怪獣ブームに乗り遅れた松竹が唯一製作した怪獣映画、というかSF作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、二本松嘉瑞監督の『宇宙大怪獣ギララ』です。怪獣ブームに沸く日本映画界で、東宝の「ゴジラ」と大映の「ガメラ」に対抗すべく、東映が昭和41年暮れに『怪竜大決戦』を公開したのに続いて、松竹ではこの『宇宙大怪獣ギララ』が製作されました。このあとすぐに日活が『大巨獣ガッパ』で追随するのですが、松竹の『ギララ』は怪獣ものというだけでなく宇宙を舞台としたSF作品であるところで他社と差別化を図ろうとしていました。
【ご覧になる前に】本作をきっかけにして松竹は特撮ものを作り出します
日本宇宙開発局FAFCは、月を経由して火星を探索する宇宙船AABガンマ号の発射に成功します。乗組員のアクシデントにより月面ステーションに立ち寄ったAABガンマ号は隊長の佐野と三人の乗組員で火星を目指しますが、途中で未確認飛行物体に遭遇します。謎の飛行物体はAABガンマ号の機体に何物かを付着させて消えてしまいました。乗組員の科学者リーザはその物質を真空カプセルに採取して調査しようとするのですが…。
「ゴジラ」シリーズの人気は誰もが知るところですが、大映の「ガメラ」も負けてはいませんで、昭和42年3月に封切られたシリーズ第三作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、口から超音波光線を発するギャオスの造形の見事さもあって大ヒットしました。光線がメスのような切れ味を持っていて、ガメラに追いすがられて自分の足を光線で切って逃げるとか、でもトカゲの尻尾と同じようにギャオスの足が再生してしまうとか、東宝の特撮映画にはないシリアスな対決ストーリーが上出来でした。この大映のヒットを追うようにして、同月に封切られたのが本作。大船調といわれるホームドラマを得意としていた松竹はそれまで特撮ものを作ったことはありませんでしたが、映画のライバルとなったTVでは毎日のように新しいホームドラマが放映されます。他社の動きを見て松竹も特撮ものに手を出さざるを得なくなったのでした。
監督の二本松嘉瑞は木下恵介の『カルメン故郷に帰る』や黒澤明の『白痴』などの助監督をつとめていましたが、監督に昇格する前にアメリカに派遣されてハリウッドで合成特殊技術を学んだという変わったキャリアも持っています。松竹も特殊撮影を内製化する必要があると認識だけはしていたんですね。いよいよ特撮ものを作るということになり、監督に起用されたのが二本松嘉瑞でした。松竹は本作公開の翌年には『吸血鬼ゴケミドロ』『昆虫大戦争』 『吸血髑髏船』と特撮ものを連打していきますが、結局は長続きしませんでした。そんなこんなしているところに『男はつらいよ』で金脈を発見した松竹は特撮のような不得手なジャンルは斬り捨てて、お盆と正月に確実なヒットが見込める「男はつらいよ」のみに頼ることになるのです。
俳優はほとんどが無名の人たちですが、FAFCの加藤博士を岡田英次がやっています。岡田英次といえばアラン・レネの『二十四時間の情事』でヒロシマの男性を演じたことで世界的に有名になった二枚目俳優ですが、本作出演時には四十七歳。『二十四時間の情事』のときのような知性派のイメージは薄くなって、かなり老け込んだ感じで出てきます。また自衛隊の対策本部長を演じている北竜二は小津安二郎作品で主人公の旧友を中村伸郎といっしょにやっていた人。小津作品での飄然としたおじさま風も良いのですが、北竜二は本作のような軍の幹部のような役も似合うんですよね。東宝の戦記物でも海軍大臣あたりでよく出てきます。この二人以外、見るべき俳優がいないのは、松竹の中でもはじめての特撮ものでみんな敬遠したのかもしれません。
【ご覧になった後で】これはひょっとして「エイリアン」の原点なのかも…
いやー、驚きましたね。宇宙の生命体を発見する、その生命体を宇宙船に持ち帰る、あるとき突然その生命体が動き出して逃げる、強烈な酸を発して宇宙船の床が溶ける。どうですか、これってすべてリドリー・スコット監督のショッカーSF『エイリアン』と全く同じじゃないですか!もしかしたら『エイリアン』のスタッフは本作にインスパイアされて、あのショッキングな生命体を発想したのかもしれません。もちろん「かもしれない」だけで、たぶん全然参考にしていないとは思いますけど。
注目すべきは上記のみで、あとはもう見ていられないくらいお粗末な作品でした。松竹だから仕方ないのかもしれませんが、なぜ乗組員に恋愛話を絡ませなきゃいけないんスかね。しかも隊長の佐野は、ほとんど「こち亀」の両さんにしか見えない和崎俊也という毛量が異様に多い俳優がやっていて、宝田明ならともかく、女性が取り合いをするような男性には見えません。そもそも女性たちがなぜ隊長に好意を寄せるのかも全く理解できませんし、隊長の行動がヒロイックなわけでもありません。まあこうして説明するのもほとんど無駄なくらい脚本はダメダメでした。
そして特徴的なのは音楽。タイトルバックからして不吉な予感がしたのですが、あのメジャーセブンを効かせた軽快なBGMは怪獣ものやSFには全く合っていません。「地球う~、ぼくたちいの星~、宇宙う~、ぼくたちの世界~」という「ギララのロック」はロックというよりフレンチポップス風で電子ピアノが入るあたり実に心地よい曲ではありますが、なぜよりによって怪獣映画で使うんですかね。作曲はいずみたく先生で、「見上げてごらん夜の星を」や「世界は二人のために」や「恋の季節」など昭和歌謡曲の名曲を世に送り出した偉大な作曲家。しかも作詞はあの永六輔。この二人に本作ではあまりにもったいないでしょ。松竹って本当にプロデュース視点がズレてますよね。
そしてギララが関東を南から北へ、そしてまた南へと街を荒らしまくる特撮。本作の特撮監督としてクレジットされているのは池田博という人で、昭和34年に松竹で監督に昇格しています。大島渚が『愛と希望の街』で監督デビューしたのと同じ年ですけれども、この池田博という人は三本くらいしか監督作品が残っていませんで、特に松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれた新人監督群の中にいたわけではないようです。その特撮監督のもとで実際に特殊技術の現場を回していたのは、日活の『大巨獣ガッパ』と同じく東宝出身の特殊技術撮影のプロたち。でも東宝の円谷組がどのように他社へ四散していったかはあまりよくわかりません。それはともかくとして、特撮としてのミニチュアや飛行機の移動などはよくできている一方で、それを映像化するキャメラはあまり感心できません。とにかく撮り方が平板で、特撮セットのギララを普通の撮影と同じ目線で撮っているんですよね。だからギララの巨大感が出ません。少なくとも仰角気味に撮る必要があったと思いますし、ダムの破壊場面なんかでもスローモーション撮影であればもっと大きさが出るのに、通常の24コマで撮っているので水が普通に流れて映っています。また海水から出てくるギララの足なんかも、ただ単に泥水から出てくる長靴のように見えてしまい、セットや着ぐるみがどんなに頑張っても、こんな撮り方ではすべてが台無しですね。
そんな中で印象に残るのはAABガンマのデザインです。両翼が内側に湾曲したデザインが少しだけレトロ感があって、良い意匠でした。AABというのは「アトミック・アストロ・ボート」の略で、このプラモデルはかつて緑商会というプラモデル会社から発売されていました。これ、確か持っていたように思うのですが、記憶が曖昧で定かではありません。現在は童友社というところから再販されているようですよ。(A011622)
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