像として表現されているためでしょうね。
中でも強烈な印象を残すのがエマを演じたマーセデス・マッケンブリッジ。ヒステリックにヴィエンナにライバル心を燃やして、すべての事象を自分の都合のいいように解釈するモーレツに攻撃的な女性として描かれています。1949年にロバート・ロッセン監督の『オール・ザ・キングスメン』に出演していきなりアカデミー賞助演女優賞をゲットした実力俳優で、本作の2年後には『ジャイアンツ』でエリザベス・テイラーの義姉役を演じてこれまた強烈な印象を残しています。極めつけは1973年の『エクソシスト』における悪魔の声でしょうか。この人のキャリアを辿るだけで、本作のエマが西部劇史上で最もアグレッシブに自己中心的な行動をとる女性に決定!と思ってしまいますね。
ジョーン・クロフォードを嫌っていた監督のニコラス・レイが逆にマーセデス・マッケンブリッジに肩入れしたため、ジョーン・クロフォードがもっと自分の出番を増やすように要求し始め、その結果女性同士が対決するクライマックスが用意されたんだとか。周りの町民たちも「もともとは女性同士の争いだったんだ」みたいに責任逃れのようなセリフを言うのが面白いところで、このエマという女性が事態を引っ搔き回した結果、自ら撃たれて死ぬ羽目になってしまうわけですから、西部劇で最もヒステリックで最も愚かなヒロインともいえるでしょう。
そんな扇動者エマに乗せられたとはいっても、大勢の町民たちが未成年のターキーを縛り首にするという展開はなんとも悲惨ですし許しがたいものがありました。ターキーはダンシングキッド一味の下っ端に過ぎず銀行強盗の現場でも見張りをしていただけです。さらにエマはターキーを放免すると騙してヴィエンナを陥れるのです。このようなリンチをする町民こそが罰せられるべき立場なのに、映画はこれらの町民の行動を問うことなく終幕を迎えてしまいます。せっかく上出来の群像劇になっているのにこれでは後味が悪いばかりで、アーネスト・ボーグナインが好演するバートは殺されても仕方ない立場ですが、町民を代表してエマが撃ち殺されるというだけでは観客は誰一人納得しないでしょうね。
その代わりなのかどうか知りませんけど、町民たちは全員エマの兄の葬儀に出席してそのまま追跡隊となるので、全員が喪服姿のままで行動します。これが白装束のKKK(クー・クラックス・クラン)のような狂気の集団のユニフォームのように見える仕掛けになっていて、ヴィエンナが白いドレスで現れるのと比較すると、どちらが善でどちらが悪なのかが一目でわかります。またジョーン・クロフォードの衣装は、最初は紺のシャツに水色のリボン、銀行では黒のシャツに赤いリボン、白いドレスの後は赤いシャツに着替えて、最後は黄色いシャツに赤いリボンと次々にカラーを変化させていきます。そういうのを含めて本作の色彩設計が、映画評論家たちによって「象徴主義の映画」と評される理由かもしれません。
まったくの蛇足になりますが、本作の主題歌は日本では「ジャニー・ギター」のタイトルで流布していました。「Johnny」の発音は米国式発音では「ジャニー」だと言われているものの、本作で聴く限りは「ジョニー」にしか聞こえません。ジャニーズ事務所の創設者ジャニー喜多川さんも本名は「John」でその愛称を事務所の名前にしていますが、もし「ジョニーズ事務所」だったらなんだか場末の探偵事務所のようにしか思えないので、実際の発音はともかくとして「ジャニー」の表記がなんとなくカッコイイ感じに見えるのは確かのようです。(V012823)
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