世界中にカンフーブームを巻き起こしたブルース・リーの代表作で遺作です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロバート・クローズ監督の『燃えよドラゴン』です。ブルース・リーの登場によってカンフーブームは世界を席巻して、子どもたちはみんなヌンチャクもどきを振り回しながら「アチョー!」と叫ぶようになりました。それくらいインパクトがあった『燃えよドラゴン』ですが、プレミア上映の3週間前にブルース・リーは突然亡くなってしまいます。残念ながら本作はブルース・リーの代表作であると同時に、最後の出演作になったのでした。
【ご覧になる前に】ハリウッドで初めて中国系俳優が主演となった映画です
武道家の青年リーは国際情報局から孤島で行われる武術トーナメントに出場するよう依頼されます。少林寺を破門されたトーナメントの主催者ハンは、孤島を拠点として大規模な犯罪を企てている疑いがかけられていました。帰郷したリーはハンの部下オハラによって妹が自害に追い詰められたことを知り、トーナメントへの出場を決心したのですが…。
現在ではハリウッド映画で中国が舞台だったり中国の俳優が主演だったりするのは当たり前ですが、1970年代までは全くそんな扱いではなく、出演していても悪役か脇役が普通でした。そんな中で初めてハリウッド映画で主役になった中国系俳優がブルース・リーです。ブルース・リーは香港出身で、幼少の頃から少林寺拳法を習って育ちました。単身アメリカに渡り武道大会で活躍しているところをTVのプロデューサーが目をつけ、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』で運転手カトー役に抜擢されます。その後香港映画界の大物プロデューサーであるレイモンド・チョウと契約して香港に凱旋し、カンフー映画に主演すると次々に大ヒットを飛ばしていきます。香港での活躍がワーナーブラザーズとの合作『燃えよドラゴン』につながったんですね。
映画では三人の武道家がトーナメントに招待されるストーリーになっていて、あとの二人はジョン・サクソンとジム・ケリーが演じています。ジョン・サクソンは空手の黒帯有段者、ジム・ケリーは国際空手選手権のミドル級チャンピオンだったところを見込まれたのだとか。二人とも本作で一気に有名俳優になったのですが、その後も『燃えよドラゴン』でブルース・リーと共演したことだけが注目されて、サクソンは俳優としては目立ったキャリアを残すことはできず、ケリーは早くに俳優を廃業してスポーツ選手に鞍替えしてしまいました。
ブルース・リーは香港に帰る前はハリウッドで武術指導者として様々な映画俳優と交流をもっていました。ジェームズ・コバーンやスティーヴ・マックイーンといったトップスターからロマン・ポランスキーのような映画監督まで、武術を通じて幅広いネットワークがあったようです。クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』には登場人物としてブルース・リーが出てくる場面があって、そこでは単なるフィジカルトレーニングだけではなく、ブルース・リーがスピリチャルな心構えのような精神論をあれこれとこうるさく語る姿が描かれていました。まあ、単身アメリカに渡ってハリウッドで活躍するまでになった人ですので、それなりに面倒くさいキャラクターではあったのかもしれません。
【ご覧になった後で】銃を完全排除して肉体だけのバトルが実現しています
いかがでしたか?ブルース・リーの鍛え上げられた鋼鉄のような肉体が嘘のない生のアクションを体現していましたね。その成功要因は銃を完全に排除したこと。ハンズアイランドではハンが銃を嫌っているという理由のみで銃器の持ち込みが禁止されています。たったこれだけの設定で、本作のバトルは銃によるドンパチではなく、殴り合い・蹴り合い・叩き合い・投げ合いといった肉弾戦のみで描かれていきます。ハンの部下たちもアヘン造成工場の警備であれば普通に銃火器を備えていてもいいようなものですが、ピストルもマシンガンも何も登場しません。そんな設定だから、ブルース・リーが怪鳥音を発しながら倒した相手にジャンプして踏み殺すという、実に生々しいアクションが生きてくるんですね。
そしてヌンチャク。ハリウッド映画でヌンチャクが登場したのは本作が初めてだと思いますが、見せ場としては、ブルース・リーが地下工場で警備隊員が持っていたものを奪って、逆に目にもとまらぬ速さでヌンチャクさばきを見せるところがハイライトでした。これを見て当時の子どもたちはすぐにこのヌンチャクを真似して遊びに取り入れたのですが、現在のように東急ハンズのパーティコーナーに行けばプラスチック製のヌンチャクが売っているなんてことは当時はもちろんありません。なので、適当な木の棒を二本見つけ出して、絵の具で黒く塗り、その間を短いチェーンや紐でつないでヌンチャクもどきを手でこしらえたのでした。ところがどうしても振り回す遠心力が強くて、チェーンで止めたところがすぐに外れて木の棒がすっ飛んでいってしまうんですよね。記録には残っていませんが、たぶんこのヌンチャク遊びがもとになってあちらこちらのご家庭の窓ガラスが割られてしまったことと想像されるのです。
ちなみに日本のマンガ界では、『燃えよドラゴン』公開のはるか前にヌンチャクを扱ったマンガがあったのです。みやわき心太郎の「男のさけび」というマンガで、主人公の少年捨吉がヌンチャクを使って醜い大人どもをなぎ倒すという場面が当時の読者の度肝を抜いたと、マンガ家でマンガ史家でもあるみなもと太郎氏が著作の中で紹介しておられます。まあ貸本漫画時代の作品なので、一般的には全く浸透しなかったようですね。
本作への貢献度としてはラロ・シフリンの音楽を見逃すわけにはいきません。一番有名なのは「スパイ大作戦」のテーマでしょうか。現在的には「ミッション・インポッシブル」なわけですが、マッチを擦る手が出てきて導火線に火をつけると、導火線が燃えるアニメーションの進行と同時にその日に放映されるドラマのピックアップシーンを先に見せちゃうという、あのオープニングにかかっていた曲がラロ・シフリンのものでした。『ブリット』や『ダーティ・ハリー』など刑事アクションものを得意としていて、印象的なリフをベースにしてメロディというよりはリズムを重視した作曲をする人でした。本作では、オリエンタリズムを出すためにアジアの音楽をいろいろ研究して作ったそうです。
この映画は日本では昭和49年のお正月映画として公開されまして、地方都市では洋画はなんでも二本立てでしたので、『燃えよドラゴン』の併映はテレンス・ヤング監督の『アマゾネス』でした。『燃えよドラゴン』ではハンズアイランドのおもてなしのひとつとして武道家に女性を提供するという場面がありました。四人ほどまとめて部屋に呼んじゃうジム・ケリーの手前に露わな女体が映し出されたりしていますが、併映作『アマゾネス』はなにしろ古代女剣士のお話なのでそれどころじゃないほどうじゃうじゃと裸体が出てきます。正月映画ですから子どもたちもたくさん映画館に行っていたのですが、昭和の時代は子どもが見る映画でもヘアーさえ出さなければ何でもありだったんですね。今思い返すと平和というかジェンダー視点皆無というか、なんともノンビリした時代ではありまして、男の子たちにとってはヌンチャクと同じくらいに興奮するツボであったことは間違いありません。(A122921)
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