拳銃魔(1949年)

拳銃を偏愛する男がトンデモ女に唆されて銀行強盗犯になるお話です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョゼフ・H・ルイス監督の『拳銃魔』です。原作のマッキンレー・カンターは『我等の生涯の最良の年』を書いた人で、ミラード・カウフマンと共同でシナリオ化しました。拳銃を偏愛するだけで小鳥を撃ち殺すこともできない少年が、大人になって故郷に帰り、曲撃ちショーに出ていた美女と知り合いになるものの、その女は拳銃を悪用して銀行強盗をけしかけるとんでもない性悪だったという、まさに原題通り「Gun Crazy」のお話です。1949年に「Deadly is the Female」(「その女は致命的」みたいな訳でしょうか)というタイトルで上映されましたが、1950年に改題されて再上映されたそうです。

【ご覧になる前に】『ロープ』に出ていたジョン・ドールが主演です

雨の中で銃砲店のショーウィンドウの前に立つバート少年は、石でガラスを割って拳銃を盗もうとします。少年裁判所では姉や友人が拳銃好きのバートが何者をも傷つけないと証言しますが、矯正施設入りの判決を受けたバートは従軍したあと故郷に戻り、久しぶりに再会した友人たちと町の祭りに繰り出します。拳銃の曲撃ちの見世物小屋に出ていたアニーと意気投合したバートは、巡業に同行するうちにアニーと恋に落ちます。二人は情夫から逃げ出して新婚旅行を楽しみますが、次第に金に困るようになって…。

脚本家ミラード・カウフマンはアカデミー賞のノミネートされたこともある実力者で、『あの高地を取れ』(1953年)でオリジナル脚本賞、『日本人の勲章』(1955年)で脚色賞の候補になっています。しかし本作ではカウフマンはクレジットされただけで、実際にシナリオ化の作業を担ったのはダルトン・トランボでした。トランボは非米活動委員会でブラックリストに名前が載って活動することができませんでしたので、カウフマンが自ら前面に立ってトランボに仕事を依頼したようです。

主演のジョン・ドールはアルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』でファーリー・グレンジャーとともにジェームズ・スチュワート教授にトリックを仕掛けた若者を演じた人。元はブロードウェイの舞台俳優として活躍していたところ、ハリウッドで出演した『小麦は緑』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされて映画界に入ることに。その後『スパルタカス』やTVドラマに出演していましたが、心臓発作のため五十歳の若さで急逝したそうです。

監督のジョゼフ・H・ルイスは1900年生まれで、ジョン・フォードやハワード・ホークスとほぼ同年代にあたります。サイレント期から二流映画会社で編集を仕事をし、1930年代中期にユニバーサルで監督としてデビューすると、一貫してB級映画を監督することになりました。当時のユニバーサル映画は恐怖映画を売り物にしていて『ベラ・ルゴシの幽霊の館』などを監督していますし、本作のようないわゆるフィルム・ノワール系のプログラムピクチャーでメガホンをとっています。

本作はキング・ブラザーズ・プロダクションズの製作で、ユナイテッド・アーティスツが配給した作品で、フランクとモーリスのキング兄弟は、B級映画専門のプロデューサーとして1940年代から50年代にかけて活躍していました。「B級映画」とは英語では「B Pictures」と表記され、「B級=二流・三流」と解釈される場合が多いのですが、蓮實重彦氏によると「フォックス社が新撮影所を新設したとき、製作費も増額され1本あたりの予算の高い作品を新撮影所で製作することになった一方で、残された旧撮影所での作られる作品は低予算のまま製作が続けられた。新撮影所はハリウッドのウェストウッズ・ヒルのA地域に建設され、ウェスタン・アヴェニューにあった旧撮影所はB地域と呼ばれていたので、製作費の高い作品をA級映画、低予算作品をB級映画(B Pictures)と呼ぶようになった」んだそうです。(引用はだいたいな感じですけど)

アメリカでは1950年代に入るとTVが家庭に普及し始め、1950年の世帯普及率は9%だったのに対し、10年後の1960年には87%に達しました。ハリウッドの映画産業に与えた影響ははかり知れず、メジャー映画各社は、カラー化やワイドスクリーン、3D立体映画などあの手この手でTVとの競争に負けまいとあがきます。その中の一手が「二本立て興行」で、同じ入場料で映画が二本見られるというお得感を打ち出すために「A級映画」に「B級映画」を添えて毎週週替わりで上映するようになりました。ここらへんの経緯は昭和30年代に日本映画界にそのまま飛び火していくことになるわけですね。

添え物のB級映画は長過ぎてはいけないわけで、70分からせいぜい90分までの尺の中で、あまり予算をかけず短期間で次々に完成されることが要求されました。そういう興行的な理由があったからこそ、キングズ・ブラザーズのようなB級専門製作会社にも需要があったのでしょう。特にユニバーサルやユナイテッド・アーティスツはメジャー五社(RKOは衰退していたようですけど)に対抗するためにも二本立てが必須条件になっていたのかもしれません。

