炎上(昭和33年)

三島由紀夫の小説「金閣寺」を市川崑監督・市川雷蔵主演で映画化しました

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、市川崑監督の『炎上』です。原作は三島由紀夫が昭和31年に発表した小説で、昭和25年7月に発生した金閣寺放火事件を題材にした「金閣寺」は、三島由紀夫の数ある著作の中でも代表作ともいえるほど芸術的にも商業的にも成功を収めました。映画化権を獲得した大映が監督に指名したのが市川崑で、妻の和田夏十との脚本づくりにあたっては三島由紀夫本人から創作に至るプロセスを開示してもらい、原作への理解を深めました。主演にはデビュー四年目だった市川雷蔵が抜擢され、雷蔵は本作の見事な演技で映画スターとして大きく飛躍することになりました。

【ご覧になる前に】映画化にあたって内外で紆余曲折がさまざまありました

警察の取調室で検事と刑事から驟閣寺放火事件の容疑者として尋問を受けている溝口は、黙秘して何も語らないまま、舞鶴にある実家のお寺から驟閣寺の門を叩いた高校時代のことを思い起こします。かつて驟閣寺の老師と修業した実家の父が亡くなり、溝口は老師から徒弟僧として住み込みを許されたのでした。先輩僧侶たちから吃音を指摘された溝口は、戦時下に吃音をなじった海軍士官の刀剣に傷をつけたことや実家の母親が叔父と不義を働いていたことを思い出し周囲になじめないでいたところ、親切に声をかけてくれたのは同僚の鶴川ただひとりでした…。

昭和33年は戦後の日本映画黄金期のピークにあたる年で、年間観客動員数がのべ11億人に及び、なんと全国民が毎月映画を見に行くくらい大衆にとって娯楽の中心に日本映画があった時期でした。その背景には大映をはじめとした各映画会社が週替わりで次々に新作を製作・公開する大量生産体制があり、市場で大量消費されていたわけです。大量生産のためには品質を気にしながらも短期間で映画を作ることが求められていて、通常であれば小説などの原作を入手したらすぐに脚色して撮影に入り編集したフィルムを全国の映画館に配給するという流れになっていたはず。そんな中でこの『炎上』は企画に着手してから劇場公開に至るまで2年間という時間を費やしています。これは通常の製作スケジュールではかなり異例なことですので、やっぱり三島由紀夫の小説があまりに偉大な傑作だったので、大映側にも安易なことはできないとか失敗は許されないという雰囲気というかプレッシャーがあったのかもしれません。

小説発表時には特に金閣寺そのものを取り上げることは問題にならなかったようなのですが、映画化されるとなった途端に放火された当事者の金閣寺の側から映画化を中止するよう要望が出てきまして、中止しないなら京都の寺社での時代劇撮影などに今後一切協力しないと申し渡しをされたそうです。ここらへんが年間10億人を動員していた映画がメディアとしていかに影響力をもっていたかの証左になるわけですが、金閣寺としては放火で焼け落ちた本殿を昭和30年に再建したばかりの頃で、観光地としてのイメージに傷がつくのを恐れたのでしょうか。結果的には市川崑が自ら金閣寺の老師を説得しに面会に行き「金閣寺という名前を使用しない」ことで映画化の了承を取りつけたのでした。公開時の大映のパンフレットには「三島由紀夫の『金閣寺』に材を得たとはいうものの、この『炎上』は全然架空の物語となっております」とわざわざ断り書きが入っているのもそんな経緯が影響していたんでしょうね。

そんないわくつきの作品なので大映の永田雅一社長も映画化にはかなり口をはさんだようです。主演は川口浩で決まりかけていたのに社長からダメ出しが出て、市川崑が考えあぐねた結果、目をつけたのが時代劇で売り出し中の市川雷蔵。雷蔵は出演依頼をすぐに承諾し、断髪式までやって溝口役に取り組むことになりました。一方でスタッフは最強の布陣がしかれていて、キャメラマンには光と影を自由にあやつる宮川一夫、照明には溝口健二の大映以降の作品をほとんど担当していた岡本健一、音楽には日本の現代音楽を代表する黛敏郎、美術には大映京都撮影所で時代劇中心に活躍していた西岡善信がそれぞれ起用されました。

市川崑の妻で市川作品のほとんどの脚本を書いている和田夏十が、『処刑の部屋』で組んだことのある長谷部慶治との共同で原作をシナリオ化しました。企画の藤井浩明は『永すぎた春』の映画化を担当していたこともあり三島由紀夫とは昵懇の関係だったようで、三島本人から「金閣寺」の創作ノートを借り出してきて、それを和田夏十らに預けたんだそうです。小説は「美とは何か」を追求する観念的なテーマも持っていたのですが、映画では親子の関係や溝口本人の苦悩に的を絞ることが決まり、三島由紀夫もあれこれ相談には応じる一方でシナリオに口をはさむことはなかったのでした。

