人生劇場 飛車角(昭和38年)

尾崎士郎「人生劇場残侠篇」が原作で東映やくざ路線の先鞭をつけた作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、沢島忠監督の『人生劇場 飛車角』です。尾崎士郎の小説「人生劇場」は昭和8年に発表されて以来、戦前には日活、戦後では東映と東宝で映画化されてきましたが、それらは瓢太郎を主人公とした青春映画でした。昭和30年代後半に看板番組の時代劇が不振に陥った東映では、東京撮影所長岡田茂が「残侠篇」に登場する侠客・飛車角を主人公にすることを思いつきます。義理と人情を重んじる任侠の世界を見事に映像化した本作は結果的に大ヒットを記録し、この年度の日本映画配給収入ベストテンで第六位にランクインしたのでした。

【ご覧になる前に】鶴田浩二・高倉健・佐久間良子にとっての分岐点的作品

大正の半頃、妻殺しの罪で刑務所に入った男は隣の房にいた飛車角から身の上話を聞かされます。深川の長屋に隠れていた飛車角とおとよの二人は小金一家の親分の計らいで駆け落ちしたのですが、丈徳組への出入りがあると聞いた飛車角は親分への義理を果たすため宮川らとともに殴り込みをかけて丈徳親分を刺し殺しました。逃走中吉良常という元侠客と知り合った飛車角は、おとよを小金親分の弟分奈良平に預けて自首し5年の刑期をつとめているところでした。おとよとの再会だけを望む飛車角の思いとは裏腹に、奈良平はおとよを女郎屋に売り払い、祭りの夜に小金を殺して、小金一家を解散に追い込むのですが…。

時代劇の二本立て興行で日本映画界を牽引してきた東映も、家庭にTVが普及し始めると次第に観客からの支持を失い、中村錦之助の「宮本武蔵シリーズ」と片岡千恵蔵が清水次郎長をやるオールスターものが辛うじてヒットを維持している状況でした。時代劇にとってかわる新ジャンルを模索していた東映では、東映京都撮影所から東京撮影所に実質的に左遷させられていた岡田茂所長が、片岡千恵蔵が主演するような従来型の時代劇ではなく、若い年代にも受け入れられるような共感性の高い映画として、明治から昭和初期の侠客にスポットを当てることを発案します。昭和30年代半ば以降に盛り上がった学生運動は反権力闘争でもあったことから、苦境に陥ったやくざが親分や仇敵に反旗を翻すという基本的プロットが新しい観客を引き付けるのではないかという勘が働き、同時に時代劇用セットがうまく使い回しできることも製作上のメリットでもあったといいます。

そこで岡田茂が目をつけたのが鶴田浩二と高倉健と佐久間良子でした。鶴田浩二は後にやくざ映画のプロデューサーとして活躍する俊藤浩滋の仲介で東宝から東映に移籍したもののB級ギャングものや時代劇の脇役くらいしか出演作がなく、スランプに陥っていた時期。本作で飛車角を演じた鶴田浩二はやくざ路線に乗って見事に主役の座に返り咲くようになります。また高倉健も東映東京撮影所の現代劇では主役を演じていたものの東映を代表する大作には出演機会もなく、プログラムピクチャー向け俳優の位置に甘んじていました。本作で鶴田浩二を引き立てる準主役の宮川を演じた高倉健は「日本侠客伝シリーズ」で主役を張ることになり、東映やくざ映画を象徴する大スターとなっていきます。さらに清純派女優として添え物的な出演が多かった佐久間良子は、本作で二人の男から愛されるおとよを熱演したおかげでひと皮むけて、この年の暮れには田坂具隆監督の『五番町夕霧楼』に主演して大ヒットを飛ばすことになります。

監督の沢島忠は昭和32年に監督に昇格してから時代劇を撮り続けてきた人で、とくに美空ひばり主演作品の演出を手掛けて、美空ひばり一家から絶大な信頼を得た監督さんだったそうです。脚色は直居欽哉となっていますがこれは鈴木尚之の別名で、東映京都撮影所に助監督として入社したものの健康上の理由で脚本家に転身して内田吐夢監督作品で多くの脚本を書くことになりました。本作で東映任侠路線の先鞭をつけた後には『飢餓海峡』の脚色という仕事を残しています。撮影の藤井静はずっと東映東京撮影所でキャメラを回してきた人なのでほとんど現代劇を撮っていました。現代劇で培ったセンスが新しいやくざ映画の世界を作り上げたのかもしれませんが、本作の後では数本を残してキャリアが途絶えていますので、早くに引退したのかもしれません。

