仁義なき戦い(昭和48年)

任侠ものだった東映やくざ映画を実録ヤクザ路線に変えた革命的な第一作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、深作欣二監督の『仁義なき戦い』です。飯干晃一の原作を笠原和夫が脚本にした本作は、深作欣二監督のスピード感あふれる演出と俳優たちのエネルギッシュな演技を得て大ヒットしました。それまで東映が作って来たやくざ映画は明治から昭和初期にかけての義理人情の渡世を描いた任侠ものでしたが、この『仁義なき戦い』ではじめて戦後の現実的なヤクザすなわち暴力団の実態を映像化して、ドキュメンタリータッチで描かれたリアルな群像劇が東映に実録ヤクザ映画という新しいジャンルをもたらしたのでした。

【ご覧になる前に】実在する組長が刑務所で書いた手記がもとになっています

敗戦直後の広島県呉市では山守組が仕切る闇市で酔客が日本刀を振り回して暴れています。山守組から借りた拳銃で酔客を撃ち殺した復員兵広能は刑務所に収監されますが、そこで知り合った土居組若頭若杉と兄弟分の契りを交わし、若杉の仮釈放を手伝ったことから刑務所を出て、山守組の一員となります。呉のフィクサー大久保が市会議員と結託したことで山守組は土居組は抗争状態に陥り、組長の山守から全財産を渡すからと泣いてせがまれた広能は潜伏中の海渡組を訪ねてきた土居を襲撃し、山守が用意した隠れ家に逃げ込みのですが…。

やくざ映画というジャンルは東映が昭和38年に公開した『人生劇場 飛車角』が嚆矢だといわれていて、東映は鶴田浩二主演の「博徒シリーズ」と高倉健主演の「日本侠客伝シリーズ」で次々にヒットを飛ばすようになります。当時東映東京撮影所長だった岡田茂が始めたやくざ映画は実質的には時代劇の舞台を明治・大正期に移し替えたもので、主人に忠誠を誓った舎弟がその仇討ちを果たすといった男社会の義理人情をテーマにしていました。この任侠路線は時代劇に取って代わって東映のメイン番組となり、手を変え品を変え大量のやくざ映画がシリーズ化されて上映されていきました。

しかし日本映画の凋落は押しとどめるべくもなく、大映や日活もやくざ映画製作に参入しますが、大映は昭和46年に倒産、同じ年に日活は低予算のロマンポルノに舵を切ります。東映でも粗製乱造されたやくざ映画が行き詰まり始めていましたが、週刊サンケイに連載された飯干晃一の原作に注目して新しいヤクザ映画の企画がスタートしました。飯干の原作は実存する元暴力団組長が刑務所で書き溜めた手記をもとにしていて、その元組長から登場人物をすべて実名で書くなら許可するという条件で週刊誌に連載されていたのでした。本物のヤクザの戦後における抗争記ですので、それまでの義理人情に厚い任侠道とはほど遠い、権力争いや資金源の奪い合い、密告や裏切りなど生々しい現代ヤクザの姿が浮き彫りにされていて、関係者が多く生存する中で本当に映画にできるのかが危ぶまれたそうです。

しかしたまたま前年に封切られた『ゴッドファーザー』の影響で世の中はマフィアブームになっていて、『バラキ』『コーザ・ノストラ』といったいわゆるマフィア映画が続々公開されていました。この『仁義なき戦い』の企画はそれ以前から進んでいたのですが、外国映画で現代社会のマフィアがテーマになっていることは、実録ヤクザ映画を開始するにあたってはまさしく追い風となった時期でした。東映の社長になっていた岡田茂は広島出身ということもあり、笠原和夫に脚本を書くよう指示したものの、笠原和夫のほうでは暴力団の報復があるのではないかと恐れてなかなか手を出したがらなかったようです。しかし最終的には深作欣二がシナリオに手を入れないという条件で監督につき、脚本笠原和夫・監督深作欣二のコンビで本作が製作されることになりました。

結果的には本作は昭和48年の洋画・邦画を含めた国内配給収入年間ベストテンで11位にランクされるほどの大ヒットを記録しました。第1位は東宝の『日本沈没』で、第2位が『人間革命』、第3位が『ポセイドン・アドベンチャー』という順位で、シリーズ化された『仁義なき戦い』はこの年に『代理戦争』『広島死闘篇』が一挙公開されています。三作品を合わせると第2位になる計算ですので、いかに新しい実録ヤクザ路線が大衆に支持されたかがわかる数字ですね。

