フランケンシュタイン(1931年)

ボリス・カーロフがThe Monsterを演じたフランケンシュタインの原点です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジェームズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』です。フランケンシュタインは現在までに何度もリメイクが繰り返される映画の古典ですが、本作に出てくる「The Monster」の造形がすべての原点になっています。演じたのはボリス・カーロフで、当初はドラキュラ役者のベラ・ルゴシに依頼したところ断られてしまったので、ボリス・カーロフが演じることになったのだそうです。ボルト(実は電極)が突き出た首と垂れ下がった瞼など誰もが思い浮かぶあの怪物は、いわばゴジラと同じようなオリジナルなキャラクターとして今でも多くの人々に認識されているわけで、本作がその出発点になっているんですね。

【ご覧になる前に】原作者メアリー・シェリーの発想したプロットが秀逸です

町はずれの墓場に埋葬された死体を掘り返して盗み出した科学者のヘンリー・フランケンシュタインとその助手フリッツの二人は、死体を丘の上に立つ塔の中に運び込みます。ヘンリーは複数の死体をつなぎ合わせて、新しい生命体を作り出す狂気のような実験に取り組んでいたのでした。婚約相手のエリザベスはヘンリーが間近に迫った結婚式のことも忘れて実験に没頭しているのを心配し、ヘンリーの恩師であるウォルドマン教授にヘンリーを連れ戻すように懇願します。一方でフリッツは博士が授業で使用していた脳の標本を盗み出すのですが、それは正常な脳ではなく犯罪者のものだったのでした…。

イギリスの小説家メアリー・シェリーが書いた小説が原作になっているのですが、そのプロットが見事なまでに完璧な着想で、「ある科学者が死体の一部や臓器をつなぎ合わせてあらたな生命体を創り出す」というように簡潔にまとめられるシンプルな力強さがあります。黒澤明は脚本家の橋本忍に「良いホンの条件はプロットを一文で表現できること」というような意味のことを言っていたらしく、その点でいうと「フランケンシュタイン」は映画の脚本には持ってこいの原作を提供したといえるでしょう。そして驚愕すべきは、女性作家であるメアリー・シェリーがこの小説を十九歳のときに書いたということ。メアリーは詩人バイロンと親交があり、そのバイロンが主催していた怪奇談義でいろいろな怪奇譚を話し合ううちに、メアリーがこのプロットを発想したというエピソードが伝えられています。

ユニバーサル映画は本作の前に『魔人ドラキュラ』という映画をベラ・ルゴシ主演で製作・公開して大ヒットを飛ばしていました。その意味では本作は柳の下のドジョウを狙って作られたことになりますが、実は「フランケンシュタイン」を原作とした無声映画が1910年に製作されたことがあったのだそうです。となると厳密にいえば本作はリメイクになるのですが、メアリー・シェリーの原作本にある挿絵に描かれたものとは全く違うイメージで「The Monster」をリブートすることによって、リメイクとはいえないようなあらたなオリジナル作品を作ることに成功したのでした。怪物のメイクアップを担当したのがジャック・P・ピアースという人で、ギリシャ移民だったピアースはハリウッドで俳優として活動するかたわらメイクアップに興味を持ち、やがてはその分野の専門家になりました。『魔人ドラキュラ』でもノンクレジットながら実質的にはメイクアップを担当していたので、ピアースはドラキュラとフランケンシュタインというホラー映画の二大スターをこの世に送り出したクリエイターだといえるでしょう。また、彼の存在はその後も続くユニバーサル映画のホラー路線をメイクアップ面から支えることになっていくのでした。

怪物を演じたボリス・カーロフは、その後もフランケンシュタイン・シリーズで怪物を演じ続けることになって、「怪物役者」と呼ぶべきのが本来ながら「フランケンシュタイン役者」として認識されるようになります。フランケンシュタイン博士その人を演じたのはコリン・クライヴという俳優で、この人はこの人で結構個性的な顔立ちをしていますが、1940年代にはその俳優活動は途絶えてしまった人のようです。ちなみにメアリー・シェリーの原作ではフランケンシュタイン博士はヴィクターという名前になっていて、映画化にあたってヴィクターからヘンリーに変更されたのだそうです。「勝利」を表すヴィクターだとちょっとマズいかなという意図があったのでしょうかね。

【ご覧になった後で】実験室・風車小屋などプロダクションデザインが最高!

