大魔神(昭和41年)

「大魔神」の造形は東京国立博物館所蔵の「埴輪挂甲武人」がモデルです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、安田公義監督の『大魔神』です。大映は昭和40年に『ガメラ』で特撮映画の分野に進出しましたが、「ガメラ」シリーズ第二作の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』を公開する際の併映作がこの『大魔神』でした。「ガメラ」シリーズは大映東京撮影所の作品でしたが、「大魔神」シリーズは京都で製作され、時代劇を得意とする大映京都撮影所の持ち味が十分に発揮されています。「大魔神」のキャラクターは古墳時代の埴輪に材をとっていて、クライマックスに表情を豹変させる大魔神は海外では「MAJIN」と呼ばれているそうです。

【ご覧になる前に】時代劇でありつつ特撮映画でもある大映のヒット作です

山の麓にある花房家のお城では近くの村人たちが魔人の山の怒りを鎮めようと祈りの祭礼を行っています。城主から名代として儀式に出るように言われた家老職の左馬之助は突然城主を斬り捨てクーデターを起こして城を乗っ取ってしまいました。幼い姉弟は家臣小源太の案内で巫女の家に逃れますが、巫女は二人を山頂近い洞窟の中へ案内します。そこには魔人を祭る巨大な武人像が鎮座していて、その像の下に山の魔人が封じ込まれていると伝えられていました。十年後、左馬之助は権力にものをいわせて村人たちを城塞の増築のため厳しい労役につかせていて、苦しむ村人の声を聞いた小源太は様子を伺うため村に下りたところを左馬之助一派に捕らえられてしまいました…。

大魔神の意匠のモデルとなったのは「埴輪挂甲武人」(はにわけいこうぶじん)と名付けられた6世紀の埴輪像で東京国立博物館に所蔵されている国宝です。群馬県太田市で出土したこの武人像は当初は個人が所有していましたが東京国立博物館が買い取り昭和49年に国宝に指定されました。令和元年までの2年間で解体修理が行われた際には左手に持った刀剣が肩の上のほうまで伸びていたことが判明し、長い刀剣として復元されたそうです。シンプルながらもおだやかなその顔はキャラクターにしやすいらしく昭和58年から6年間にわたってNHKで放映されていた「おーい!はに丸」に出てくる「埴輪の王子はに丸くん」のモデルにもなっていました。

「埴輪挂甲武人」を元にして大魔神を造形したのが高山良策で、TVで放映された「ウルトラQ」を制作する円谷プロダクションに参加して怪獣の着ぐるみを作っていましたが、本作のために大映京都撮影所に三か月間出向してこの大魔神を完成させました。「ウルトラ」シリーズではぺギラやガラモン、アントラー、レッドキングなど成田亨のデザインをベースにした怪獣たちを次々に作り出し、その実績から後に「怪獣の父」と呼ばれることになります。京都で大魔神づくりに携わっていた高山のもとには円谷プロから早く戻ってこいという催促があったものの大魔神を完成させるまでは東京に帰ることはなかったそうです。

本作を製作するにあたってキャメラマンの森田富士郎は本編も特撮も両方を担当することを条件に撮影を引き受けました。光学合成技術をより進化させるためにブルーバック用のライトスクリーンを新規に購入して、色ムラもなく合成する二つの映像の調子が揃うようになったそうで、大魔神の特撮画面と俳優たちが演技する通常画面の合成が本作の見どころになっています。

監督の安田公義は一貫して大映で時代劇を作った人でして、市川雷蔵の初期の時代劇から始まって「眠狂四郎」シリーズや「座頭市」シリーズの何本かを監督したりしています。この『大魔神』も時代劇でもあり特撮映画でもあるというように作ることができたのは安田公義が時代劇に精通していたからかもしれません。「ガメラ」シリーズの第二作との併映だったこともあり本作は興行的にも成功して、すぐに二匹目のドジョウを狙う体質だった大映は「大魔神」をシリーズ化することになります。ところが第二作『大魔神怒る』は三隈研次、第三作『大魔神逆襲』は森一生とそれぞれベテラン監督がメガホンをとることになり、第一作を送り出した安田公義としては憤懣やるかたない気分だったのではないでしょうか。それでも結局第三作が興行的に失敗してしまい、昭和38年に一挙三作が公開されたにも関わらず第四作が製作されることはありませんでした。