【ご覧になった後で】とにかく吉良常役の月形龍之介がカッコ良すぎでした

いかがでしたか?さすがにやくざ映画の嚆矢となった作品ですので完成度が高く、名作と呼べるような格式が備わっていましたが、それもこれもひとえに吉良常役を演じた月形龍之介の存在感によるところが大きいのではないでしょうか。いやはやとにかくこの映画の月形龍之介はカッコいいのひと言に尽きます。東横映画時代から東映で活躍し続けた月形龍之介は「水戸黄門シリーズ」の黄門様役がある一方で、「赤穂浪士」を映画化した忠臣蔵ものでは二度吉良上野介を演じていますので、どちらかといえば敵役のイメージでした。しかし本作の月形龍之介の独特な役作りは善とか悪とかを超越して世の中を達観するような高みを感じさせて、時代劇や現代劇ではなかなか表現されることのない生きることの真理を説く存在になっていたと思います。やくざ映画は本作の月形龍之介をもってして、義理人情を重んじる本当の侠客とは何かを具体的に見せることができて、それが多くの観客の共感を呼んだのではないでしょうか。

さらに沢島忠の演出も東映時代劇とは違ったテーストになっていて、本作以降のやくざ映画の基本路線みたいなものを確立しています。鶴田浩二のクローズアップの使い方は、右から左からとアングルを変えて、鶴田浩二の表情をこれでもかと連打していきます。こんなベタな映像表現はそれまで誰も使ったことはなかったのではないかと思われるほどですが、それが本作の雰囲気に見事にマッチしていて、セリフに頼らない心情表現につながっていました。一方で超ロングショットの使い方もうまくて、刑務所を出所してくるところや、奈良平一家の家に入るところなどで、遠いポジションから撮った引きの構図がストーリーの句読点となってひと息つくというか、場面転換をスムースに促すというか様々な効果を引き出していました。

そんな中で鶴田浩二と高倉健と佐久間良子をじっくりと捉える長回しが、三人にとっての見せ場をしっかり観客に目撃させる仕掛けになっていました。殴り込みから戻って来た鶴田浩二が佐久間良子に別れを告げる場面や高倉健が佐久間良子のことを兄貴の女だと気づく場面など、それぞれの熱演がほとんどフルショットで途切れることなく映像に残されていて、こういう撮り方をされれば、俳優も本望だろうなというくらい役づくりを信じ切った演出だったと思います。

ほとんど一気見させてしまうほど欠点の少ない作品なのですが、高倉健がなぜきっぱりと身を引かなかったのかが描き切れていないのと、佐久間良子が鶴田浩二と高倉健のどっちが好きなのかわからなくなるあたりが、ちょっと惜しい点でした。沢島忠は本作をやくざ映画としてではなくメロドラマとして撮ったとコメントしているようでして、それならそれでこの三人の恋愛感情をもう少し突っ込んで描いてほしいところでしたね。

そして何より鶴田浩二が水島道太郎に殴り込みをかけるラストの唐突な終わり方。これは続編を作ることを前提にした終わらせ方なんでしょうけど、ひとつの作品の完成度として見た場合はなんともフラストレーションのたまる中途半端なエンディングでした。もちろん飛車角は討ち死にするんでしょうが、そこまで明快に描いてしまうと続編が成り立たなくなりますし、企画面や興行面を考えると仕方なかったのかもしれません。

本作は昭和38年3月公開ですが、わずか二ヶ月後の5月には『人生劇場 続飛車角』、翌年3月には『人生劇場 新飛車角』が公開されています。いずれも飛車角として鶴田浩二が主演していますが、高倉健の宮川は本作で死んでますのでもちろん出てきません。月形龍之介の吉良常は「続」まで見られるものの、内田吐夢監督で昭和43年にリメイクされた『人生劇場 吉良常と飛車角』では辰巳柳太郎が吉良常を演じています。(Y122922)

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