【ご覧になった後で】低予算ならではの工夫が逆に奏功したB級傑作

いかがでしたか?上映時間87分、有名俳優は登場せず、大半はロケーション撮影といういかにも低予算のB級映画でしたが、いやいやなかなかの出来栄えで退屈することなくラストまで見ることができました。しかもところどころに「これは!」という演出が施されていて、低予算だからこそこういう工夫をしたんだろうなあと思わせると同時に、逆にそれが映像的な効果に直結していました。キング・ブラザーズ製作、ジョゼフ・H・ルイス監督の存在も本作ではじめて知ったのですが、TVが台頭してきたころのアメリカ映画の底力を見せつけるようなB級傑作の一本でした。

いちばんの見どころは、ジョン・ドールとペギー・カミンズがこの仕事が終わったら別れようと約束して実行する銀行強盗の場面。車で町の中心部に移動し、車を停め、ジョン・ドールが銀行を襲っている間に、ペギー・カミンズが警官の気をそらし、金を奪ったジョン・ドールを乗せた車をペギー・カミンズが急発進させ、町を離れていくというこの流れを、なんと長回しのワンショットだけで表現したのには驚かされました。

このショットを撮るために、車の後部を取り外して平らな一枚板を敷設し、騎手が使う馬の鞍を前後左右に自在に動けるように据え付けたそうです。鞍上のキャメラは、車と一体となりながら運転席を捉えたり車外に出るジョン・ドールを追ったりポジションとアングルを微妙に変えつつ、一連の動きをワンショットの中におさめることができました。さらにこのワンシーンワンショットは同時録音ですべての音声を収録することに成功しています。運転席のジョン・ドールとペギー・カミンズの会話を録るためにサンバイザーに小型マイクを仕掛け、車外の音を拾うために車の上にマイクマンがしがみついて、そこから警官などの声を拾うマイクを延ばしたんだとか。まさに低予算だからこその工夫が詰まった職人技の撮影方法だったわけです。

こうした工夫が切羽詰まった臨場感を映像化することにつながっていて、実際にジョン・ドールが「駐車するスペースはあるといいんだが」などとつぶやくのは、ゲリラ的に撮影したのでスタッフが駐車スペースを確保するなどのよくある撮影方法を取れなかったためでした。この場面のシナリオを映像化するなら普通の撮り方だと銀行内部のセット撮影を含めて最低でも3日はかかるそうで、車からの長回しワンショットが実現したことでセット撮影が不要になり、撮影は最短の1日で終わりました。とはいってもジョゼフ・H・ルイスの考えが理解されるには準備が必要だったようで、懐疑的なプロデューサーのために同じ場面を16mmキャメラでテスト撮影し実現可能性が証明されたので、このショットが実現することになりました。

途中まで見ていて「これって『俺たちに明日はない』に似てきたな」と思ったのも当然で、本作は1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗を繰り返したボニー・パーカーとクライド・バロウをモデルにしていたのでした。「Bonnie and Clyde」の原題をもつ『俺たちに明日はない』が代表的な映画化ですが、1937年のフリッツ・ラング監督作品『暗黒街の弾痕』もボニーとクライドのお話なんだそうで、『拳銃魔』も含めて銀行強盗の男女コンビは映画に取り上げられやすい存在だったんですね。

逃げ落ちたバートとアニーの二人が沼地で朝を迎えるラストシーンは、霧で周囲が何も見えない状況として映し出されます。そこに旧友二人が現れ、周囲はもう包囲されているから自首しろと告げる姿がぼんやりと見えるという演出も、たぶん低予算ならではの工夫で、包囲するくらいの人数の警察官を揃える手間をはぶくためだったと思われます。しかし国立公園の森の奥をひたすら走って逃げる二人を横移動で追いかけるショットは、手前の木立が右から左へと画面を横切るのが二人の絶望感を伝えていましたし、霧に囲まれた沼地のショットは、現実世界から隔離された幻のような効果がありました。白黒の映像ということもあって、ちょっとだけ溝口健二の『西鶴一代女』と『雨月物語』を想起させるような感じを受けました。

低予算ついでに蓮實重彦氏が指摘するB級映画の特徴は「ストックショット」だということらしく、本作でも急発進する数台の警察車両や銃をもった警察官が車から何人も降り立つみたいなショットがところどころに出てきて、それなりのスケール感を伝える効果が見られました。低予算映画なのにこの場面のためだけに大掛かりな撮影をしたのかというと全くそんなことはなく、これらのショットは別の映画で撮影してあったストックから切り取って転用したものなのです。

バートとアニーが警察に追われるのを観客に見せるためには、新聞のトップ面を映すみたいな古典的手法もありますが、やっぱり実際の警察官や警察車両が出てこないことにはリアリティーが生まれません。そこで過去に大勢のエキストラを雇って警察官の衣裳も人数分用意して撮影したショットを、いつでも使い回せるようにストックしておくのでした。たしかに東宝の怪獣映画でも逃げ惑う群衆のショットなんかは複数の作品で同じものが登場しますから、有効利用できるならあえて他の監督が演出したものでも使っちゃえみたいな割り切りがあったんでしょうね。(A090125)

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