【ご覧になった後で】小説の映画化として日本映画の金字塔といえる傑作です

いかがでしたか?日本映画には「文芸もの」ともいえるジャンルが確実に存在していて、近代文学から現代文学まで小説を映画化した作品は山ほどあるのですが、その中でも『炎上』はトップクラスにランクされる金字塔的作品なのではないでしょうか。小説の世界観をここまで再現した映画はなかなかないですし、しかも小説とは違った映画ならではのオリジナリティを持っていて、さらには登場人物を生身の俳優が演じるという映画の特性を最大限に生かして観客によりリアルな作品世界を伝えることに成功しています。たぶん四十年ぶりくらいに再見したのですが、若いときに見た鮮烈な印象がそのまま蘇ってきて、本作が時代を超えた傑作であることを再認識させられたのでした。

まず脚本の完成度がすごいです。三島由紀夫の小説が主人公の一人称で書かれているのに対して、本作では溝口だけを追い続けるのではなく周囲の人物にもスポットをあてるように脚色されています。よって仏門に専念するのではなく世俗にまみれる老師の慚愧の念も描かれていて、溝口の視点からだけにとどまらず登場人物全員をやや俯瞰して眺めるような見方が加わっているように感じられます。また舞鶴時代の回想も映画的に処理されていて、吃音をバカにされる場面や母親の不義、父親の葬儀などが溝口の現在にいかに大きな影を落とすことになったのかが観客にすんなりと腹落ちするような展開になっていました。わずか1時間40分の上映時間に収めたのも、とことんまでシナリオ段階で贅肉をそぎ落とした成果だったかもしれません。

そして市川崑のスタイリッシュな映像術は三島由紀夫の豊潤な文体とは違って、映画をドライなタッチでリアリスティックに描いていく手法がベースになっていました。基本はシネマスコープの横長画面の構図を生かしたフィックスショットを多用して、フルサイズでおさえた人物たちを静的な語り口で追っていきます。ここでは人物の配置やキャメラのアングルが緻密に設計されていまして、部屋にポツンと座り込む溝口を見下ろす感じでとらえたり、老師の視線に合わせてサイズを変えたショットを的確につなげたりという細かな組み立てが続きます。その一方で、はじめて驟閣寺の仏門が映る場面でのロングショットを代表例として遠くから作品世界を客観視するようなショットを巧みに織り交ぜながら、仲代達矢演じる戸刈(小説では柏木)の斜めになったクローズアップを突然挿入して人物の感情をショッキングに前面に打ち出す対比法を使ったりしています。さらには祇園の街で初めて登場する移動ショット。ここは音楽が映像に合わせて溝口の動悸のように徐々に高まっていくのが効果的でした。

こうした市川崑の意図を映像として定着させたのが宮川一夫のキャメラと岡本健一の照明で、基本的にお寺の内部は光が届かずに常に暗いのですが、そこに人物やモノを浮かび上がらせてモノクロの画面ならではの光と影のコントラストを巧く使いこなしていました。うつむきがちな溝口の顔の表情を照らしたり土間に散らばった白米の白さを強調したり、そうしたひとつひとつのショットの積み重ねが映画全体のトーン&マナーを形作っていくわけですよね。

さらには小説と違って生身の俳優が登場人物を演じることの圧倒的なリアル感は、いくら三島由紀夫の小説が絶品だとはいっても、やっぱり小説と映画の決定的な違いとなって表れていました。特に市川雷蔵と中村鴈治郎の二人は、映画独自の世界を構築するための必要十分条件だったのではないでしょうか。市川雷蔵は本作製作時には二十六歳で、まだ映画界に入ってから4年しか経っていません。歌舞伎界から移ってきて時代劇の二枚目役を中心にこなしてきた雷蔵にとって、現代劇のしかも放火犯役を演じるのは大きなチャレンジだったはずです。この役を自ら「跳躍台」といったそうですが、まさに本作は市川雷蔵のキャリアにとってのスプリングボードになったのでした。かたや中村鴈治郎は上方歌舞伎の凋落をきっかけに松竹を離れて映画界に活路を見い出してまもない時期。溝口健二が急死して吉村公三郎が引き継いだ『大阪物語』での主演から数えると六作目にあたるこの『炎上』で、映画における演じ方を手の内に入れたのではないでしょうか。乞食を見て嫌悪感を露わにするも、遠くに溝口の姿を認めた途端に施しを与える懐の深い仏門の人物を装うというような、表情やしぐさによる表現に磨きがかかっていて、単なる落ちた偶像というだけではない悩み多き老人を多重的に演じていたと思います。

そして真っ黒な夜空を背景にして、丘の向こうに舞い上がる火の粉をとらえたクライマックスのショット。あれはすばらしかったですねえ。どのようにすれば浮遊する火の粉をあのように鮮明に撮ることができるのかわかりませんけど、あのショットこそ言葉で表現するしかない小説に対して、映画ならではの独自性を象徴していたのではないでしょうか。そしてそういう映像を現実に創り出す裏には、撮影現場のスタッフの知恵と技術が詰まっていることに感嘆せずにはいられません。(V083122)

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