【ご覧になった後で】予想以上にリアリティのある上出来の特撮映画でした

いかがでしたか?『ガメラ対バルゴン』は映画館で見た記憶があるので本作が併映であったならたぶんそのときに一緒に見ているはずですが、それよりも土曜日の午後に地方のTV局でよくやっていた昔の日本映画の再放送枠の中で見た印象が強く残っています。とはいってもその記憶は埴輪の柔和な表情が腕を振り上げるとたちまちのうちに般若のような怖い顔に一変しているというあの決めショットの印象しかありません。その意味でいうと「ゴジラ」シリーズが対決路線になっていったのに比べると、少し気味が悪く暗い映画だという先入観があったのですが、現在的に見直してみると時代劇としてもよく出来ていますし、特撮映画としては東宝の怪獣ものよりもはるかにリアリティを重視していてなかなか見応えのある上出来な映画になっていました。

リアリティが一番感じられるのは魔人の設計でして、15尺(4.5m)に定められた身長に合わせて特撮セットや撮影コマ数もすべてその身長をもとに割り出されました。すなわち魔人は普通の人間の約2.5倍に相当するわけなので、セットの大きさは2.5分の1の縮尺で制作され、フィルムは逆に2.5倍速で撮影されました。その結果すべての動きやセットとの対比においてリアルな重厚感が出されることになったのです。

これが実に効果的で、「ゴジラ」シリーズなんかはゴジラの身長はキリがいいからと適当に50mにされていますが、それが撮影技法の根拠になっているわけではありませんでした。しかしこの『大魔神』ではクライマックスで左馬之助をつかんで歩く魔人のショットでは確かに左馬之助が魔人の2.5分の1くらいの大きさで描かれていて、これくらいの大きさなら山奥の岩に彫られていてもおかしくないよねという感じのスケール感なのです。その魔人が自分の額に突き立てられた鉄の杭を引っこ抜き、左馬之助の身体を磔にするようにして打ち抜く生々しさにそのスケール感が生かされていました。

またブルーバック合成が東宝の特撮映画に比べてもかなり高度な出来栄えで、大魔神の特撮場面がリアルに感じられました。城内にいる左馬之助たちが窓越しに魔人を眺めるショットは、魔人が振り向いて睨む特撮画面が睨まれて逃げ出す家臣たちの実写画面とシンクロしつつ同じ映像の中で処理されています。普通なら遠景の山向こうに特撮画面をはめ込んで手前に逃げる群衆、山のかなたに怪獣を映すといったように大きく分割された光学合成処理をされるものですが、本作はその両方の画面が分割されずにほぼ同じショット内で芝居をしているのです。これは先述したブルーバック用ライトスクリーンの精度が上がったおかげでしょう。こうした光学合成技術が大映の中で引き継がれなかったのは惜しいことでした。

俳優陣ではヒロインの高田美和が目立つ程度で、特段どの俳優がどうということはありませんでしたが、小源太役の藤巻潤は後にTVの時代劇シリーズで活躍することになる人で、若いときは壮健な容姿で存在感を見せていました。なんでも実のお姉さんが極真空手の大山倍達の奥さんだったそうで、空手ブームの際にはその関係で千葉真一と共演したりしています。あとは花房家の残党としてチョコチョコ顔を出す伊達三郎あたりに注目でしょうか。どちらかというと悪役顔なのですが、本作では旧城主の忠臣というような役どころで、脇に出てきてもちょっと忘れられない感じの印象を残す俳優さんでした。

そして伊福部昭の音楽もこの映画の印象を色濃くしていましたね。「ゴジラ」とはまた違う重厚さでかつ民俗調でもありました。本作のような時代劇でありつつ日本の地方に残る山岳信仰というか山の神様的な物語においては、伊福部昭の日本土着を感じさせる音楽が非常にマッチしていたように思います。大映がたった一年でこの強烈なキャラクターを捨ててしまったのは本当に残念なことで、もっと中長期視点にたってじっくりと育てれば「ゴジラ」にも負けない世界的なキャラクターとして定着していたかもしれません。もともと「埴輪挂甲武人」自体が国宝になるくらいのデザインされた人体像だったわけですから、日本文化を世界に伝えるためにも「大魔神」キャラをなんとかして生かせなかったのかなあと残念に思われて仕方ありません。(A111222)

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