【ご覧になった後で】疾走するキャメラとギラギラした俳優たちの映画でした

いかがでしたか?実は昭和40年代後半から50年代の日本映画に対してはある種の拒否感というか面白くないという先入観がありまして、というのもTVでやるアメリカ映画を中心とした洋画がめちゃくちゃ面白いのに対して、映画館で見る日本映画が本当につまらなくて、ストーリーは面白くないしカラーの発色も悪いしであまり繰り返して見たくなるような作品とは思えないままだったのです。なので本作も久しぶりに再見したのですが、1時間40分があっという間に過ぎてしまうほどのスピード感にあふれていて驚いてしまいました。やっぱり多くの人が評価しているようにヤクザ映画の傑作であり金字塔だったんですね。

その魅力はまずキャメラにあると思います。とにかく俳優たちの動きを捉えようと疾走する手持ちキャメラの映像が臨場感満載で、その場に居合わせているような映像体験を提供してくれます。その現場感覚を重視するために比較的長回しが多く、ショットのサイズもほぼ見た目というかその場にいた人の視界と同じくらいに統一されているので、いつの間にか観客も山守組の一員に取り込まれてしまったかのような錯覚に陥る感覚でした。本作のキャメラマンは吉田貞次で東映京都撮影所で撮影を担ってきた人。内田吐夢の『血槍富士』や中村錦之助主演の「宮本武蔵シリーズ」など多くの時代劇を撮り、任侠ものでもキャメラマンをつとめあげてきました。つまりどちらかというとスタティックな構図を中心に撮ってきた人なわけで、それがいきなり本作で疾走し続けるような手持ちの移動撮影に挑んだのですから、やっぱり深作欣二の演出のもとだからこそ実現できたのかもしれません。

その深作欣二は本作を撮るまでは東映の中では東映東京撮影所でしか作品を作ったことがなく、東映京都撮影所での仕事ははじめてのこと。代表作としては日米合作で黒澤明が降板した『トラ・トラ・トラ!』の日本パートを舛田利雄と共同監督したことくらいでしたので、深作欣二にとって「仁義なき戦いシリーズ」はその名声を確立する重要な仕事になりました。

そして本作のもうひとつの魅力はなんといっても俳優陣のギラギラ感に尽きるわけでして、菅原文太と松方弘樹を中心として出演俳優が全員個性的でした。役名が覚えていられないくらいたくさんの登場人物が出てくるのですが、俳優の顔や佇まいが強烈なので複雑な人間関係がビジュアルで頭に入ってくるのです。たとえば駅のホームで殺される新開をやったのは三上真一郎で、小津安二郎の作品で次男坊を演じたり松竹の新三羽烏だったりというホームドラマ専門の俳優ですが、本作では組長に歯向かって覚醒剤をシノギにする現実路線のヤクザを好演していました。逆に本作以前にはほとんど活躍の機会がなかった志賀勝や川谷拓三が少ない出番ながらも強烈に印象に残るのも、彼らの存在そのものがリアリティにあふれていたからだったんでしょう。

菅原文太だけが義理人情を重んじる伝統的やくざだったのに対して、菅原文太を自分のいいように使い倒す金子信雄がいかにも現実にいそうな金の亡者を演じていて、すぐに泣いて土下座してその場しのぎをする軽薄な組長がぴったりでしたし、松方弘樹が菅原文太に殺されると勘違いして怯えまくるところも本当はチキンな心根の上っ面なヤクザものだという演技が見事でした。そして彼ら全員が話す言葉が広島弁だというのも本作の成功の大きな要因だったと思われます。どんなに凄んだり泣いたり笑ったりしても、そのセリフが広島弁なので陰惨な感じがせずにどことなく呑気というか人間味が伝わってくるのです。広島抗争なので広島弁で当然なのですが、映画としては結果的に広島弁だったことで全国的ヒットにつながったのではないでしょうか。

管楽器の「チャラリー」というヤクザファンファーレが鳴ってそこに死亡年月日がテロップで入るパターンも本作のあとで幾度真似されたかわからないくらいの定番的演出になってしまいましたね。それくらいに誰もが知る傑作で、日本映画凋落時に出てきた革命的ヤクザ映画だということは認めるにしても、この手の映画が好きかといわれればやっぱり「うーん」と考え込んでしまいますので、昭和40年代後半の日本映画に対するトラウマは消し難いのかもしれません。(Y120722)

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