いかがでしたか?本作で素晴らしいのは、怪物はもちろんのこと、博士の実験室や最後に燃え上がる風車小屋などプロダクション・デザインそのものでしたね。映画におけるプロダクション・デザインとは、セットデザインから大道具、小道具、衣裳、メイクアップまで生身の役者以外のすべてを統括する役割のことをいいまして、簡単にいえば映像の見え方・映り方に一貫性を持たせる映像の設計図そのものということになります。本作はヨーロッパのとある地方の町を舞台にしていて、町の人々の踊りを見ると東欧という設定のようですが、その古い町並みが石造りの建物と曲がりくねった道で表現されていました。フランケンシュタイン博士の実家の豪邸などの土地の有力者たちの暮らしぶりをクラシックな雰囲気で見せる一方で、丘の上にそびえ立つ実験塔はまさにゴシックホラーの雰囲気そのもので、ディズニーランドのホーンテッドマンションなんか比較にならないくらいにおどろおどろしく設計されていました。けれども内部の実験装置はSF的なデザインが加味されていて近代的な科学実験室の感じを表現すると同時に、怪物を屋上に押し上げて嵐の雷光を浴びさせるところなどは真逆に中世期の拷問装置のような禍々しさが出ていたと思います。そして圧巻は最後に燃え盛る風車小屋でしょうか。炎の演出は合成っぽくて当時の撮影技術の限界を感じさせますが、モノクロの画面に映る影と光のコントラストが強い映像は、映画のクライマックスを最高級に盛り上げている役割を果たしていました。

クレジットにはプロダクション・デザイナーの名前はなく、アート・ディレクターとしてチャールス・D・ホールという人の名前が出てきます。チャールズ・チャップリンの代表作のひとつである『モダン・タイムス』ではチャールズ・D・ホールはプロダクション・デザイナーとしてクレジットされています。あの『モダン・タイムス』の無機質で殺人的な工場セット全体をチャップリンのもとでデザインした人だとすると、なかなかの才人だったのでしょう。一点だけ残念だったのは、村人たちが怪物を追い詰める丘の場面。背景の夜空をスタジオセットの後ろに幕をはって表現しているのですが、その幕に縦の筋が入っていて、それが非常に目立ってしまっていました。ディテールが粗いのは興覚めの原因になりますのでご注意願いたかったです。

このように美術デザイン面では見どころが多い一方で、演出は今ひとつだなという感じでした。博士側と怪物側の視点の置き方が混在したり、視線や立ち位置に混乱があって構図が観客に伝わりにくかったり、クローズアップの使い方に唐突感があったり、エリザベスの部屋に怪物が侵入してくるサスペンスが全く盛り上がらなかったりと、ユニバーサル映画は当時としては二流の製作会社でしたので、映画監督に多くのギャラを払えなかったのかもしれません。そんな中で怪物に少女が花を渡して二人で花を池に浮かべるのは超有名な場面です。ここも二人を横からとらえたショットはよいにしても、投げる花がなくなって花の代わりに少女を投げ込むという怪物なりのロジックが伝わりにくいカット割りになっていたのが残念でした。この場面で、あの少女は本当に何回も繰り返し池に投げ込まれて、その代わりになんでも好きなものを食べさせてあげるという監督からの口約束だけで我慢して演じたそうです。結局好きな食べ物はゆで卵だったそうで、池の水から上がってからはお腹いっぱいゆで卵を食べたのだそうですが、本当でしょうかね。

ご存知の通り、本作からは様々なパロディが派生していまして、メル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』に出てくるあの実験室は本作そのままだったんだなと今更ながらに思い出し笑いをしてしまいました。もちろん藤子不二雄の『怪物くん』に出てくる「フランケン」も本作の怪物のマンガ化ですし、「幽霊城のドボチョン一家」の「フランキー」も同様ですね。今でもフランケンシュタインといえば、誰でもボリス・カーロフが演じた怪物を思い浮かべることができるのは、こうしたパロディものが連綿と怪物のイメージを受け継いでいることが影響しているのだと思います。(A022822)

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